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左派と右派の違い

「左」と「右」という言葉をよく聞くが、結局どこがどう違うのだろうか?私が心から尊敬しているDennis Prager氏が、Daily Wireのテレビ番組で語っていた内容から、いくつかピックアップして整理してみたい。これはアメリカのユダヤクリスチャン文化を基盤としたもので、日本の定義とは少し異なる。その辺を整理するのにも役に立つと思う。

社会で最も価値のあるもの

左】平等(Equality)
右】自由(Liberty)

アメリカ革命で、建国の父は「命、自由、幸福の追求」を掲げた。フランス革命は「平等」を掲げたが、ここが大きく異なる。

これが今はさらに”進化”して、Equalityという言葉より、Equityという言葉がより頻繁に使われるようになっている。それは「結果の平等」を意味している。

人間の本質

左】人は基本的に善い
右】人は基本的に善くない(罪人である)

「人は基本的に善い」のなら、人が道を外した場合、それは「外的圧力」によるものだと考える。社会、両親など生まれ育った環境に問題がある、となる。また「あなたがいいと思ったものがいい(“Follow your heart”)」という考えも、人間は基本的に善い存在だという前提の下で成り立つ。

しかし、右派は、人間は罪を持って生まれていると考える。人はそれぞれ自分のうちにある問題と向き合わなければならないし、自分の心の願いのままに生きる奔放な生き方が「善い」とは考えない。

人権

左】人権は人が人に与えるもの
右】人権は神が与えるもの

われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。

独立宣言

独立宣言にはこのように書いてある。神が人権を与えるならば、人がそれを奪うことはできない。しかし人が与えた人権は、人が取り上げることも可能だ。

富に対する姿勢

左】平等 - 富の再分配
右】繁栄 - 富の創造

この違いはアメリカ革命とフランス革命の結末にも明確に表れている。アメリカ革命は自由で小さな政府が設立されたが、フランス革命は栄華を極めた王族たちのギロチン刑で幕を閉じた。

政府の役割とサイズ

左】政府が私の面倒を見てくれる → 大きな政府
右】私が私の面倒を見る → 小さな政府

この違いはめちゃくちゃ大きくて、「自立」と「依存」の違いがある。右派は政府に頼れば頼るほど、個人の自由は小さくなると考えた。

この理解の違いは生き方さえも変えてしまう。前者は、政府が良かったり悪かったり、自分の境遇が恵まれていたりそうでなかったりすると、自分の人生が大きくそれに左右されると考えるのに対して、後者は自分が幸せになるかそうでないかは基本的に自分次第と考える。

子供の人生の主要な権威者

左】政府
右】親

左派は家族を「愛し合う人々の集合体」と定義づけている。家族をつなげるものは「愛」であって、その家族構成は自由、という考え。一方、右派にとっての家族は父、母、子といった「核家族」だ。

あなたの父と母を敬え。… それはあなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、幸せになるためである

申命記5:16

長寿と祝福という約束をつけてまで「父と母を敬う」ことを聖書は強調している。それぐらい「核家族」の概念は重要で、右派の価値観の錨とも言える。

「子が親の言うことを聞く」が基本形なのに対して、左派は「政府が子供を教育する」と考える。

この風潮は、今さらに強まっていると思う。CRT(クリティカルレースセオリー)、LGBTQ、また性教育のどちらかといえば極端なカリキュラム内容の導入を実施し、政府が教育というツールを使ってある一定の思想を植え付けようとしている。また「児童が学校では違う性で呼ばれていることを親に内緒にしてもいい」とか、「親は時代遅れだから、親の言うことは聞かなくてもいい」と左派教師が児童を取り込むということも起きている。子供を親の教育から切り離そうとしている。しかもこれが正義だと教師が勘違いして使命感で教えてるからホントに困る。

親と子を引き離し、子を政府管理の下に置く。これは強烈な共産主義政策でも常にされてきたことだ。共産主義の標的はいつの時代でも「家族」だ。

人種のカテゴリー

左】人種、性別、階級
右】善い人か善くない人か。貧富、強い人弱い人(つまり生来でない)

自由と自立を土台とする右派は、人種や性別より「その人がどういう人か」に焦点を当てる。

どうやって良い社会を築くか

左】不平等をなくすことによって
右】人格を養うことによって

子供が培うべき最も大切な資質は何か?

左】自尊心
右】自制心

神の概念

左】相対的
右】絶対的

「自然の摂理に立ち返り、自分の生き方に責任を持ち、神を畏れて真っ当な人生を生きる。」シンプルだ。


アメリカが建国されたのは、イギリスという当時のDSから逃れ、自由に礼拝できる新天地を求めたから。建国の父たちが草案した憲法には、国が簡単に乗っ取られることが無いよう、国民の自由が奪われることの無いように、二重にも三重にも防御する仕組みが組み込まれている。そうでなかったら、アメリカは今頃とっくに左の津波にやられていたことだろうし、世界全体もその影響を受けていただろう。先住民がどうのとか色々議論の余地はあるとしても、ここから私たちが学べることは多いと思う。


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