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アフガニスタン決着

2021年夏、日本ではオリンピックが開催されていた頃、アフガニスタンではまくしたてるように様々な出来事がありました。もしかしたら今回の記事は日本ではほとんど話題にならなかった出来事かもしれません。
当チャンネルでもどのようにまとめるべきかはとても難しい状況でもありましたが、ニュースを地図に照らし合わせると少しスッキリするかもしれません。
ということで今回は下記に記載したまとめに向かってニュースを整理していきたいと思います。

まずはじめに、アフガニスタンでの戦いの構図です。それは『タリバン』という勢力と『アフガニスタン政府と米軍』が戦ったという構図でした。

この記事ではレッドチームを『タリバン』、ブルーチームを『アフガニスタン政府+米軍』と考えて整理していきます。そしてそれらのチームはそれぞれは軍事主義、民主主義という社会的な考え方を持っています。タリバンの侵攻によって国の運営の考え方そのものも変わったことも注視して見ていきましょう。

ここからニュースを確認しながら振り返っていきます。

数年前から言われていたことではありますが、この記事を投稿する2022年現在、世界中から米軍が徐々に縮小や撤退をしています。アフガニスタンには911同時多発テロの事件以来、米軍やNATO軍がいるという状況でしたが、とうとう2021年そのアフガニスタンから米軍やNATOが完全撤退しました。

それらの撤退が始まったのは2021年5月2日のことでした。米軍撤退の隙を狙っていたのでしょうか?その頃からふつふつとタリバンの動きがおかしいなという状況が報道され始めました。そしてアフガンの最大の作戦拠点であったバグラム空軍基地から米軍やNATOの駐留部隊が撤収した1週間後に、タリバンはまずは国境の要所複数を制圧しました。

その後、アフガニスタン全土に夜間外出禁止令が出されたり、かなりの厳戒態勢が敷かれる中でタリバンの侵攻は続いてきました。

そして8月7日、タリバンはアフガン南部の州都を制圧しました。下記に記載した記事の見出しにも書いてありますが、米軍の撤退開始以降で『初』の州都制圧という事件が起きました。

その後もタリバンの勢いは収まらず、どんどんと侵攻を拡大していきました。そして、8月12日時点でアフガニスタンの首都が90日以内に陥落するのではないかという記事が報道されました。8月12日時点で90日以内に首都陥落の恐れという報道でしたが、実際の後首都陥落までは90日も持ちませんでした。その報道の同日、タリバンはアフガン第2の都市カンダハルを制圧しました。


 
それでは、ここから一旦地図を見ながら確認していきましょう。


5月に米軍の撤退が開始されて、その2ヶ月後までにタリバンはアフガニスタンの国境の複数要所を制圧しました。下記の地図に出したあたりを制圧したのですが、このあたりはイランやトルクメニスタンとも国境があるあたりです。物資の輸送を抑えるための一つの侵攻の仕方として、道路を抑えることでそれを達成することができます。貿易の手段を攻略することで、タリバンはその後の侵攻に有利になるような状態だったのではないでしょうか?


その後8月7日にタリバンはザランジを制圧しました。この事件がタリバンによる初の州都の制圧でした。日本で例えるなら、外国勢力にどこかの県庁を抑えられたと考えるとイメージをしやすいかもしれません。

 これらのような報道から現代の戦争はどのような順序で攻められているのか、という情報を拾うことができることにも特に注視が必要です。日々変化しながら進む戦局を考えるためには、直近の軍事動向が今後を考えるための教訓になるからです。

その5日後、8月12日にタリバンはカンダハールを制圧しました。ザランジ、カンダハールともに、州都を制圧したという状況を地図に書き出すと、まさに外堀を埋めるように侵攻があった雰囲気ではないでしょうか?

そしてその後、8月の中旬には首都陥落の危機感高まる、欧米大使館職員が退避急ぐ、という記事が報道されました。この記事の2日前には90日以内と警戒されていた首都陥落が、わずか2日で大使館職員らが退避するという状況になってしまいました。

そして8月15日にタリバンが、『アフガニスタンの7割の州都を支配下か』、という記事が報道されました。この記事からはこれまでに報道されなかったかもしれない事実を汲み取ることができるかもしれません。この記事が出るまでの長い時間をかけて、目に見える制圧のほかにも水面下でタリバンが政権を奪取しに行くという準備をしていただろうと裏読みもできそうです。

この7割の州都を支配下かという記事が出たのと同日、タリバンはアフガニスタンの首都カブールに侵攻しました。日本で例えるなら、外国勢力が東京に侵攻したという状況です。そしてその翌日にはタリバンは政権を掌握しました。さらに、下記に記載した記事の見出しには首都制圧、アフガン大統領国外脱出、とも書いてあります。大統領が避難したという事実もとても大切な要素ではないでしょうか?国の指揮をとる人が避難してしまったというニュースはどのような状況であったか冷静にチェックしていきましょう。

様々な出来事が立て続けに発生しましたが、ここで政権掌握について整理します。アフガニスタンにおいて、タリバンが政権を掌握したということはどのような状況でしょうか?

