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【20190713】習作行為における命名について【雑記】

 2週間ほど習作と称して小説の冒頭140字だけを書く日課を続けているわけですが、この執筆作業においては「名づけ」の工程が結構なネックになっているな、と感じています。

 名前というのは識別子や象徴として機能する重要な概念なので、物語作品に登場する固有名詞についても、物語上での機能や役割などといった ”設計情報” と噛み合っているべきだと考えられます。
 しかしながら現状の私の習作行為は、「シチュエーションやジャンルといった部分的なイメージを元に描写をしてみる」という方針で行っているにすぎず、そこから接続する物語の全体像までは考えが及んでいません。つまり命名をする際の導線となりうる「物語の設計情報」がほとんど存在しないのです。
 毎回物語設計まで熟考してから書くというのは結構な負担になるので、日課として継続的にやることを考えると今はちょっと厳しい。じゃあ名前なんかテキトーに付ければいいじゃん、という話になるかというとそうでもなく、脈絡も何もない名づけというのも、個人的にどうしても気持ち悪く感じてしまう。
 結果として、前提条件である設計段階をすっ飛ばしたまま「名前」だけを捏ねくり回してしまう悪癖が生じているのだろう、と現状を分析しています。

 名前がうまく付けられないと感じるのは、創作物の設計がきちんとできていない、あるいは把握できていない状況の表れではないかと思います。
 そうした状況でとりあえず文章だけアウトプットしたい場合、伏字(友人の○○)やイニシャル(S市)などといった情報量の薄いフォーマットで対処するのが適切なのでしょう。前提条件が整っていないものを考え込んでも徒労になる。今回はそういう学びがあったという話でした。

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