見出し画像

死を近くで見て感じたこと

進行性難病の夫を10年以上そばで見ていて
最初から余命を知らされていたこともあり
死はいつも近くにあった。


多系統萎縮症は
発病してから身体の機能を失い
最終的には寝たきりになり
余命は約10年と言われているようだ。


10年と知り
なるべくたくさんの経験をしようと決めた。
身体が動くうちに行けるところへ連れて行こうと考え
できる限りの旅行もした。
海外にも行った。

たぶん、この病気の想定内の余命よりも
生きることができていたようだったが
日々の忙しさに追われ、カウントすることもなかった。


しかし、「いつ死ぬかわからない」
という考えは常に頭にあった。

夫は、あちこちにトラブルが起きて
入院することもあったし
救急車で運ばれることもあった。


絶えず、死は近くにあったけれども
実際、突然にいなくなってしまうことは想定外だった。

本当に死を間近というか
当事者として、死をそばで見たものとして
今思うことは
死んだら何にも持っていけないということ。


死ぬ時には何も持っていけない
とは聞いたことがあったけれど
本当に、身一つで旅立ってしまった。


その身も焼かれて、骨になってしまうのだから
本人は身一つどころか
何ひとつ持っていくことが叶わないのだ。


だから、今、何かをコレクションしていたり
いつか使おうと大切に取って置いている物があるとしても
予期せぬ死になってしまったら
全ては置いていくことになる。


全くのゴミとなるのだ。


残された者が処分することになるのだが
これがまた大変な作業になることは
残された者にしかわからない。

どれだけお金を貯めても
高価な洋服をたくさん持っていても
あの世には持っていけないのだ。


物は残されたままだけれど、主はいない。


宙ぶらりんになったモノたちの行き場は
残された者が考えないといけなくなる。


生きているうちに頑張っても無駄なのか
という話ではなくて
なんだかとても虚しいなぁと感じているのだ。


そして、この経験を通して
極力モノを持たない方向へいくのが
私には合っているなぁと感じている。


持って死ねないのに
そんなに必死にモノに執着する必要は
あるのかなと思うから。


持つこと
稼ぐこと
より良い暮らしをすること
などなど
そう頑張らなくともいいんじゃないか
と思うようになった。


寿命まで生きるとしても
そもそも自分の寿命がわからないのだから
どれくらい生きるのかもわからない。


あくせくすることもないんじゃないかと最近は思う。


どうせ死ぬのなら、明るく楽しく生きて
1日を精一杯過ごした方がより良いのではないのか。

小さい頃、死ぬのがとても怖かった。


死んだらどうなるのだろうと考えて
怖くなっていた。


今は、死ぬ時は死ぬ、と思うし
本人の意志を考慮してもらえないのが、死だから
天にお任せだなと思う。


いくら考えてもわからないし
先に死んだ人が教えてくれる訳でもない。


死んでみないとわからないことを
今、真剣に考えてもなんの意味もない。
時間の無駄だし、それよりも貴重な時間を
楽しんだ方がいいと思うようになった。

死は逃れることができない。
そして、何一つ持っていくことはできない。


全てのものをこの世に残したまま
たった一人で旅立たなければならない。


だから、人間は結局一人なのだ。
孤独が寂しいとか、一人はつらいとか思うけれども
どうせ一人で死ぬのだから。


子供の頃わからなかった死が
身近に感じられるようになった。


夫の死がたくさんのことを教えてくれている気がする。
この人は死んでからもまだ私に色々教えてくれているのだ。


ホント、「お前を残して死ねない」
と言っていただけはある。


死して尚、私にたくさんの課題を持ってきてくれる。


こんな文章なんて書きたくないのに
書くことになり
今日は死について書いたりしている。


全く、先に死んでしまったくせに
あれこれさせるのだ。


でもね、ずっと言っていたの
「お前には才能がある」と。

馬鹿みたいに私のことをよく言ってくれていた。


そんな才能あるのかな
私一人で生きていけるのかな。
死んだらまた会えるのかな。


今世でうんと才能を活かしたら
あの世で会える、というのなら、頑張る!


残された者の大変さをあれこれ喋りたい。
この経験をたくさん愚痴りたい。


これから何年生きるのかわからないけれど
このnoteにこれまでの経験を活かして書いていきたい。


そして
誰かの個性を見つけて輝かせることを仕事としていきたい。


まずはこのnoteに
これまでの経験をしっかり残していこう。



コツコツ書くこと。
はい、頑張ります。
どんどん書けよ
と、夫が言っています。
はい、書くよ。
        (7ヶ月目)

振り返り
モノに執着することがなくなりました。コレクターだった夫の残したものはまだたくさんありますが。親に褒められることなく育った私を、最後まで褒め続けてくれたのが夫でした。唯一無二の存在でした。いつの日か、再会できたらグチります 笑。

新堂きりこ

よろしければサポートをお願いします。 いただいたサポートは社会復帰への新しいチャレンジの活動費とさせていただきます。