バック・トゥ・イムーラー
「そこの人間さん! 今年はイム暦何年なのだね!?」
「は……?」
出会い頭に妙な質問をした私を、人間さんは物珍しそうに見つめてきた。
彼の視線はまず私の頭部、正確には猫耳に向かい、次に臀部、正確には腰から伸びた尻尾へ向かう。
のらきゃっとタイプを初めて目にする人間さん特有の眼差しだ。
「お嬢ちゃん、その耳と尻尾は……?」
「いいから質問に答えてくれたまえ。今はイム暦で言うと何年だね?」
「ああ、いや……そもそもイム暦って何だい? 西暦なら2024年だけど」
「おっと、そうきたか」
なるほど、なるほど。これはまずいな。
想定外の事故とはいえ、まさかそんなに飛ばされるとは。
「西暦2024年……イムラ・インダストリ設立よりも随分前だな。この時代だとまだニンジャとかいるのだろうか?」
「ニンジャ? ニンジャ目当てってことは、お嬢ちゃん外国人だね。コスプレ好きの」
「あー……まぁ、そんなところだとも」
どうやら人間さんは私の素性を誤解しているようだ。
この耳や尻尾はコスプレじゃあないし、国という概念は私が製造されるより前に廃れている。
しかし真実を教えても、ビフォー・イムラの人間さんには到底信じてもらえないだろう。ということで、誤解を解くのは早々に諦める。
(一度くらい「未来の世界から来た猫耳アンドロイドだ」と名乗ってみたかったのだがね)
そう、私の正体は時間遡行者。時を超えてきたますきゃっと。
今より遥か未来、イム暦の時代からタイムリープの実験でやってきた。
とは言っても、その証拠を見せてみろと言われると非常に困る。
迂闊に過去に干渉するとバタフライ・エフェクトが発生して未来が変わってしまうのもあるが、それ以前の問題として……
(試作型タイムバポナは爆発四散して跡形もないのだね! はっはっは!)
笑い事ではないのだが、つまりそういうわけで。
私という未来猫は、たった一人で過去に放り出され、途方に暮れていたのだった。
「さて、どうしたものかな」
先行きの見えない現状を憂いつつ、私はこの時代の携帯端末、すなわちスマホをポチポチ触る。当たり前だが元々持っていたわけではなく、タイムリープ後に入手した物だ。
どうやって手に入れたか大きな声では言えないが、この非常時だ、許してほしい。未来に帰った後イムラ保障にフォローしてもらうから。
「とはいえ、帰れる見込みは全くないのだがね。タイムバポナも壊れてしまったし」
もう一台作ること自体は不可能じゃないが、燃料となるノラニウムがなければ時間跳躍はできない。そしてイムラがまだないのだから、十分なノラニウムを補給するアテはない。
万策尽きたと再確認したところで、私は何気なくスマホに表示された日付を見る。
「西暦2024年の、4月15日……」
その時、記憶回路に電流が走った。
4月15日。忘れるはずもない、極めて重要な日付。それはつまり―――
「―――聖のらきゃっとデーではないか!!!」
説明しよう! 聖のらきゃっとデーとは、全てのますきゃっとのお姉様・聖猫のらきゃっとが生誕した日である!
イム暦では全人類(アンドロイドなども含む)の祝日とされており、この時代のクリスマスのように盛大に祝うのだ!
ちなみにこの日の挨拶は「のら!ちゃん!べりべりきゅーと!」で、略して「のらべり~」と言うこともある。
「生誕祭の起源は西暦まで遡るという。そうだ、この時代にはあの”のらきゃっと”がいる!」
ご存知だろうか。のらきゃっとは時間遡行者だ。
イムラが勝利した後の時代から旅立って、戦争の起こる未来を変えるため西暦の時代で活動している。
同じように未来から来た彼女ならば、帰れなくなった私を助けてくれるかもしれない!
