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もし黒帯が取れたなら、白帯を巻きたい。

もし仮に僕が柔道をやっていたとして、黒帯など取れた日にゃ、四六時中巻いている気がする。

さすがにそれは出来なくても、どうにか少しでもチラ見させられる方法を模索すると思う。

汗と涙を積み重ねてようやく巻く事ができた黒帯だろうし、こんなにも自分の実力を顕在化できるアイテムはそうないと思うから。

ただ、それをゴールにしたくないと思ってしまうのだ。

もしも街中で黒帯をひけらかしている人がいたら、個人的にはあまり印象が良くない。
凄いな〜とは思うだろうし、それが評価されることに異論はないんだけど。

「人生の黒帯」


柔道のことはよく分からない僕ではあるが、僕もいつか「人生の黒帯」を取りたいとは思っていて、同時にこんな事を考えている。


仮に、2人の黒帯の所持者がどちらも柔道場に帯を忘れて来たとしよう。

Aさん 「おい黒帯ないか?なければ買って来てくれ」
Bさん 「ねぇ白でもいいけど借りられない?ビニール紐でもいい」

僕は、後者のような人を目指したい。


「愚かだったと気付いた過去」


さてここからは、早くも余計な話になる。

僕の場合、少々順番を間違ってきた。それはもう決定的に。
何も分かってなどおらず、何も成し遂げていない内から
“ペラペラ口がうまいより、黙っている事の方が美徳だ”
そう思っていた。

だから、この言葉を見つけてからは、これを胸に生きてきた。

“雄弁は銀 沈黙は金”

雄弁は大事だが、沈黙すべきときを心得ていることはもっと大事だということ。英国の思想家カーライルの「衣装哲学」にみえる言葉。

言葉に罪はなく、そしてこの言葉はきっと正しい。

黒帯を取った人がひけらかずそれは、認めざるを得ない。
ところが、日々暮らしているこの社会で、人生の黒帯も持っていない癖に、口先だけで取り繕い評価されたり、口先だけで言いくるめられ評価するような人たちを心底毛嫌いしていた。
いや、なんなら毛嫌いしている。

“黙っていたとしても、分かってくれる人は分かってくれる”
そう信じ込んでた。
だから、ずっと白帯でいいと思っていた。
そのくせどこかで“実は自分は黒帯の実力がある”と思っていた節すらある。

数年が経つころ、小さな綻びに気付く。
“なぜ誰にも伝わらないんだろう”
“きっとまだ分かってくれる人に出会っていないだけだ”
こんな風に思うようにしていたが、本当に決定的に間違っていた。

言わないと伝わらないことが沢山ある

こんな単純で簡単な事も、順番を間違えただけで
“言わなくても分かるの方が正しい”
と、受け入れられなくなっていた。

何が正しくて何が間違っているかは、もうどうでもいいし分からない。
ただ僕は、時間こそかかってしまったが、
ここに戻ってこれただけよかった。


これから目指していきたいのは、
□白帯なのに黒帯を語らないこと
□黒帯のふりをしたりしないこと
□黒帯になったとしても偉そうにしないこと
■帯の色なんて今更どうでもいいな

と、“取ってから”思う事だ。


とにかく。
黒帯を取ったあとに白帯を巻いてヘラヘラする為に、まずは黒帯を取る。
話はそこからだ。

ところで...人生の黒帯ってどうやって取るんだ?


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