見出し画像

Visioning academy vol.1レポート: 経営学者 / 『新しい市場のつくりかた』著者 三宅秀道先生と考える「ビジョン」の役割

NEWPEACE は、新しい価値を生み出し続けるために、変化し続ける社会の価値観を学ぶ、大学のような学び場「Visioning academy」をつくることを決めました(立ち上げ時のnoteはこちら)。

記念すべき第1回講義「新しい市場のつくりかた」著書 三宅秀道先生をお招きしました。さまざまな人々の視点が交差し、議論できる点こそ、企業に学び場をつくる意義だと実感する講義となりましたので、その一部を抜粋し、お届けします(講義全容はこちらから、アーカイブチケットにて今でも受講可能です!)。

Visioning academy Vol.2「ビジョンはどのように引き継がれてゆくか」2022年3月中旬~4月頃開催予定、現在ライブ参加のお申し込みを受付中です!ビジョンや新しい市場は「発見」できるのかという三宅先生との講義から、第2回ではビジョンの「継承」に焦点を当てます。パリコレはじめファッションエディターとして活動される関口究先生をお迎えします。https://unewpeace2.peatix.com/view

今後の講座にご興味のある方は、ぜひメルマガにご登録ください!

🙋‍♀️ Visioning academy vol.1 
『新しい市場とビジネスにおけるビジョン』

講義の概要
2021年12月20日(月)
19:00〜20:00 / 三宅先生 講義「新しい市場のつくりかた」
20:00〜21:00 /  質疑応答・ディスカッション

問い
・「新しい市場をつくること」は何からはじまるのか?
・「共感をあつめる」行為を安易に使いすぎではないか?
・ビジョンと呼べるもの、呼べないものはどう違う?

第1部 講義:三宅秀道先生「新しい市場のつくりかた」

Zoomだって2013年には存在していた
──ものづくりには、技術性能より“文化“の醸成が必要だ──

スクリーンショット 2022-02-17 1.24.21

 (以下、三宅氏)わたしたちは、下町ロケットで描かれた世界観のように、人々は洗練された技術そのものがモノの価値を定めると考えがちです。しかし、私は技術を第一とするビジネス開発方式には賛同していません。なぜなら、モノの価値の前提には人々の暮らす文化が存在し、その文化に沿わない技術をどれだけ研磨しても価値にならないからです。例をあげて説明します。

 COVID-19の蔓延以降、商談や、社内MTG、大学の講義など本当に多様なことがオンライン化されましたね。オンラインMTGをする際、今では普通に用いられている”Zoom” ですが、そのローンチは2013年。技術的には8年前から可能でしたが「初対面の商談でも、授業でもオンラインでOK」という文化がうまれたことで、世の中に大きく価値として認められるようになりました。

 いくら巧妙な技術開発に成功したとしても、暮らしにその技術を用いる文化が存在しなければ、価値にならないのです。文化に寄り添い、開発ができるか否かが、ビジネス成功への鍵となると、私は考えています。


新しい市場をつくれる人は、今より“しあわせ“な状況を想像し、
皆に共有することで、共感を得られる人。

画像9

 新しい市場を開拓するには、どのように・どのようなビジネスを展開していけばいいのか?今回お話しする結論は至ってシンプルですが、商品と共に新たな文化を提案することです。幾つか例を紹介します。

 小中学校の水泳授業の際、いくつかの色があり、シールやマジックテープを貼ることのできる水泳帽を着用した経験がある人は多いのではないでしょうか。これは実は、1970年頃に現フットマーク会長である磯部さんによって開発されました。1970年以前、水泳帽は髪の長い女性のためのものであると認識されていました。そこで磯部さんは、商品をただ売り出すのではなく、学校に対して水泳授業のカリキュラム「泳力」という新しいコンセプトを開発すると共に新しい水泳帽の使い方を提案しました。プールで指導する際に「子どもの識別ができない」ことを問題だと設定できたことで水泳帽は爆発的に浸透し、水泳帽をかぶる「文化」がうまれたのです。

 少し遡った例からも考えてみます。なぜ、エジソンはウォシュレットをつくれなかったのでしょう?技術的には、当時から不可能なことではありませんでした。ただ、エジソンには「トイレでおしりを洗うことが人々のしあわせに繋がる」という想像がなかったため「トイレでおしりを洗えるようにすべきだ」という問題意識が生まれなかった。故に、ウォシュレットは生まれなかったとも考えることができます。つまり、新しい「しあわせ」を描き、暮らしのグレードアップを提案できるかどうかが、新しい価値が生まれる分かれ目になるのです。