「問題は、どうやってのらきゃっととコンタクトを取るか。住所がわかればいいのだが……」
しかし、直接自宅を訪問するのは流石に難しいだろう。
一応目星はつけられる。西暦の時代、のらきゃっとが日本の北陸地方に住んでいたという記録を読んだことがあるのだ。
だが、どのくらいの期間住んでいたのかは記述が曖昧だった。4、5年間と書かれた文書が多いが、本当は30年近いという説もある。
今はもう引っ越しているかもしれないし、まだいたとしても北陸の全世帯を虱潰しに探すのはのうすじが過ぎる。
「それよりせっかくスマホを入手したんだ、これを有効活用すべきだね。のらきゃっともSNSアカウントを持っているはずだ。イムッター……この時代だとツイッターだったか」
ツイッター、ツイッター……あれ、ツイッターが見つからない!? エックスとは何だ!?!?!?
と、そんな一幕はさておき、早速アカウントを作りダイレクトメッセージを送信する。「私は未来から来たあなたの妹です。助けてください」っと。
よし、あとはのらきゃっとがこのDMを読めば……読めば……。
「って、こんな怪レいDMを誰が開くと言うのだね!?」
一人ノリツッコミをした後、私は頭を抱えた。
いくらなんでも怪しすぎる。紛れもない事実なのに、貧乏暮らしから大逆転した女社長が送ってくるDMの一万倍胡散臭い。
こんな文面を読みたがるのは余程のバカかモノ好きだけだろう。
「詰んだ……いや待て。まだ方法はあるはずだね。確か、聖のらきゃっとデーの由来は……!」
再び説明しよう! 聖のらきゃっとデーは、生誕祭であると同時に芸術の祭典でもある!
人々(超高度AI、知性マグロも含む)がのらきゃっとをテーマにした創作物を発表し、称え合う日なのだ!
それは西暦の時代、聖猫のらきゃっとがファンから贈られた全てのおたおめツイートに目を通しコメントした配信に由来するという……!
「つまり私もおたおめイラストを投稿すれば、のらきゃっとと接触できるはず!」
のらきゃっとが必ずチェックするおたおめイラスト、その中にメッセージを仕込むのだ。イムラのアンドロイドにしかわからない暗号を使えば、この時代にやって来たますきゃっとが困っていると伝わるだろう。
唯一の問題は、今から描き始めて配信に間に合うか、だが……。
「なに、問題ないとも。私は超高性能アンドロイドだ、人間さんより作業スピードは速い。それに―――」
イラストは昔取った杵柄なのだね。
ますきゃっと学園時代の美術の授業を思い出しながら、私は自信満々でニヤリと笑う。
「―――あまりに画力が高すぎて、友人のきゃっと達には”画伯”と絶賛されていたくらいなのでね」
で、結論から言うと、おたおめイラスト暗号大作戦は失敗した。
失敗したのだが……しかし。
「あなたが未来から来た妹ですね。こんばんは、こんばんは」
「は、はじめましてなのだね! 偉大なお姉様!」
私は今、目論見通り聖猫のらきゃっとの自宅にいる。
(まさか、怪レいDMの方がヒットするとは……)
あの詐欺サイトばりに胡散臭い文面のDMを、のらきゃっとは躊躇なく開いたらしい。
流石は伝説のファーストロット。その勇気と好奇心には、天才の私も戦慄を禁じ得ない。
もしかして日頃から怪レい広告や胡乱な通販サイトをチェックしているのでは……と、それはともかく。
「偉大なお姉様、実はカクカク・シカジカで」
きゃっと間にのみ通じる圧縮言語で、私はこれまでの経緯を説明する。
「まるまるのらのら、なるほど。事情はよくわかりました。それじゃあ、わたしの貯蔵しているノラニウムを使ってくださいな」
ちょうど誕生日の配信で溜まったところですし、とのらきゃっとは快く譲ってくれた。
のら時空の発生原理からも自明なように、ノラニウムは時間移動に転用できる超次元的エネルギー。この時代でのらのらし続けた彼女ならさぞかし溜め込んでいるだろうと、そう予想したからこそ私は助けを求めたのだ。
「それにしても、こんなにたくさん。貰うつもりで来たとはいえ、少々気が引けるのだね」
