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サッカー妄想者のひとりごと

メッシかマラドーナか

だれが一番か、という議論は常にある。
剣豪でいちばん強かったのは戦国武将で一番強かったのは武田信玄か上杉謙信か、剣豪で一番強かったのは宮本武蔵か柳生十兵衛か、北斗の拳では北斗神拳か南斗聖拳かはたまた元斗皇拳か。
サッカー界では同時代でいえばメッシかロナウドか、なのだが、アルゼンチンに限定すればやはりマラドーナかメッシか、という話題に尽きる(ディ・ステファノは時代が違いすぎてなかなかいまどきの人々の口の端にのぼらないので)。
その問いにもカタールW杯で一応の回答がでた感があるように思える。
以下に掲載する短編小説はカタールW杯前に筆者なりに考えた「メッシかマラドーナか」の問いに対するひとつの回答である。
こんな考え方もあるんだ、と楽しんでいただければ幸いです。

メッシかマラドーナか

〜いまそこにある未来

 昼から降りしきる雨が窓を激しくたたいていた。教室ではジェイとアイとエヌの3人が教壇の端に置かれた大型ディスプレイに映る今年の世界数理モデル協議会の学生向け課題を見ていた。

課題1
歴史に名を刻む、サッカーのアルゼンチン人スーパー・スター2名。
80-90年代に活躍した選手マラドーナと2008年にデビュー以来現在も活躍中のメッシのどちらがすぐれたフットボーラーかを分析し評価せよ。

