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屋久島のち事故それはサインだった

新堂きりこです。
noteを始めて1週間になりました。
まだまだ慣れません😅
1日中、パソコンに張り付いている日もあります💦

昨日マウスを買いました。
これでサクサク進むはず✨


時間軸が過去の記事で、読んでいる方には、さっぱりわからないと思います。
冷静でない人間が書いてることは、さらにあちこちとっ散らかっています。
本人でさえも、あの頃よっぽど大変だったのだろうなぁと、感じてます。

今日は「自宅介護をやろうと思ったワケ」について。

協調性がゼロの私は、当時、自営業をやっておりました。
仕事内容は、「コーチングコンサルタント」という、コーチングとコンサルを合わせた仕事をしておりました。
法人や、公的機関、個人の方等から、仕事をいただいていました。

当時、夫は、私の送迎で、会社に行き、なんとか仕事をしていました。
一人で家で留守番もできていたので、長時間の不在にはヘルパーさんに来てもらうなどして、私は仕事を続けていました。

自営業でよかったなぁと思うことが、臨機応変に時間が使えたことです。
会社員は全く性に合わないので、そもそも無理なのですが😅
自由に細々、お客様のコーチをし、魅力を引き出し、輝かせることを仕事としていました。

そんな中、夫は出勤するのもいよいよ大変になり、退職を考えているところ、
会社の計らいで、休職扱いにしてもらえることになりました。
一緒に出勤するのは、全く苦ではなかったけれど、歩けない身体で一生懸命働いているであろう姿を、想像するだけで、悲しくなりました。

夫は、ずっと働きたかっただろうと思います。
仕事が大好きで、将来も有望視されていたようなので(本人談)。
結局、休職期間が終わり、退職をし、家で介護をすることになります。
まだなんとか動けていたので、テレビを観たり、大好きな本を読んだりして過ごしていました。

その頃、私は憧れの屋久島へリトリートに行きました。

心も身体も洗われた屋久島

初めての屋久島に感動し、心がすっかり洗われ、気分爽快で帰宅した翌日、
仕事終わりの信号停車中、後ろの車にぶつけられる事故に遭うのです。
軽い事故で大したことはなかったけれども、大きなショックを受けました。

大通りで信号停止中に、ぶつけられる。
この事故は、何かのメッセージだと思いました。
「クライアントを助ける前に、目の前の苦しんでいる人を助けるのが先じゃぁないのか」
と、私は感じました。
関わる方を笑顔にしたいと思い、仕事をしていたけれど、
目の前で苦しんでいる人がいるのに、他の人どころではない
と、ようやく気づいたのです。

屋久島とその事故のおかげで、少しだけ良い人間になれた(っぽい)私は、
そう自分で答えを出し、全ての仕事にお断りを入れ、介護生活に専念するようになりました。

このタイミングが、早くも遅くもなく、ベストだったと思います。
早かったら、私には理解できなくて受け入れていないし、
遅かったら、夫は余命以上に生きることはできなかったかもしれない。

あの事故がなかったら、今、私はこの世に生きていないと思います。
それ程、自分勝手でわがままでした。
いろんな人を傷つけ、迷惑をかけ、後悔することをたくさんしました。
傲慢で、嫌な人間で、最低でした。

こんなダメな人間を改心させるために、夫は身を挺して、私を守ってくれたのではないかなと感じています。

介護をすると決めた日から、まぁ大変な毎日が始まるのですが、終わってしまえば大したことはありません。
逆に、あの時、介護する道を選んでいなかったら、と思うと本気で怖いです。

全てのことが「あれはあれでよかったのだ」と、思えるようになって
良いことも悪いことも、私を成長させてくれていると、今は素直に思えます。

大人になったものです
遅すぎる程、遅いけど、、、。それも私☺️

長文を最後まで読んでいただきありがとうございます😊

新堂きりこ

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