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古いスラム(36枚)

その時々の紙焼きやフイルムからのスキャン画像を並べているので、(頑張って補正したのですが)色がばらつきだらけです。以前掲載の画像も補正して再掲載しています。

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19930406 タイに住み始めたころ、最初に居付いたのは東南アジア第2の規模といわれたクローントゥーイ・スラム(最大はフィリピン・マニラのトンド)。女性の多くはトウガラシのヘタを取る内職をしていた。
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19930408 クローントゥーイ・スラムと同じ地区にある、バンコク屈指の規模のクローントゥーイ市場。周辺に住む多くの人が市場で働いている。当時、屋台で買う飲み物はビニール袋にストローがさされた状態で手渡された。市場で写真を撮るといつも赤くなって困った。
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19930408 モヤシをパタパタさせるだけではもったいない体つきの男。暑いのか、市場で働く男は裸が多い。
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19930408 市場の子ども。バンコクの行政区のひとつであるクローントゥーイ区の中に数多くのスラムが点在、それがひとまとめにクローントゥーイ・スラムと呼ばれていた。クローントゥーイ市場も同区内。
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19930415 全員が地方出身者。撮影日を見返すと、地方旅行や一斉帰省で知られるタイの正月ソンクラーン(水掛け祭り)の最終日だが、実家にも帰らずスラムでトランプ賭博に興じている。左の男はバスタオル1枚。
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19930501 光熱費込みの月500バーツ(当時で1,500円ほど)で借りて寝泊まりしていた部屋。住んでいたのは半年ほど。スラムでもやはり、裸でうろつく男が多い。
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19940508 クローントゥーイ地区では当時より、スラムを解体してアパートに建て替えるプロジェクトが進んでいたが、建物が新しくなっても洪水は解消されなかった。
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19941226 部屋を借りていた、築30~40年のボロボロ木造家屋のオーナー女性。記憶する限り、2階建ての計7部屋のうち6部屋を(1人~4人の)6家族に貸していた。1部屋当たり3~6畳ほど。自分もその中の1人。
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19950101 元旦のスラム内の道路。年末年始でさすがに人けがない。ギターを弾く若者はやはり裸。
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19950101 家屋の玄関口でままごと? に夢中の子ども。後にセメントで塗りたくられたが、写真に写っているようなゴミは掃除されることなく、全てコンクリの下に埋まった。
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19950226 日本人在住者が多いスクムビット界隈の小規模なスラム。こちらは今も健在。クローントゥーイにつながる線路の上を住人が歩いているが、定期的に貨物列車が走り、廃線ではない。
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19950501 スクムビット界隈の線路沿い。スラム内のどの家にもテレビはあるが洗濯機はない。
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19960531 クローントゥーイ・スラム。「貧乏に飽きた」と言いながら、いつもトウガラシのヘタ取りの内職をしていた女性。
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19960531 その女性の子ども。2人とも生意気だったが、親のいうことは素直に聞いていた。
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19960622 服を脱いでいる男が多いが、女性もバスタオルでうろちょろしている。姉を頼って上京してきた16歳の子。
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19960704 水場は1カ所のみ。家は小さいのに住んでいる人が多いから、いつも順番待ちになる。薄暗い蛍光灯はなぜか青だった。
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19960704 隣の部屋に住んでいた4人家族。親父はやはり裸。
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19960802 母親の方。下着姿ぐらい撮っても文句を言われなかった。写真は青被りを嫌ってモノクロで撮影、今回フォトショップでカラー化したもの。
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19960828 オーナー女性再び。誰かからもらったベッドを持ち込んで嬉しそうだった。天井のボロボロはそのまま。
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19960828 先の4人家族が2階住まい。その母親の妹が、1階で部屋を借りていた。ゴーゴーバー出勤前のメイク姿。
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19960828 住んでいた家屋の隣。やはり腰巻き1枚で上半身は裸の男。外にいると蚊に刺される。男も女もたいてい、腰巻きを身に着けたまま水を浴びる。
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19960909 スクムビット界隈の線路沿いのスラム。日が沈んで涼しくなると人々が外に出てくる。
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19961019 貨物列車は結構な速さで通過する。吸い込まれそうで怖くなるニアミス。
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19961019 写真を撮るためにしばらく通っていた雑貨屋。やはりこの人も(胸まで上げた)腰巻き1枚。
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19970222 スクムビット界隈の線路沿いのスラム。朝の早い時間、もち米を炊く女性。
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19970222 しばらく通っていた雑貨屋のオーナー女性。愛想は悪かったが、「中に入りな」「好きに写真撮りな」と優しかった。
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19970222 タイでは今でも、線路に勝手に入って歩いても文句を言われない。といっても、日本の鉄道と比較できるほど発展していない。
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19971221 「貧乏に飽きた」と言いながら、いつもトウガラシのヘタ取りの内職をしていた女性は、いつ会いにいっても同じ雰囲気だった。
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19971221 ボロボロ家屋のオーナー女性。すでにスラムの解体が決まっていて、道路の向かいには引っ越す先のアパートが建設中だった。
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19971221 クローントゥーイ・スラムにて。いつ訪れても誰かしらがバスタオルでうろちょろしていた。住んでいた家屋で撮った最後のカラー写真(半年後に家屋は解体。そのときの写真はモノクロで残っていた)。
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19981209 クローントゥーイ地区には商業港のクローントゥーイ港(バンコク港)があり、スラムの住人の多くが働いていた。
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19981209 クローントゥーイ港近く、線路を勝手に使って木材を運んでいるスラム住人。線路わきに掘っ建て小屋が並ぶ。
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19981209 支援団体によって建てられた鉄筋コンクリートの建物が並ぶ、クローントゥーイ港近くのスラムにて。昔懐かしいアンパン。タイでもさすがに見かけなくなったが、たまに遭遇する。
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20010527 クローントゥーイ港近く。木材の取り扱いが多い。スラムといえども、商売として成り立っているもよう。
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20010527 クローントゥーイ港近く。やはり腰巻き1枚で外に出てくる女性。カメラを向けても怒らない。
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20171107 久しぶりに歩いてみたクローントゥーイ市場。赤くなるのはパラソルのせい。肉の鮮度が良く見えるのだと思う。カメラを向けても嫌がらないのは、今も昔も変わらない。

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