 「やれやれ。こんな課題では世界中のメッシとマラドーナのファンが怒って協会になだれこむぞ」とジェイが言った。
 「ほんとよ。わたしだってメッシの大ファンだから。これではファン心理が働いて回答がゆがんでしまうんじゃないの」とアイが言った。
 「1960年代に活躍した往年の名プレーヤー、アルフレッド・ディ・ステファノに同じ質問をぶつけたジャーナリストがいたらしい」とパソコンでネットを検索したジェイが言った。
 「それで?」とアイが聞いた。
 「それは無意味だ、と彼は答えただけだった。」
 「エヌ先生、ほかの課題はなんですか?」アイが聞いた。
エヌ先生が目の前のパソコンの画面をみながら読み上げた。 
 「ええと、課題2は、ソーカル論文が正しいことを数学的に説明せよ。課題3は、世界史を60年周期構造であることを説明せよ。課題4は、アインシュタインの宇宙項の是非を論ぜよ、だね」
 「昨年は、架空の生物ドラゴンの環境への影響を測定せよ、だったし。難易度は相変わらず。というより他の課題はどう手をつけていいか見当もつかないわ」
 「サッカーの課題が一番取り組みやすいようだ。数字は中立だよ。僕らは心理的要因に影響されず、数学的モデルを追求するだけさ」
 「そうね。回答論文の提出まで4日。時間は無駄にできないわ。どこから始める?」
 「普通に考えれば、メッシとマラドーナの能力の棚卸しかな。それぞれの能力にウェイトをつけて総計を比較する。サッカーゲームの手法だ」
 「だれもが考えそうな手ね」
 「確かに面白くないな。それに手法自体にも問題がある。フィジカル、スピード、テクニック、パスの精度、判断力など定性的な項目をあげても意味はないし、定量的な項目、例えば総得点数/出場試合数から算出した得点率などを積み上げてもそれをもって直ちにどちらがすぐれているとは言えない。決定的要因としての説得力に欠けるし、加点方式ではすべての項目の網羅性に問題がある」
 ネットで情報を検索しながらアイが言った。
「単純に得点率を比較しても、メッシの0.878に対してマラドーナの0.526。この差は、時代の差、特にルールの変更よるものが大きいと思うわ。いまもマラドーナの現役当時の動画を見ているのだけれど、なにか違和感があるのよ。それはゴールキーパーへのバックパスってわかったわ。いまでは認められてないけれど当時は、ゴールキーパーへのバックパスは認められていた。ディフェンダーへの逃げ道ができるわけだし、得点数への影響は大きいと思う」
 「では目先を変えてAIを使ってみるか。二人の能力を実装した擬似プレーヤーを作成して二人を闘わせてみるというのはどうかな」
 「AI-メッシとAI-マラドーナをどうやって作成するの?」
 「メッシとマラドーナがそれぞれ出場したゲームを詳細に分析し、各プレイの出現率から次のプレイを予測する。一次関数から求められるから作成は容易だろう。でもここから作られる「AIプレーヤー」のイメージはあくまで一定の条件とロジックで作られたものだから課題は残るけど」
 「でもAIを使う手もだれもが考えそうな手ね」
 「やはり発想が凡庸かな」
 「そうよ。ちっとも面白くない。って、ちょっと待って。課題は、どちらがすぐれたフットボーラーか?つまり必ずしも闘わせる必要はないってことよ」
 「というよりサッカーはそもそも個人競技ではない。チームプレーの複雑系のスポーツだ。時代を超えた武芸者や個人競技者の仮想対決は不可能だ」
 「もう一度課題を再考してみましょうよ。つまり、課題はサッカーという集団競技における個人の価値を計量化する、ということじゃない?」
 「うん。あえて1980-90年代に活躍したマラドーナと2000年代以降に活躍しているメッシを持ち出したのも、時代の違いからくる要因を含めて検討せよ、ということだろう。サッカーという競技を原点から見直しべきかもしれない」
 「そうね」アイは机のパソコンに向きなおって、キーボードを叩き始めた。
 「サッカーの定義からもう一度始めない?定義もいろいろあるけれど、これは明快だわ。『サッカーの要素は5つとも指摘されている。ボール、スペース、時間、自分、相手』」
 ここで二人は押し黙ってしまった。5つの要素からサッカーというスポーツを分析する手法を考えているのだ。
 「以前どこかでサッカーは資源争奪ゲームである、という論考を読んだことがある。サッカーとはボールを確保しながら相手のスペースを獲得していくゲーム、という主旨の記事だ。この観点でリソース(資源)を獲得する/しないのプロセスを数学的にモデル化できないだろうか」とジェイ。
 「へえ、面白いわね」アイは関心を示したが、ジェイは自分で言い出したものの納得していないようだ。
 「でもやめよう。誰かが提言したということは先行研究があるわけで、それはそれで二番煎じだ。面白くない」
 「エントロピーってアイデアはどうかしら?」同意するようにアイが別の切り口を提示した。
 「キックオフのときはそれぞれのチームのフォーメーションは確定しているけれど、時々刻々とポジションは乱雑さを増していく。つまりエントロピーは増大していく。サッカーとは攻撃する方は常に相手の守備の規律を乱すことをめざし、つまりエントロピー増大に向かい、守備者は常にエントロピー減少の努力をする。それがサッカーの本質である、と。これを出発点に数値化できないかな。ホーキングとバッファのブラックホールエントロピー理論を援用しながら」
 しばらく黙考してジェイが言った。
 「突飛すぎるかもしれない。いやエントロピーでなくブラックホールを持ち出すことの方が。じっくり考える必要があるが、とても4日の間に理論化から数値モデル策定に実際の計算まで完了できるとは思えないな」
 「そうね。エントロピーで理論化しても、それをメッシやマラドーナの個人に落とし込むなんて到底できそうにないし」残念そうにアイが言った。
 「でもスペースという要素にはもう少しこだわりたいわね。幾何学を利用できるかもしれないし」
 手元のキーボードを叩きながらアイが目先を変えて言った。
「SNSをのぞいてみると現代サッカーの戦術進化は素晴らしく進化しているみたい。それだけでなく、最先端の戦術はSNSを通じて全世界に共有もされているし」
 「戦術用語で少し前の流行は、ポゼッションとプレッシングという対抗軸。
ポゼッションは、ボールをチームが保持していれば相手チームから攻撃されることはない、つまり相手に得点されないから勝利に近づく、という基本理解から、ボールを保持する戦法を言う。一方のプレッシングは、ボールホルダーに強烈な守備アタックをかけ、ボールを奪取、それを相手ゴールの近いところでチームとして連動して行い、ボールを奪取したら短時間でカウンタを仕掛けることをショートカウンタといい、セットで語られる戦法の事を言う。いまの流行は戦術のビリオダイゼーション。複雑系のサッカーにさまざまな定量化項目が設定され、実際に計測、可視化されている。そのなかでポジショナルプレーという、選手のポジションとスペースの最適化、質的優位性と数的優位性がすごい勢いで研究されているようだ」
 「時間とともに変化する選手のポジション、とそれの陰画であるスペースの変化。でも...」
 「そう。これは一試合だけでも相当な分析が必要となる。ましてやサンプル数は一定の試合数を対象にしなければならない。膨大な計算量だ」とジェイ。
 「スペースとポジションの分析は無理みたいね。実はもうひとつ流行りの戦術があるの。ストーミングと呼ばれる、相手へのプレッシングを使って時間をコントロールする戦術。スペースがダメなら、残るは時間よ」
 「それとボールだ。時間とともに動くボールの軌跡を考えてみよう。ボールはどういうふうに動くんだろう」
 「ブラウン運動みたいに動く、わけではないよね」
 「そう、それぞれの選手がドリブルで運んだり、パスをしたりするわけだ。つまり、ボールの動きは選手の意思を反映させていると考えられる」
 「選手はボールをどこに運ぶのかしら」
 「選手の判断でボールはパスかドリブルで運ばれる。ボールの経路のデータはすでに民間のデータ調査会社が膨大なデータベースを持っていて、一部は公開されているからそれを利用できる。ボールを運ぶ個々の選手も特定できる。最終の目的地は無論相手ゴールだ。まてよ、ということはボールは常にゴールへの確率が高いところへと動く、と仮定できないか」
 「このへんがとっかかりになるかもしれないわね」とアイが応じた。
 「検討してみよう」