 つまり、商品開発の核は技術ではなく問題開発です。そしてその「問題」は客観的に存在しているわけではなく、発見するものではありません。主観的に「理想として今よりしあわせな状況を描ける」ことが大事なのです。今より「しあわせ」な状況を想像してみんなに共有し、共感されることで新しい「文化」になり、はじめて価値がうまれるのです。


Q&A (一部抜粋)

画像3

Q. 樋口 (NEWPEACE / comcom)
技術がなくてもヒット商品を生むことができることを理解しました。一方で、技術が模倣可能性を下げるものではなくなるとしたら、技術的な模倣が容易となり、ある市場への参入障壁が低くなるのではないでしょうか?その場合、異なる方法や手法で、差別化を図る必要性がうまれると考えられますが、その対処法についてはどのように考えていますでしょうか?

A. 三宅先生 
確かに、技術的に設計や製造が簡易である以上、新規参入者が同じ物事をつくることは可能といえます。しかし、問題開発から流通チャネル迄を深く接続し、その商品が支える暮らしに関連するエコシステムを作りあげることができれば、それこそが模倣困難性となります。言わば、文化シナジーによって展開することが対処法になると思います。その暮らしの「しあわせ」に繋がるものはすべて、この会社にしておけば安心、という状況がつくれたら強いと考えています。

画像4

Q. Riku (NEWPEACE/ REING)
ときに、「個人の理想」や「しあわせの姿」を社会に提示することは、その理想に反する人々に不快感を起こしてしまう恐れがあるように思います。この問題と、どのように向き合えば良いのでしょうか?

A. 三宅先生
商品の機能的側面に対し、良い(機能である)/悪い(機能的でない)という判断を行うことは可能ですが、個人の理想やしあわせの姿などは、美の問題であるため真偽で判断することはできません
。よって感じ方に差分が生じることは必然であり、ネガティブな感情を完全排除することは不可能です。この問題への向き合い方としては、第一に美醜の問題と、真偽の問題を同じにしないこと。つぎに、個々人の感じ方を尊重する文化の醸成に繋がる、アクションを起こすことが重要だと考えます。

画像5


第二部 三宅秀道先生 × Visioning researcher 山田佑樹 ディスカッション

共感と問題開発の関係性について 

画像6

山田:(オンライン参加者の方の質問にもあったように)情報社会においてはSNSをはじめとして、個人が感じるしあわせや、それが満たされていない状態である課題などが共有され易い時代であり、問題開発の希少性が薄れ、「本当に誰も気づいていない問題」に気づくことが難しくなっていると考える方もいると思いますが、三宅先生はどのようにお考えですか?

三宅:確かにそのような現象は起きているかもしれませんね。しかし、拡がりやすくなっただけで、生み出しやすくなったわけではない、と思います。問題を見つけた後、それを瞬く間に拡散できるようになった現社会システムの恩恵は大きいと思います。しかしそれは、問題開発が容易になったということには繋がりません。問題開発は変わらず難しく、模倣困難性がある。「新しいしあわせなどみんな喋っていて見つけられない…… 」と考えるのではなく、拡散がし易くなった時代の恩恵を受け、問題開発により潤沢なリソースを投入し、一層新しい市場の開拓に邁進していってもらいたいです。「誰かのしあわせ」を共有しやすくなったことを幸運ととるか、不利に甘んじるかは、その人の生き方次第かなと。

画像7

山田:まさにその通りですね。ここで共感という言葉を深掘りたいと思います。三宅先生は、昨今多く見られる「共感」が意図的に設計されることに関して、どのような印象をお持ちですか?

