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貸した耳は、返してもらえるの?

「耳を貸す」とは、他人の言葉を聞くという意味で使われる表現です。
”耳" を貸すのは聞き手、借りるのは話し手という関係になります。

このような関係性で、借りた "耳" を返すといった表現は成り立つのでしょうか。

少なくとも、「借りてた耳を返すよ」とは常識的には言いません。
「耳を貸す」というのは、話している相手に心を向けることの比喩的表現であり、お金や物のようなやり取りを言っているのではないのは明らかです。

でも敢えて、「耳を返す」という表現が成り立つとしたら、どんな意味になるのか、少し考えてみました。

先ほども記したとおり、「耳を貸す」というのは、聞き手と話し手との関係で成り立つ表現です。コミュニケーションの場での聞き手の態度を示す表現なわけです。そのようなシチュエーションで、今度は話し手が、(借りていた) "耳"を返すというのはどんな状況なのかが問題です。

注意したいのは、"耳"は相手に心を向けていることの比喩的な表現であるということです。
「耳を貸してくれる」というのが、話し手の言っていることに、聞き手が心を向けてくれることとするなら、今度は話し手が、聞き手に心を向ける態度をとることが「耳を返す」こととは言えないでしょうか。

話し手(だった)方が聞き手に心を向けるシチュエーションとは、聞き手の反応(意見とか感想とか)に話した人が心を向けることと思われます。話し手が言い放しではないということです。
このような、お互いがお互いの言葉に心を向け合うというのは、その場では "耳"を貸し合ったりしていることであり、そういう "耳" の行き来は、「借りた耳を返し合っている」と言っても、それほど間違っていないのではないでしょうか。

もちろん、聞き手が貸した耳を、話し手がそっくりそのまま返すというのではありません。この表現での ”耳” は、肉体の耳をいうのではないですから。
あくまでも、気持ちや態度の比喩であり、相手と同じ気持ちや態度でコミュニケーションの場に立つことだと、私は考えるのです。
相手から借りたのと同等のものを返すという態度としては、「借りを返す」という表現に通じるものと思われます。その意味で、「君が真摯に聴いてくれたから、私も君の意見を尊重するよ」というのが、「借りた耳を返す」という表現にあたるのかもしれません。

実際には、そのような表現を使うことはありませんが、コミュニケーションの場では、相手と同じくらい真摯に、真剣に心を傾けることが大事という意味で、「貸してもらった耳は、返さないと」と思うようにしたいと気がついた次第です。



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