 仮説 ボールは常にゴール確率の平面を動く

 「サッカーのピッチを確率平面とイメージする。これはAチームの視点だ。当然相手側Bチームは守備にまわってAチームのゴール確率をさげる行動に出る。Bの抵抗の強度が強ければ、Aチームのゴール確率は低くなる。その反対でBの強度が弱ければ、Aチームのゴール確率は高くなり、最後にゴールとなる」アイがまとめた。
 「ゴール確率をどう求めよう?」とジェイが聞いた。
 「海外の民間調査会社がサッカーの計量分析をしてるのだけど、そのなかに「ゴールの期待値=xPG」というのがあるわ。これは使えそうよ。過去の試合を分析して、選手やボールの位置からゴールする確率を一試合ごとに算出してピッチ上にマッピングしているの」
 「それは使えるな。縦軸にゴール期待値=ゴール確率、横軸に時間をとれば、一次関数を得ることが出来る」

仮説 ∫f(t) = 1

 「これでどうだろう。どちらかのチームに時間tの時点で1点入るとすれば、その時点でまちがいなくゴールにあるわけで、そこまでのボールの軌跡=ゴール確率の総計(つまり積分)は「1」となる。
それを式で表してみたんだ」とジェイ。
「ボールが入ってプレーが始まってから得点するまでのひとつの場面、仮にシークエンスと呼んでおくけど、一シークエンスにひとつの関数が決まる、という考え方ね」
「うん。これだとその試合固有のボールの軌跡が一定の式にあらわされることになる」
「でも実際のサッカーは、ボールがゴールに飛び込むほかに、途中でボールが停止するケースが多いのよ。ボールがピッチの外に出る、GKがキャッチする、反則でプレーがとまる、レフリーストップとか。連続した関数にならないわ。統計によれば、ワンプレーは長くても2,3分。90分の試合で、130-150回プレーは途切れる。点群データは得られるけれど、とても関数を抽出するには時間が短すぎる。そのうえ、メッシにしろマラドーナにしろ対象となる試合数は数百試合にもなるわ。さらに一試合で150回のシークエンス、ひいては関数を作るとなるとまさにビッグデータよ。AIを使って処理するにせよ、民間会社のデータもシークエンス単位では用意されていないようだし、4日間でまとめるにはやっぱり膨大だわ」
「今回は時間に限りがあるからね。では、こうしておこう」

