【天海の湯】大分市神崎(西大分)

2018年5月7日の手記

ゴールデンウィーク明け、今日はなかなかボリュームのある見積もりを3つもやった。当然つかれる。よし、今日もサウナだ。

おそらく最寄り、すこし前に一回行った西大分の山の上にある天海の湯に行く。そう思うとおさるの湯といい、ここといい、豊の国健康ランドといい、サマサマといい、わたしの家から10分圏内になかなかのサウナが揃っていることになる。サウナに選ばれし家のような気がしてくる。サウナに選ばれし私のような気もしてくる。

天海の湯のサウナがほかの3つと違うのは、とにかくせまく、薄暗く、テレビがない。12分計の回る、かすかなクククク…という音がよく聞こえるほどだ。正直、サウナだけならベストである。
狭いためか、発汗も早い気がする。いつもは残す漢方も今日は全部飲んだ。わたしが毎日飲む体から金属を出す漢方は、水で薄めてお茶のように飲むのだが、発汗をともなうとより良いと聞き、サウナにいくときは1リットルくらいに薄めて持って行き、3回ほどに分けて飲んでいる。


またもう一つ他との違いが、ここの水風呂は露天のほうにある。
天海の湯の最大のウリである、海へと続く街が見下ろせる露天風呂、その横に申し訳なさそうにある水風呂(井戸水)。正直ぬるい。温泉のとなりにあるからか、それとも今日見たような、若い親が赤ん坊をプール気分でつけたりしているからか、わたしがグデグデに熱い体で入る頃には、最早冷やそうなんかいう気は全く見受けられない、惰性の水風呂と化している。しかし、今日の雨上がりの外気温が手伝い、なかなかファーとなった。


しかしながら、ここは最高のサウナを持ちながら、じつに入湯の年齢層がわかい。高校生くらいがマクドナルド気分で来ている。サウナは貸切状態なのだが。
ただ、彼女たちの肉体は素晴らしく、希望に満ち溢れている。なにも気をつけなくても、所作やたたずまいは在るだけ在るがまま美しく、まさに新緑のようである。わたしは、切にこのような肉体に宿る魂が、だれにも搾取されませんようにと願う。かたちになってあらわれないものに、いつのまにか身ごと食い尽くされていることがある。世界に出回っている児童ポルノの9割がメイドインジャパンらしい。その撮影者の殆どが被写体の父親だという。そんな話を思い出しながら、わたしの日々の幸せのなかに、そのような腐り切った世の事を憂うことは有益なんだろうか、と考える。

雨上がりらしい、ほの暗さに引っ張り込まれそうなサウナタイムであった。こんな日もあるんだろうが、サウナ情報とは思えないダークサイドフィニッシュを決めてしまった。

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