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ミステリ小説「大学生がバズり動画を撮りに都市伝説の現場に行ってみた。」第4話

「ぎゃーっ、落ちる、落ちる、なんでガードレールないんすかここはぁ!」
旧久鼻集落へと向かう山道を登る軽ワゴン車の中で、俺は恐怖のあまり叫んでいた。
久冨家の前を通り過ぎ、車が林の中の坂道を上る本格的な山道に入る直前、なぜか香西が「集中して考えたいことがあるから」と、俺に席の交換を持ち掛けてきたのだ。視界に入る情報が少ない方がいい、という彼に、そういうものか? と思いつつ俺は了解し、俺は助手席、香西は運転席側の後部座席に乗る位置を変えた。
五分後の俺の状態が冒頭である。
話には聞いていたものの、すれ違い不可能なほど道幅が狭いうえに、片側が法面もしくは急斜面の山林、もう片側は落ちたら数メートル崖下へ一直線という、ガードレールのない山道の道路を車で通行する恐怖は想像以上だった。
これまで集落へ行く誰もが通ってきたのだから安全な山道のはず、これまで死者が出るほどの事故はなかったと地元の人(久冨武市氏)が証言している、等々安心するための材料を頭に思い浮かべてみるも、よりにもよって助手席側に崖下があるため、座って外を見ているとどうしてもその落差に視線が行って、恐ろしい想像が頭から離れない。
崖下にある盛夏のこんもり密集した緑の木々や葉、テカテカと光る照葉樹林のそれや絡みついたツル植物の葉は、その奥の鬱蒼とした森林を想像させて、“おたまさま”人形の呪いの噂の元となったネット小説や、先ほど聞いたばかりの山の獣の話を思い出す。
コンクリートブロックの法面も一応舗装されているとはいえ、端々から深緑のシダ植物が繁茂しており、ブロックのひび割れがやたらと目に付く。落石注意の看板も見逃せない。
「この道、怖すぎ……」
「大丈夫よぉ。所長なんか、この道を大型セダンで平気で上り下りしてるんだから。軽ワゴンの車幅じゃ到底落ちないし、落石も、最近雨が降ってないから地盤ゆるんでない。ダイジョーブダイジョーブ」
奈津子さんが優しい笑顔で保証してくれる。でも、ごめんなさい。アナタの顔に似合わない乱暴な運転技術も僕の恐怖に拍車をかけています……。
崖下は主に山林だが、時折、山が開けて、麓まで見通せる見晴らしのいい箇所がある。
山と山との合間のわずかな平地に、点々と見える人家の屋根、畑、道路と、その隣を流れる『あゆ川』。まるで絵に描いたような田舎の景色。
その景色は俺を束の間見蕩みとれさせ、そして、その場所との高低差を俺に思い至らせてゾッとさせる。この高さまで登ったということは、今俺が乗っている車が道路から落ちたとしたら……。
「香西、やっぱり席戻して!」
「ごめんねー、小中くん。ここ、途中でまれるような道幅の広いところないのよ」
奈津子さんの明るい声が、こんなに怖く聞こえることがあるとは思わなかった。

