自分自身のために生きる家。

久々にお客さんと土地を見て、プランを3Dで作ると思いの外楽しかった。そして、思いの外、頭のカロリーを使った。

ふと自分のために生きる難しさなんてのを感じた。
というのも、家を考える時に、本当に自分のことを考えて作るって難しいな、と。
そのお客さんの場合は、犬が主役で、犬のための家だ。
もちろん、犬のためとは言っても、それってめぐりめぐると犬が幸せそうに過ごしていたら、自分自身も幸せって感じられるんだけど。
それでも、ダイレクトに自分のためって難しい。

犬のための家に限らず、よくあるフレーズとして、
「妻が家事がしやすいような間取りを」
とか、
「夫が仕事に集中できるような書斎的な場所を」
とか、もっと分かりやすいんだと、
「子どものために建てるから、子どもがのびのびできるように」
とか。
ダイレクトに自分自身のためにって要望は少ない気がする。
もちろん、それが悪いってわけじゃないんだけど。

僕自身の自宅も何だかんだで、妻のためにとか、子どものためにとかが多かった。とはいえ、何だかんだ自分の好みの家で、趣味の自転車が派手に飾れる家だから、割と自分自身のためにってところは大きい方なんだけど。
それでも、やっぱり家族のためにってのが強い。

家に限らず、自分自身のためにする何かって人生で案外少ないのかもしれない、なんて思う。
仕事にしたって、日々の暮らしにしたって。
仕事は自分自身のためにもやっているけれど、家族のためってやっぱり強い。
日々の暮らしにしても、掃除や洗濯、料理って、僕の場合は、正直、一人暮らしだったらそこまではしない。デスクの上と周辺だけ片付いていたら、あとは何だって良い。食事なんかご飯に納豆とキムチと卵くらいあれば、ずっとそれだけ食ってても良い。家族がいるから、ある程度料理もする。

昔、友人の画家のおばあさんに言われたけれど。
「子どもが生まれても、あなたの人生はあなたの人生として大事にしないといけないよ。夫としての人生、父親としての人生ももちろん大事だし、大変だろうけれど。それでも、あなたとしての人生は大事にしないといけない。他の事のせいにして、自分の人生をないがしろにしてはいけない」
今の僕はどうだろう。僕としての人生を生きているだろうか。

僕に限らず、生きてると、本当、いろいろある。
自分の人生を生きる、ダイレクトに自分のためのことを出来ているか。
誰かのために何かをすることは立派で偉いことだし、それで満足感も得られるけれど。
それに人間、一人じゃ生きられない。周囲の誰かや愛犬を幸せにすることで、自分も幸せを感じられるなら、それはそれで良いんだけど。
それでも、ダイレクトに自分自身のためにする何かってのはあった方が良いんだろうなって思う。

家について考えると、やっぱりそういう部分って大事だなと思う。
自分の人生を生きることができる家。

まあ、そんなこんな。

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