課題1 ゴール以外のボールデッドのケースは、なかったことにする

 「少々乱暴だが、こう仮定すれば連続した関数になるだろう。無得点ならば、90分で一つの関数。
1点入れば、2つの関数。n点ならば、n+1個の関数」とジェイ。
 「サッカーはそれほど点が入らないから、関数が複数できても範囲内ね。でも「途切れるスポーツ」であるサッカーを「途切れないスポーツ」に変更してしまうんだから、これは計算結果にたいしての精度に影響する、という点は論文でも指摘が必要ね」

課題1の進化形 サッカーを途切れないスポーツと仮定する。

 「さて、この式の意味をもう一度考えてみよう。tは得点をあげる時間。最大で90分。多少のアディショナル・タイムがあるけど、これは誤差の範囲。各頂点は個々のプレーヤーのボールタッチと考える。パスにしろドリブルにしろ、ボールを少しでもゴール確率に高い方にもっていく、という考え方だ」
 「でもこれは、なんていうか棋譜のようなものよね」とアイ。
 「棋譜?」
 「サッカーの用語のなかにインテンシティという言葉があるの。『強度』と訳しているみたいだけれど、これはボールを前に運ぼうとする力に対して、それを阻む力、抵抗力ということよね。自分と相手のチームのインテンシティが拮抗する中で作り出されるボールの軌跡、ある特定の相手との結果の跡なわけで、その意味では、囲碁や将棋の棋譜と同じものと言えるわ。でも棋譜からメッシやマラドーナのチームそのものの特徴は抽出できるるかもしれないけれど、メッシとマラドーナの個人の価値を抽出できないわ」
 「各頂点のボールタッチの場面では必ず選手を特定できるわけだ。関数曲線の各頂点における接線とx軸の角度θはその時点でゴール期待値である確率をあげる、もしくはさげるわけだ。つまり局面を変えるわけだから個々のプレーの価値、貢献度を測れるかもしれない」
 「角度θが大きければ大きいほど貢献度が高い、ということね。いいじゃない。これは明快だわ」アイが喜々として声を上げた。
 「さて問題は、この方向でデータを収集して処理できるかどうか。データはそろえられるのかな」
 「メッシの出場試合数は今日現在で687試合、マラドーナの試合は588試合。民間調査会社が無料で公開しているデータがあるわ。ボールの軌跡と選手のタッチ数、選手名を紐つけたおあつらえ向きのデータが、なんと無料」
 アイが続けて言った。
 「メッシとマラドーナが課題に使われるのがわかる気がする。メッシがいまも活躍しているからデータがそろっているわけだけど、マラドーナ以前の選手のデータは古すぎてデータが十分にそろえられない。1980年代に活躍したマラドーナがぎりぎりデータをそろえられる選手というわけね。でもこれってあくまでその時代、そのときの試合におけるそのチーム内での貢献度、ということ。普遍的な数値としてメッシとマラドーナの比較評価はできないわ」
 「いや、その逆さ。それぞれの関数はすでにその時代性も取り込んでいる。ここでいう時代性とは、さっききみが言ったルールの変更はもちろん、ボールホルダーへの寄せの速さなどに集約されるゲームのスピード感の差異、戦術の進化・有効性などだけでなく、ゲームは行われた日の気象条件やグランドのコンディション、用具の技術的な進化など諸々の条件すべてを含む。項目別のポイントを加算する手法で見逃されるような項目はないと考えられる。だからこそ、この角度の平均値を比較すれば、メッシとマラドーナがそれぞれ所属しているチーム内での貢献度がどのくらいであったか、ひいてはどちらがすぐれたフットボーラーかの答えが定量的に算出できるわけさ」
 座り直してジェイが言った。
「いままでの議論を整理してみよう」
「もうまとめてみたわ。大型ディスプレイに映すわね。

前提 
サッカーゲームにおけるボールは、ゴール期待値として解釈される確率平面上を移動するものと定義する。よってボールの軌跡は、時間とともに変化する確率として一次関数によって表される。メッシやマラドーナのチーム内での価値は一次関数の接線の角度で求められる。