旧久鼻集落まで車でおよそ三〇分ということだったが、俺の体感はその倍以上だった。ようやく集落入り口とされる場所につき、俺はぐったりとした気分で助手席から降りる。
「ここが久鼻集落?」
俺よりも先に車から降り、集落を眺めているらしい香西の声に、奈津子さんが答える。
「そうよ。最盛期には十四、五軒は住民がいたみたいだけど、一九九〇年代の初めには無人集落になっていたみたい」
はて、久冨さんが持っていた冊子は、二〇年程前に集落出身の大学生が作ったと聞いたが。
「二〇年前に大学生ということは、この集落に住んでいたのは小学校入学前か」
俺より素早く計算したらしい香西がつぶやく。
確かに二〇〇〇年代初めに大学生ということは、生まれたのは一九八〇年代後半。奈津子さんの言う通り一九九〇年代の初めに集落が無人となったとしたら、その大学生がここに住んでいたのは、せいぜい五~六歳までだろう。この集落から市内の小学校に通うなんて無謀すぎる。
俺は深呼吸を数回して、気分を切り替えてから、あらためて周囲を見渡した。
山々が眼前まで迫っている斜面の多い土地。夏の盛りの植物たちが勢いよく主張している緑色の海の中に、古い民家の屋根が数軒見える。集落の真ん中を通っているらしい幅の狭い坂道は舗装されているものの、あちこちのアスファルトに穴が空き、そこから雑草が悠々と伸びている。その道から伸びるさらに細い道の先には、古そうな民家や、かつて畑だったらしい荒れ地が見えた。久冨さん宅の周辺同様、盛り土の周囲を固めて平地にし、その上に民家や畑を作ったようだ。しかし、固めているのはコンクリートではなく、不格好な石垣。苔むして隙間からは草が生え、手入れもなく雨風にさらされ続けたせいか、崩れ始めている箇所もある。
廃集落。
まさしく、そう呼ぶにふさわしい光景だった。
ここはが“おたまさま”人形の呪いの舞台なのか。
俺と香西、奈津子さんは、しばらくそこにたって集落を眺めていた。
これまでの山道を登り切ったてっぺんにある、少し開けた見晴らしのいい土地。
そこにある、他よりやや大きく豪勢な造りの民家の背後から集落は始まる。民家の前には、およそ一〇メートル四方の平たい空き地があり、反対側の縁はこれまでの山道と同様、切り立った崖であった。民家は、まるで集落の入り口を見張る門のような位置にあった。
観察してみれば、平屋建ての多い集落の他の民家と異なり、この民家だけ二階建てで、玄関の引き戸は高価そうな装飾が施されている。締め切られた一階の雨戸は四間ほどの長さがあって、それに沿って地面に、一定の距離を取って長方形の敷石がいくつも並べられていた。おそらく雨戸の向こうの屋内は縁側になっていて、そこに訪問者が座って家人と話したりできるように、足場として敷石が敷かれたのだろう。
民家前の空き地は車数台が駐車できるほどの広さである。集落の中心道路は軽自動車が通るのがやっとと思われる幅だから、普通自動車で集落を訪ねて来たならば、車はここに駐車するしかない。
(ネット小説でも集落入り口に車を停めた、とあったし、集落を生配信していた動画配信者も、車を集落内に乗り入れることは無理だった、と言ってたな)
「この家にはどんな人が住んでたんだろう」
民家を見上げてつぶやくと、香西が「名主なぬしだろう」と即答した。
「なぬし?」
香西は頷く。
「名主。集落の長、リーダー。集落の多くの土地の地主で、政治的にも経済的にも集落の住民をまとめる家系、血筋」
お前は辞書か。
しかしわかった。集落の平和を守らねばならない家系だから、このように入り口に目立つ二階家を建てて、門番のような役目も担っていたのだろう。
「“おたまさま”の実家って、ここかな?」
冊子の記述を思い出して口にすると、香西は首を傾げた。
「あの冊子のどこを根拠に、そう思うんだ?」
「だって、“おたまさま”の実家って、金持ちそうじゃん。オボシメシだっけ、お礼を人形を貸し出した家から受け取っていたんだろう?」
香西は首を振った。
「あり得ない話じゃないが、確証に欠けるな」
慎重なこって。
「礼一くん、小中くん、日焼け止めは持ってきた?」
背後からかけられた奈津子さんの声に振り向く。
そこには、黒い幅広の帽子に黒い大きなサングラス、鼻から首元までを覆うフェイスガードに全身真っ黒の服を着込んだ奇怪な人物が立っていた。
「ぎゃあああああ!」
「小中、落ち着け。奈津子姉さんだ」
香西に言われてハッと気づく。
奈津子さんは俺と香西が話している間、なにやら軽ワゴン車のトランクを開けてごそごそしていたと思っていたが、この格好に着替えていたのか。
「な、何事ですか?」
全身真っ黒な人物は奈津子さんの声で胸を張った。服は薄手のラッシュガードのようで、形のいい体の線がよくわかる。
うん、この豊満な胸は奈津子さんだ。
「日焼けを完全に防止するためのファッションよ」
「前見た時も思ったけど、傍から見たら不審人物そのものだね」
「不審者に間違われるリスクなど、日焼けのリスクの前では無きに等しいわ」
香西のツッコミもスルーして、奈津子さんは昂然と胸を張る。
なるほど、彼女の白い美肌はこうした努力によって守られているのか。
「礼一くんも日焼けしやすいんだから日焼け防止のラッシュガードを着なさいよ、トランクに乗ってるから。小中くんの分もあるわよ。あと虫除け用の防護服とか、虫除けスプレーとか、所長が山奥に行く時に持っていくといいって言ってたもの、だいたい持ってきたの」
トランクを覗くと、なるほど、虫除けネットのついた帽子や、虫除けネット付の作業服、ボトル入りの日焼け止めなどが、雑然と入っている。
「あとさっきセツさんと行ったお店で、ミネラルウォーターと塩分タブレットを買ってきたから」
後部座席に置いてあったエコバッグからペットボトルが覗いていたのはそれか。何て至れり尽くせりなんだ。
「ありがとうございます、奈津子さん……」
感動のあまり両手を組んで感謝のポーズをとると、奈津子さんはからりと笑った(と思われる)。
「だって、礼一くんはともかく、小中くんは埼玉でも都市部の方で育ったんでしょ。夏の盛りの山奥の森の中に何着て行けばいいかなんてわからないと思って。実際、長ズボンとスニーカーは着て来たみたいだけど、上はTシャツ一枚だし」
「うっ」
俺は急所を突かれて言葉に詰まった。
確かに、山奥の廃集落にバズり動画を撮りに行くぞ! と意気込んできた割に、俺の格好は日焼けも虫除けも考慮していない。せいぜい身につけているデイバッグにスマホを固定できる器具をネットで買ってきたぐらいだ。
「すいません。後で代金払います」
「いらないよー。半分は便利屋うちで使ってるものだし、礼一くんの分もあるし。それより、礼一くんがいろいろ連れまわしちゃうと思うけど、頑張ってね」
奈津子さんはひらひらと手を振った。
「え?」
頑張って、とはどういう意味だろう。廃集落探索こそ、俺の父冨に来た真の目的なので、連れまわされるのは全く構わないのだが。
「小中、虫除けいるか?」
そこへ、サングラスこそかけていないものの、奈津子さんとほぼ同じ服装に身を包んだ香西が声をかけてきた。
……この格好をした三人が廃集落を探索しているところを誰かに目撃されたら、新しい恐怖体験として、ネットに投稿されそうだな。

第五話
https://note.com/newyamazaki85/n/n203ef6951426

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