若者信仰が行き過ぎている気もする、若者も年がいっている側もいづれも頭が固い

年齢を重ねた際に適応能力が減少するなどと言われたりすることがあると思います。

さて、でもここに若者信仰が行き過ぎていると思うわけです。

経験から考え方が固定化して柔軟な対応ができないとありますが、あちらの書籍では信念とか言い、こちらでは頑固と言い、各個別具体を取り出して言っているだけで、一般的に体系化されていないことを念頭におき、今は何について語られていて、柔軟な対応ができないと批判されているのか、今は信念と言っているのか?など各個人で読み解いていく必要があると思います。

各ケースで全く対応は異なるわけで、実際にメディアなどで主張されているほど考え方の柔軟さを一般化できることでもないような気がします。

ボクが見ている視点なので、別に論争をする気もないですし、エビデンスがなどのことも言わないで下さいね(;´∀`)

「若者と比較して〇〇」はマーケティング常套句

「若者と比較して〇〇」は人口減少をしてマーケティングのターゲットになる年齢層が上にいったからこその常套句になっているとボクは思っています。

若者の味方をしたいわけではなく、単純にマーケティング上は「若者ではなくなった」というネガティブな意識を持つ人の数の方が人口動態上は多いわけですから、そちらを刺激した方が良いわけです。

また、「若者と比較して〇〇」という言葉には、頭の固い上司などに頭にきているとか、何かを持っている比較的に論理的に物事を考えない感情論の方々を反応させられるのでマーケティング効率が非常に良いのです。

マーケターとしては、この点から反応を得ていき、どちらにも展開できるような準備をしていくことができます。

若者だから頭が柔らかいわけではない・・・考え方が柔軟なわけではない

確かに年齢を重ねた人は頑固になる、柔軟な対応がとれない、など、それはそういう面もあるかもしれません。

しかしながら、そうでもないと思ったりします。

なぜなら、そもそも若者と言われる時代から、その時代のことでしか判断ができない人が多いわけで、それが年齢を重ねていき若者でなくなった際に年寄りは頭が固いと批判されるわけです。

現在は若者で一般的に今は新しい考え方をしている人も、年齢を重ねたら、結局考えを変えれない人なわけで、特段、若者だから柔軟な考え方をしているわけではないと思われます。

頭の固い若者が、一応のところ今の最先端の考え方が受け入れられないときに、上の層に対して頭が固いと言っているだけ、単純に受け入れてくれないストレス、うっぷんを晴らしているだけで、特段、それが頭が柔らかいとは言えないとボクは思っています。

マーケターとしては、この両者の頭の固さを理解しておいて、どのように展開できるかを考えておくのが良いかと思います。

本当の柔軟さは、それぞれの立場、影響の範囲を考えられること

本当の頭の柔軟さは、それぞれの立場、影響の範囲を考えられることだとボクは思っています。

答えが永久にでず白黒はっきりとできない問題など、どちらがどうでも良いのです。

その論争が起きている際に、いづれの立場もとれて、比較的に両方にアプローチできると考えたりすることが良いと思うのです。

いづれの当事者的な立場になってもならない・・・と思うわけです。マーケティング的に感情部分を刺激しながら文章が展開されるので、自身も文章にハマってしまって「こう思う」とかになってしまいがちで両者のロジックを忘れてしまい偏ってしまうのですが、そこに注意しなければならないと思います。

今の頭の固い年上も若者も結局は両者とも頭が固い同じ穴のむじな

結局のところ、若者にしろ、その上の世代にせよ、どちらも頭が固いのですから、この論争の本当のところは、若者を主体にすれば、新しい主張をした際に上が受け入れないことが頭が固いと表現されているだけのことです。

しかしながら、若者にせよ、自分の意見が通らないことを上は頭が固いと言っていますが、自分とは異なる考え方があると思えない、また相手がなぜ受け入れてくれないかを考えて異なるアプローチができないわけですから頭は固いわけです。

もっと、言えば、その頭が固いと言っている上司にせよ年上にせよ、その人々も若者時代の際には上司が頭が固いと言っていたくちであって、同じ穴のむじながよく言うな~とボクとしては思ってしまうところです。

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