アフガニスタンではタリバンが政権を掌握したことで、社会的な考え方が革命的に変化しました。アフガニスタンではそれまではアメリカ的な民主主義により選挙で政治を行っていましたが、タリバンが首都を掌握したことによってそれまでのアメリカ的な民主主義という政治制度からタリバンが統治をするという変革を行いました。これらの変革により、首都陥落や政権掌握は事実上の民主政権の敗戦と考えることもできた事件ともいえそうです。これらの一連の流れは、第二次世界対戦終戦時に日本にGHQが来て政権を乗っ取ったという状況と比較すると、先の大戦と現代の戦争の流れと似たものがあるのかもしれません。

8月16日同日、世界中のメディアでこれらの出来事が報じられました。ウォールストリートジャーナルからは、アフガン政権崩壊、産経新聞からは無血開城の首都カブール、CNN は宮殿を掌握、と表現しています。首都が陥落するまでの日数は、タリバンの初の州都制圧であったザランジの制圧してからわずか9日間でした。他の視点では7割が支配下かという記事が8月15日に出て、その翌日には首都カブールは制圧されました。これらを振り返ると、タリバンによるアフガニスタンの侵攻はかなりのスピード感で事態は進んだと著者は感じます。
  
さらにこの頃日本ではちょうどオリンピックパラリンピック期間ということもあって、世界中とんでもなく情報が混乱してしまった時期でもあるのではないでしょうか?この記事はカナダから配信しており、この頃に日本ではどのような報道をされていたのかが把握できないのですが、8月と言えば日本で医療崩壊が報じれていた頃でもあるため、もしかしたら日本国内ではあまりこれらのニュースをやっていなかったのではないでしょうか?
8月頃にアフガンのニュースが日本で取り上げられていたかどうか記憶にある方いらっしゃいましたら、ご意見や情報もコメント欄でいただけますととても助かります。


さらに9月1日にはアメリカのアフガン敗北、戦後の世界は、という見出しが日経新聞から報じられました。

下記の記事と画像は日経新聞からの抜粋です。この時点でアメリカが敗北したという報道が出たこともまた特筆したい点です。首都陥落という事件自体がアメリカの敗北だったと捉えるとメディアがそのことを伝えだしたのは、約2週間後の報道であったことにも注視が必要かもしれません。ここが終戦だということは当日には報道はなされないだろうことにも特段の注意を払っていきましょう。

その後、タリバンは引き続きまだ制圧していない州をどんどんと制圧していきました。9月6日にパンジシール州での勝利を宣言、対抗勢力は否定、ということだったのですが、その翌日に抵抗勢力最後の拠点パンジシール渓谷をタリバンは完全掌握という記事が出ました。

最後の州がカブールの少し上の後のあたりということで下記のスライドに表示したした位置なのですが、このように国家自体を転覆させてしまうような侵攻でも首都の陥落は一番最後とは限らない模様です。

当チャンネルではこのアフガニスタン情勢については首都陥落自体を一つの終戦の合図と捉えますが、第二次世界大戦と同様に教科書的な区切りとして終戦とした後も、しばらく様々な動乱は続くと想定するべきです。言い換えるなら、ここまでで民主政権からタリバンに政権が変わったということで政治的な戦い自体はおおよそ決着がついたといえる状況です。しかしながら、おそらくこの後もタリバンと民間での衝突はしばらく続くものと想定できそうです。これらの状況は先の大戦の日本で例えるなら、ポツダム宣言を受け入れてGHQが日本に来たことをもって終戦と捉えられますが、その後の戦後混乱期も引き続き動乱が続いたことと類似しています。この考え方に基づくなら、ここから先のアフガニスタンを戦後混乱期と呼ぶことがてきそうです。

それでは最後にもう一度日付での流れを見ていきましょう。

アフガニスタンでの米軍やNATO軍が撤収をはじめてから、タリバンは徐々に徐々に要所を押さえながら侵攻を進めていき、最初の州都サランジが制圧されてからわずか9日間で首都制圧に至りました。その後も侵攻は続き、アメリカが敗北したという報道が出た、という流れです。

ここまでこの記事を見て下さった皆様には特に気にしていただきたいことがあります。それは今回の記事のアフガニスタンと日本にはある共通点があることです。

どんな共通点でしょうか?

それは両国とも米軍がいることです。世界中の他の国もそうであるように、何かあったら米軍が助けてくれるだろうとは絶対に考えてはいけない、ということは今回のアフガニスタンでも浮き彫りになったのではないでしょうか?

今後も世界からは米軍が縮小、撤退されるだろうという報道が出ています。米軍がいなくなるということはどういうことなのか、少しずつでも話し合っていきましょう。

それでは今回以上です。
YouTube動画もよろしくお願いします。

ありがとうございました。

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