休むことが人類の伝統

我々の祖先は、食べ物の収穫が常に少なく、1日の大半を狩りやどんぐり等の採取に明け暮れた。と我々は思っているが、実は全く逆である。1日2〜3時間の採取で、最長1週間食べ物を得られたのである。もちろん、現代人のような肥満になれるほどの食料ではなかった。
服を作ったり、食器を作ったりする時間も考慮に入れると、実際に1日に何時間労働していたのだろうか。衣食住の全てが粗末だったため、2〜3時間はもしかしたら多く見積もっているかもしれない。少なくとも、長時間労働、残業、過労死という概念は存在せず、余暇をどのようにして消費するかが人生の最大の課題(または苦役)だったことだろう。サン人(ブッシュマン)や北アメリカ大陸の先住民族達を観察した文化人類学者達が発見したその習慣は、遺跡や遺骨よりも現代人にとって重要である。
19世紀にオーストラリアを開拓した者の1人は、「我々の先祖があの生真面目なやつらに煙草を教えてやったんだが、その前はどうやって時間をつぶしていたんだろう」と不思議がっていた。(p.248 ヘレン・フィッシャー「結婚の起源」)

日本は先進国化し、物質的繁栄を勝ち取った。しかし政治経済の失墜により、途上国化した。先進国化して物質的繁栄を極めた時、そして途上国化した現在の両方において、大半の日本人はせせこましく、あくせくすることに終止した。あくせくすることこそが経済人としての成功の最短距離であると、家庭、学校、マスコミ、職場で、洗脳し、洗脳され続けたからである。電話やメール、LINEメッセージが多くかかってくることは、人脈の多さ、商売の活発さを示す最も分かりやすい指標としてあらゆる年代の人に注目された。無意識的に。

そして、過労死が日本の伝統芸になった。

新型コロナウィルスは、我々全ての人に自宅待機を要求する。感染症だからである。しかし、少なくない一定の人々は、自宅での仕事を要求する。死にかかっている時にすらジタバタせよと要求する。経済至上主義者は、死んでも死にきれないのである。

政治家に「閑散とした街を活気づけてほしい」「景気を良くしてほしい」と頼る経済人や有権者は、政治家から政治という手足をもぎ取って来た。無意識的に。

そのツケが、何倍にもなって現出した。新型コロナウィルスと安倍晋三政権によって。

政治や法律は、短期的視点では、頻繁に経済と相反する。政治家に経済の改善を頼ることは、経済人としての存在価値、有権者としての存在価値を放棄することに近い。

我々人類は、約50万年間、暇を持て余す生活をしてきた。それは我々のDNAに深く刻み込まれている。150年足らずの労働集約型産業による習慣には我々は未熟であり、熟練する必要もない。

自宅勤務時間は多くとも7時間までにすべきである。そして段階的に減らすべきである。それが50万年のDNAが、経営者と政治家に要求することである。

残業やめさせますか? それとも、人間やめますか?

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