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防空シェルターの少女-1

 セルビアとの国境に近いオシエクという町の取材では、防空シェルターに寝泊まりしていた。激戦と虐殺が繰り広げられた隣町のブコバルが陥落した後、最前線となったオシエクは毎日のように空爆に遭い、町の中心地の地下ショッピング街が防空シェルターとして使われていた。

 地下ショッピング街にはプレスセンターもあり、防空シェルターは一般市民用とメディア用に分かれている。どちらに寝ても構わないと、プレスセンター職員に言われたが、メディア用は誰もいなくて暇を持て余しそうだったので、一般市民用に泊まらせてもらうことに。2段ベットが何十も並べられ、100人近い避難民が肩を寄せ合っている。誰もが疲れ切っていたが、それでも突然やってきた東洋人が物珍しかったのか、紅茶をもてなしてくれた。

「なんでこんなところにやって来る。命を大切にしろ」。

自分たちこそいつ死ぬか知れないのに、見ず知らずの東洋人に優しかった。

 子どももたくさんいる。その中の1人の少女が人懐っこくいつまでも、現地の言葉で話しかけてきた。名前は発音だけ聞いているとジェレーナもしくはジェラーナ、綴りはジェリャーナと読めた。

 半年後、再び防空シェルターを訪れると、ジェレーナはまだいた。その半年後、内戦の舞台がクロアチアからボスニアに移っており、オシエクの空爆は収まっていた。防空シェルターは役目を終了、地下ショッピング街に戻り始めていた。前回ジェレーナからもらった住所を頼りに自宅を探し当てる。小さな民家のドアをノックすると、防空シェルターに一緒にいた母親が出てきた。

 母親が驚いた声で何やら話しかけてくる。それから部屋に振り返ってどうのこうの言っている。「日本人だ」「カメラマンだ」という単語は聞き取れた。すぐさまジェレーナが恥ずかしそうに顔を出した。

 家の中に招かれる。彼女はいくつかの英単語、こちらはいくつかのクロアチア語の単語を駆使し、けっこう通じるものだと思いながら会話を続けたものの、何を話したかは全く覚えていない。

 しばらくすると父親も帰ってきた。内戦で仕事を失い無職のままだが、国連からの救援物資で食べ物に困っている様子はない。以降、ジェレーナの家を数回訪れているが、父親はそのたびに救援物資でロールキャベツを作ってくれた。

 ジェレーナは再開した学校に通っているようだった。日本からの土産の文房具を渡すと、

「うれしいけど、学校には持っていけない。盗まれちゃう」

と話す。ソファに腰掛けている彼女にカメラを向けると「ちょっと待って」といい、小さな犬とインコを連れてきた。

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写真は全て当時のポジをスキャンしたもの。

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