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徳川家康が愛した山葵発祥の地、有東木のわさびのストーリー

始めまして、NEXTAGEの二代目ジュニアです。
現在、国際教養大学の1年生をしながら、NEXTAGEでも働いています。

今回は、あの家康が認めたわさび発祥の地、有東木でわさびを栽培されている望月敏明さんから教えて頂いた有東木わさびの歴史について聞いていきたいと思います。

ちなみに、、、

なんと、望月さんは有東木でわさび栽培を始めるきっかけになった井戸頭も所有されているんです!!井戸頭の詳しい話は下で!

今回から5週間にわたって、「わさびは面白い」シリーズは全5回をお届けしていきたいと思います。


第1回:徳川家康が愛した山葵発祥の地、有東木わさびのストーリー
第2回:日本人ならわさびを語れるようになろう!2種類のわさびの違い
第3回:あなたの食べてるチューブわさびは葉っぱ?根っこ?それとも西洋ワサビ?
第4回:Coming Soon
第5回:Coming Soon


改めて、今回インタビューさせて頂いたのは静岡は有東木(うつろぎ)わさび発祥の地で山葵を栽培する望月敏明さんです。

望月敏明さん

「学名も”wasabia japonica”とあるように、ホースラディッシュとは全く違った野菜。西洋わさびが混ぜられているようなチューブわさびではなく、本物のわさびはしっかりと次の世代へ残されるべきだと思うよ。寿司、刺身、蕎麦など、日本料理に欠かせないわさびは、日本人にとって大切な文化の一つであるし、私も試行錯誤を繰り返しながら頑張っていますよ。」と、紹介してくださった望月さん。近年は、わさび本来の栽培の難しさに加え、わさび田への地球温暖化の影響も非常に大きく、有東木内ですら多くのわさび農家さんがわさび栽培で生計を立てることを断念する中、年間で数トンを直売し続けている。

望月さんは、「70件以上あったわさび農家さんが、わさび主体で生計を立てているわさび農家さんは10件いるかいないか」だともおっしゃられていた。そんな有東木とわさびの歴史を今回は書かさせて頂きたいと思う。もし、少しでも興味を持っていただけた方には、ぜひ有東木のこの食堂でわさび定食を食べて頂きたい!!かつおぶしご飯にわさびと醤油をかけるのはもちろん最高!更に、わさびの葉っぱの天ぷらは本当においしい!

食堂うつろぎ わさび定食

有東木でわさび栽培が始まったきっかけ。

約420年前、慶長年間、山の中で自生していたわさびを望月さん所有の井戸頭と呼ばれる湧き水が出る場所に植えてみたことが始まり。湧き水を使う事で良く成長し、有東木の人々に響くものがあり、実際に栽培を始めた。当時、有東木の人々は生活の資金源となる幸を探しており、本格的に栽培を始めたらしい。わさびを広げていく中で、徳川家康がいた駿府城に献上した。家康はひどく気に入り、わさびの栽培を有東木から門外不出にした。実際に、徳川家の家紋が葵の葉っぱであることからも家康の気に入りようが想像につく。以後、有東木での独占栽培が続く中、同じく静岡の伊豆へわさび苗が流れた。

門外不出の有東木わさびが弁当箱と共に伊豆へ

ある時、伊豆の農家さんが有東木を訪れた際に弁当箱に隠してわさびの苗を伊豆に持ち帰ったことがわさび栽培が広まり始めたきっかけだという。「当時、有東木にはシイタケがなかったんですよ。だから、伊豆にあったシイタケを頂いたお返しに、わさびの苗を弁当箱に忍ばせた渡したらしいんですよ。」と、望月さんは言う。そんなことから伊豆へ広まったわさび栽培。

有東木わさび、今日へ

その後、わさびを主とし、生計を立てていた有東木の人々に台風が襲い掛かった。昭和57年、台風でわさびがほとんど流された。ただ、わさびで生活をしてきた有東木の人々がわさび栽培を諦める事はなかった。今に残る、大規模な河川改良を実施。”畳石式”のわさび田を作る。水量を管理する為に、パイプを使って河川から水を引くようにした。ただ、これにも実は弊害が、、、パイプを使って引いた水と、湧き水では水温が年間を通して大きく異なる。地球温暖化によって、気温の振れ幅が一日の間でも、一年の間でも、大きくなってきているため、パイプの温度の振れ幅が大きくなる。結果として、水温の振れ幅も大きくなり水温の変化に弱いわさびをダメにしてしまう。「毎年、品種改良を繰り返したりと試行錯誤はしている。」と、望月さんはおっしゃられていた。いずれにせよ、わさび栽培は農家の高齢化、気候変動を始めとして、厳しいフェーズを迎えている。その中で、頑張り続ける望月さん、有東木わさび農家さんとは弊社も協力関係を築いていきたい。

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