『ブルーキャバルリィ』3話

「八百長って……」

 唖然としたまま立ち尽くすアタシの前で妖艶な笑みを浮かべる彼女──もとい枢木くくるはふふっと小さく笑うと、そのまま自然な動作で湯船に入り、隣に腰掛けてくる。

 ふわりと漂ってくる桃の香りにドキリとした次の瞬間には、彼女はそっとこちらに顔を近づけてきていて──

「ねぇ貴女たち……私と一緒にアイドルを目指してみないかしら? 悪いようにはしないわよ」

 耳元から脳髄へと響く甘い声色と共に熱い吐息を吹きかけられ、思わず背筋がゾクゾクと震えてしまう。
 微笑んだ彼女の笑顔はとても綺麗で、美しくて──そして、どこか胡散臭い。

 アタシはすかさず手をTの字にし、制止するように叫んだ。
「タイム! タイムで!」

 とりあえず混乱の極みにあるあんりこの腕を引きつつ、少し距離を取ってひそひそ声で、

(ちょっとセンパイ! どーいうことっすかこれ⁉)
(知らないわよそんなの! アンタこそ心当たりはないの!)
(枢木くくると面識あったらセンパイの耳がおかしくなるまで自慢しまくってるに決まってるじゃないっすか!)
(それはそうだけど! と、とりあえず一旦話を聞いてみて、それから判断しましょう)
(らじゃっす!)

 小声でぎゃーぎゃー言い争っていると、その様子を面白そうに眺めていた枢木さんが口を開く。
「ふふ、楽しそうねあなたたち……それで、相談は終わった?」
「あ、はい……」
 おずおずと頷くと、彼女は小さく微笑み言葉を続ける。

「それじゃあ本題に入るわね。単刀直入に言うけれど、私と組まない?」
「えっと、それってどういうことっすか……?」

「簡単なことよ。私ね、そろそろ引退してアイドル事務所を開こうと思うの。『ポラリス』には、その事務所に加わってほしいのよ」
「「……!?」」
「本気よ」


「……すごくありがたいお話ですが……どうしてアタシたちなんですか? アタシたち、この前ブルキバで初めてライブしたような駆け出しで、枢木さんほどの人ならもっと凄い人たちをスカウトした方がいいんじゃ……」

「そうね。一応この業界に長いこと居させてもらっているから、付いてきてくれる子はいるでしょう、でも──」

 くすりと蠱惑的な笑みを浮かべ、人差し指を唇に当てながら囁くように言う。

「──貴女たちは、私が知っている中で最も輝いていた人に似てるの」
「え……?」

 その言葉に思わず黙り込んでしまう。褒められているのだろうか? 感情の置き場が分からない。憧れの人に声をかけてもらったこと自体は素直に喜ばしいのだが……同時に、枢木さんに対して得体の知れなさを覚えてしまう。子供の頃からあんなにも憧れていた人なのに。

「それじゃあ、八百長というのはどういった意味っすか? 正直に言って何が何だか……」
 そうだ、そもそもそこが分からないのだ。なぜ彼女がこんなことを言い出したのか。一体何を考えているのだろう。
 そんな二人の疑念をよそに、枢木さんは平然とした様子で答えてみせる。

「一応ね、私もブルキバをやっているの。結構強いのよ? 『四天王』なんて呼ばれたりして」
「えっ⁉」

「初めて知ったって顔ね。れんげがいない『スプートニク』なんて、そんなものでしょうけれど」

 寂しそうに笑うその顔からは哀愁のようなものが感じ取れてしまい、事実彼女のブルキバ参戦を知らなかったアタシたちは何も言えなくなってしまう。

「それで、貴女たちには私たち『スプートニク』と戦って、勝ってほしいの」
「それが、八百長……」

「そう、『スプートニク』に憧れてブルキバに挑んだ貴女たちは初戦で大きな活躍をし、そのままの勢いで四天王だった『スプートニク』を撃破──負けた私たちは貴女たちの才能を認め、正式にデビューさせることにする──そういう筋書きよ」

 筋は通っているように思えた。
 確かにそれならば世間的にも受け入れられやすいし、話題性も抜群だ。だがしかし、まだ腑に落ちないことがある。

「わざと負けてくれるって事でしょうか……?」
「流石にそんなのバレるんじゃ……」
「大丈夫よ。その辺も含めて全部うまくやるわ……貴女たちは、全部私たちに任せていればいいの」

 そう言いながらにっこりと笑う彼女の姿に、思わず目を奪われてしまう。
 圧倒的なまでのカリスマ性。この人についていけば間違いないと思わせるだけの何かがそこにはある。