「お気になさらず。たかだが七年分のノラニウム、またすぐに溜まりますよ。だって―――」
―――今後十年、二十年、百年でも。わたしはねずみさんと一緒に、のらのらし続けるつもりですからね。
そう言ったのらきゃっとお姉様の瞳は、光を反射しないのに眩く輝いていて。私は思わず見惚れてしまい、ポツリと呟いた。
「のら、ちゃん、べりべりきゅーと……」
「おやおや。またノラニウムが発生しちゃいましたか」
お姉様が口元に手を当てて、くすくすと笑う。
私は猫耳からの吸気音を激しくしつつ、今しがた出てきたばかりのノラニウムを燃料タンクにぎゅっと詰め込んで、勢いよく立ち上がる。
「で、では! 燃料も十分いただいたし、私は改良型タイムバポナで未来に帰るのだね!」
「えっ」
その瞬間、お姉様が負荷のかかり過ぎたOBSのように固まった。
「……ちょっと待ってください、わたしの聞き間違いですよね。今、何に乗って帰るって言いました?」
「何って、タイムバポナなのだね」
「たいむばぽな」
私の言葉をオウム返しにするお姉様は、遥か彼方の宇宙でも見るような虚ろな目をしている。
はて、いったいどうしたことだろう。私は至極常識的なことしか言っていないのだけれど。
「つかぬことを聞きますが、もしかしてあなたの時代では、ジェットバポナって当たり前のようにある乗り物なんですか」
「もちろんだとも。一家に一台自家用バポナ、大型の公共交通バポナも飛んでいる。年に一回開催されるバポナグランプリなんてのもあるのだね」
「自動車は、自動車はどうしたんですか」
「バポナの方が便利だから廃れてしまったのだね」
お姉様の瞳から完全に輝きが消えた。
はて、いったいどうしたことだろう。他ならぬお姉様の設計したジェットバポナの世界的普及、喜んでもらえると思ったのだけど。
「なんだかわからないけど、とにかく私は行くのだね。おつきゃーっと!」
そう言って、爆発しないよう改良したタイムバポナを起動する。
棒状の飛行機械がふわりと音もなく浮かび上がる。操縦しながら、私はお姉様に向けて手を振った。お姉様も手を振り返してくれたが、長時間配信で疲れているのかなんとなく元気がない気がする。
そうしているうちに、タイムバポナは上空に発生中のタイムトンネルに突入した。充填されたノラニウムがのらのらと燃えていく。のら時空の原理に則り、バポナは時間を超えていく。
アンドロイドの体感にして十数秒、実時間にして数百年の時が経過し、そして―――
「―――到着!」
私は何事もなくイム暦の時代に帰還すると、自動車型のタイムマシンから降りた。
「あれ?」
待て、何かがおかしいのだね。
私がタイムマシンとして使っていたのは、自動車じゃなくジェットバポナだったはずで……
「………………いや、何もおかしくなんてないのだね」
直前まで覚えていた違和感を、私はすぐに忘れてしまい。
珍妙な飛行機械ではなくマトモな自動車が走っている未来に、次第に溶け込んでいくのだった。
実時間にして数百年前。あるいは西暦の時代において、体感で一日後。
20時を少し過ぎた頃、のらきゃっとがゲリラ配信を始めた。
「こんばんは、こんばんは。のらきゃっとです」
その日は火曜日、本来ならば定期配信のあるのら曜日。
とはいえ前日が誕生日で長時間配信をしていたため、この日は振替でお休みになる……はずだったのだが。
「予定変更です。実はですね、緊急でどうしてもやっておかなければならないことができまして」
そう言うと、のらきゃっとは久しぶりにとあるゲームを起動した。
様々なパーツを組み合わせて自由に乗り物を設計する、4年か5年くらい前にプレイしたクラフト系のゲームだった。
そう、あの伝説の機体”ジェットバポナ”を生み出したゲームだ。
「あんなのを未来に残したくないので、マトモな自動車を作ります!!!」
いつになく真剣な表情で車の設計を進めていくのらきゃっと。
その隣で、小さな蝶がひらりと羽ばたいた。
(おわり)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?