三宅:私も共感という言葉が好きなので良く使用しますが、昨今あまりにもその言葉が安易に用いられているように感じます。機能やコンセプトといった要素が土台に存在した上で、共感が考えられるべきにも関わらず、それらをスキップしてとりあえず情緒的に訴えかける、といったアプローチで共感の設計がなされているように感じます。例えばクリエイティブ系の業務で考えると、パッケージの色を刷新するといった、いわば見栄えの刷新ももちろん大事なのですが、何よりもその行為が今の暮らしを向上させることに繋がっているのかといった、人々の暮らしを軸に設計業務を捉え直して欲しいと思います。

企業における「ビジョン」や「パーパス」の在り方について 

画像8

山田:私たちは〈VISIONING〉という新しい概念・手法を提唱して実践しています。その考え方をサンプルに取りながら、ビジョンに関してお話を伺えればと思います。昨今、ビジネス業界でも頻繁にビジョンという言葉が、さまざまな文脈で用いられますが、三宅先生は言葉や取り扱われ方について、どのような印象がありますか?

三宅:ビジョンというものは、たとえすぐには受け容れてもらえないような内容であっても、「私たちはどうしてもやっていく」という気概で掲げるものだと考えていますしかし昨今、誰もがうっすら考えているけれども、大声で発言できていないような内容を、きれいな言葉で表現し、集団を率いるものとして認識されているように見受けられますそれは従来型の単なる広告表現と何も変わらない。ビジョンは社会誘導を主導してしまうかもしれないという決定的なリスクを背負いながら、既存で考えられている前提ごと覆してやると言った心意気を持って掲げるものであり、そのリスクを背負うことができないにも関わらずビジョンが大事だ!と語ることには違和感を覚えます。

画像10

山田:ありがとうございます。コピーライティングとビジョンを掲げることの何が異なるのか、という点を考えるにあたっても、極めて示唆に富むことだと思います。本日のお話で通底することは、市場や問題は「発見」するのではなく「開発」するのだということにあったと思います。「市場/問題はどこかにあるはずだ」という問いの設定は誤っていると。これは私たちが主に取り組む「ビジョン」や「パーパス」においても言えることだと考えています。例えば、その企業や商品が生まれたきっかけまで遡れば、自ずとパーパスは見つかるのか?など。しばしば存在意義として理解される「パーパス」という考えについて、どのように捉えられていますか?

三宅:ビジョンにも通底して言えることですが、パーパスは現在において企業を存命させる道具でしかないと考えます。どれだけ過去を遡っても、未来を策定したとしても、それらによって生まれるビジョンやパーパスは全て、現在において企業を存命させる道具である。しかしだからと言って、いま・ここで自由に好きな姿勢で何を言ってもいい、何を掲げてもいい、というものではない。そもそも経済活動は人の生活に影響を与え、ビジョンやパーパスを掲げるのであればなおさらです。そのような現在に対する緊張感と、責任感を再認識し、ビジョンやパーパスをも物神化するのではなく、適切に道具として取り扱えば良いと思います。

山田:ビジョンもパーパスも道具なのだとすると、それは目的のための手段であるということになります。では、ビジョンやパーパスは何を目的として、何の為に在るのでしょうか?

三宅:企業においては、"survive"のためであると思います。

画像9

筆者感想

NEWPEACE インターン 桐野遼(英国King’s College London, Cultural & Creative Industries MA在籍中)

Visioning Academy Vol.1 を終えて、問題は存在するものではなく開発するものであるという三宅先生の主張は、変動止まぬ21世紀市場の開拓を志す者には欠かせない考え方です。また、昨今蔓延るビジョンやパーパス、エンパシーと言った概念は「現象」であり、対置する「本質」はあくまでも人々の暮らしにあることを忘れないで欲しい、という三宅先生から頂いたこのメッセージも忘れてはならないと感じています。しかし何よりも、それらを受動的に捉え知識とするのではなく、能動的に捉え知恵へと変換、そして受容することが必要であると考えます。そうした能動的な思考プロセスこそが、本講義で取り上げられた問題開発、あるいは新市場開拓への第一歩であり基本であると考えるからです。小さな事柄であっても、その存在や現象への問いはもちろん、多元的な理由の究明、それに基づくアクションを起こすことが、改めて重要であると考える時間を過ごすことができました。

Visioning academy Vol.2「ビジョンはどのように引き継がれてゆくか」2022年3月中旬~4月頃開催予定、現在ライブ参加のお申し込みを受付中です!ビジョンや新しい市場は「発見」できるのかという三宅先生との講義から、第2回ではビジョンの「継承」に焦点を当てます。パリコレはじめファッションエディターとして活動される関口究先生をお迎えします。https://unewpeace2.peatix.com/view

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?