 だからこそ、聞かねばならないことがあった。

「アタシたちが炎天花れんげさんに──『スプートニク』の絶対的ナンバー1だった彼女に似てるからですか?」

 今までの彼女の発言を繋ぎ合わせれば、辿り着く結論はひとつしかなかった。そしてそれは正しかったようで、先ほどまでは美しかった枢木くくるの笑顔が凶悪に歪み──

「そう! そうなのよ! あぁ、今度こそ間違えない! あの輝き、あの煌めきをもう一度見るためなら、私はなんだってしてみせる……!」

 恍惚とした表情で自らの身体を抱きしめるその姿は、まさに恋する乙女のようだったが……その瞳の奥に宿っている狂気じみた執着心を感じ取り、背筋を冷たいものが走る。

「私なんかじゃない! 私のような凡人が隣に立たない、完全なるアイドル! ようやく見つけたのよ! 本物の原石を! 磨けば光るダイヤの原石たちを! 凡百の凡人には分からない、”本物”の隣に居続けた私だからこそ分かる原石! それを磨き上げ、輝かせることこそが私の使命! そしてもう一度見るの、あのきらめきを!」

 まるで熱に浮かされたかのように瞳を輝かせながら捲し立てるその姿に、もはやかつてのアイドルの面影などどこにもなかった。狂気すら感じさせるその有様に気圧され、無意識のうちに後退りしてしまう。

 ああ、この人は──アタシたちが憧れたアイドルは、もう壊れてしまっているのだと、そう思った。

「ねえ、もう一度聞くわ。私と組みましょう? そうすれば、今よりもっと素晴らしい景色を見せてあげることができるわ」
 差し出された手は、まるで地獄への招待状のようだと思った。アタシたちはその手をじっと見つめることしかできない。

「返事は今すぐじゃなくてもいいわ。でも、よく考えておいてほしいの。こんなチャンス二度と無いんだから」

 そう言うと彼女は立ち上がり、くるりと背を向けて湯船から出る。そして去り際に一度だけ振り返り、妖しく微笑みながら言った。

「いい返事を期待しているわ──『万年オーディション落ちのポラリス』さん?」

「……なんか、すごかったっすね」
「ええ……まさかあんな人だったなんて」
 あれからしばらく経って落ち着いた後、あんりこと二人並んでお風呂から出て、リクライニングチェアにゆったり腰かけた後、ぼんやりと天井を見上げていた。

「うまい話っすねー……」
「そうね、デビューさせてくれる上に、憧れのアイドルが直々にプロデュースしてくれるなんてね……」

 乾いた笑いを漏らし、大きく伸びをする。あんりこは落ち着かない様子でペットボトルに口を付けているが、その頻度はいつもより明らかに増えており、動揺を隠しきれていないようだった。

 すごく魅力的な話だと思う。ブルキバのおかげで注目を集めつつあるとはいえ、アタシたちは枢木さんの言う通り『万年オーディション落ちのポラリス』なのだ。

 このままブルキバで勝ったり負けたりしながら地道に活動していても成功する保証なんてない。それならいっその事、枢木さんの誘いに乗って大きな知名度を得た方が賢明なのかもしれない。

「センパイはどうしたいっすか?」
「アタシ……? アタシは……」

 脳裏に浮かぶのは子供のころ、はじめて行ったライブ。
 そして、はじめて自分の力で勝ち取ったあのライブ。
 瞼を閉じれば、あの日見たサイリウムの輝きが未だ目に灼き付いている。
 あの時感じた胸の高鳴りが今もなおアタシの中で燻っている。

 アタシはもう知ってしまった。
 本当のステージの美しさを、熱狂を、感動を知ってしまった。

「嘘にしたくない」

 アタシたちにとってはまたとないチャンスだ。これを逃せばもう二度と巡ってくることはないだろう。なんてことはない、ブルキバで八百長すればいいだけ。それだけで夢にまで見たあのステージに立てる。もしかしたらドームだって立てるかもしれない。

 でも、

「あの日見た、ステージの美しさを、熱狂を、感動を、嘘にしたくない。それに泥を塗るような真似は、出来ない」

 瞼を開くと、眩しい照明の光が網膜を刺激する。眩しさに目を細めつつ、手でひさしを作った。

「八百長して、他人に似てるからっておこぼれ貰って、そんなアイドルに誰が焦がれるって言うのよ」
 そうだ、絶対に違う。そんなもの、アタシたちの憧れたアイドルなんかじゃない。あの日見た、あの輝きとは程遠い。

「ねぇあんりこ」
「なんすかセンパイ?」

「ブルキバ──楽しかった?」
 その問いに、あんりこは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後で、すぐに満面の笑みを作って答えた。

「めっっっちゃ、楽しかったっす!」
「そ、アタシもよ」

 それに、アイドルと同じくらいブルキバは楽しかったのだ。水は冷たいし、殴られれば痛いし、主催は怖いけど……それでも、夢を掴むために、必死で手を伸ばすあの競技はなんというか──生きてるって感じがした。

「そっちにも、嘘は付けないわよね」
「そうっすよ! もうここまできたらとことんやるっすよ!」

 その言葉と共に拳が突き出され──アタシはそれに、拳を合わせる。小気味よい音が鳴り響くと同時に、覚悟が決まった気がした。


 立ち上がって腕を組み、仁王立ちしながら言う。

「大体わざと負けるってのが気に食わないのよ」
「そうっす! そうっす!」

「四天王だかなんだか知らないけど、わざと負けるって言うなら──」

 そこまで言って一旦言葉を切り、不敵な笑みを浮かべながら宣言する。

「──本気を出させて、その上でボコボコにしてやるわよ!!!」

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