手法
・メッシとマラドーナのそれぞれ出場した全試合の時間と確率の点群データを得る(仮定:「途切れない」サッカーを仮定する)、
・点群データから一次関数を得る、
・その関数からメッシとマラドーナがそれぞれプレイに関与した個々の選手のタッチを特定し、接線とx軸からなる角度θを求める、

仮定
キックオフから得点までを関数算出のための点群データの最小単位とする。

課題
・キックオフから得点までを関数算出の最小単位としたため、「途切れない」スポーツとしての仮想のサッカーでの評価にならざるを得ない。

 「これでいいかしら」
 二人は常に動かしていたキーボードの手を休めて大型ディスプレイを凝視した。
  「なにか問題あるかな」ジェイが言った。
 「これは一言で言えば、ボールの軌跡がつくる一筆書きからサッカーを分析する手法、ってことよね」
 「まあ、そういうことだね」
 「サッカーにはボールに触れない時間、『オフ・ザ・ボール』のときの動きが大事である、という考え方が一般的だわ。ボールに触れている時間の方が圧倒的に少ないから」
 「何が言いたいのかな」
 「『オフ・ザ・ボール』のときの選手のポジションや動きが、この手法ではすくい取れないってこと。パスを引き出す能力やチャンスを生み出す動きなどの定性的な項目とそれらプレーの価値について無視してしまっているんじゃないかしら」
 「うーん。確かにそれは問題だが・・・」ジェイが考えをまとめながら言った。
 「xPGの確率算出時に『オフ・ザ・ボール』の動きの価値がすでに反映されている、という解釈ではだめかな。パス引き出し能力やチャンス創出の動きは、統計学的に定量化せざるをえないだろうし、もともとxPGそのものが過去の膨大なゲームの情報から統計的に算出された確率なんだろう?
 「そうね」とアイ。
 「とはいえ、課題であることには間違いない。それは課題として注記しておこう」
 アイがキーボードをたたいてディスプレイ画面に追記した。

課題2
『オフ・ザ・ボール』の動きの評価は、すでにxPGに含まれると仮定する。

課題3
『オフ・ザ・ボール』の価値の精度高めるには、xPGの算出方法をさらに見直さねばならない。

 「これでなんとか目処がついたんじゃないか」
 「そうね。まだやってみないとわからないけど、明日サンプルデータを収集して分析すれば、明後日には結果がだせるかもしれない。家で今日の話した内容を事前に論文にしておけば、一日あればデータをつけた完成版にもまとめられるわ」とアイが言ったが、いくぶん不服そうにアイが言いたした。
 「でもこれで答えがでるのもつまんないな。なんか寂しい感じがする。これでメッシかマラドーナかの定量的に結果が出てしまうと」
 「一定の条件で導き出すものだ。絶対的な回答なわけではないから、仮定の話としてとらえるしかないだろう」とジェイ。
 「でもこうしてメッシのいるチームとマラドーナのいるチームの関数が出せるとしたら、どちらがフットボーラーとして優秀か、という本来の課題以上に、メッシとマラドーナがそれぞれのチームを率いて試合をした場合、どちらが勝つんだろう、という夢の問いにも答えが出せると思わないか」エヌはメッシとマラドーナの勝敗にこだわっていた。
 「さっきの手法は、各試合ごとに点群データから関数を導いて角度θを求めることだったけど、すべての試合の点群データから、メッシのチームとマラドーナのチームそれぞれが率いたチームのたった一つの関数を得る。その関数は、メッシ、マラドーナそれぞれが率いたチームの平均値というか典型モデルと言える」
 「でもその関数からはもはやメッシやマラドーナの個人の角度θは得られないわよ」
 「ぼくが求めようとしているのは、メッシ,マラドーナ個人の評価法ではなくて、メッシ、マラドーナそれぞれが率いたチームのどちらが強いんだろう、という究極の答えだよ」
 ジェイが続ける。
 「君がさっき言ったインテンシティだけど、それぞれのチームが固有の強度を持って拮抗しているのであれば、このインテンシティをxとすれば、の関数に入れたら、こう解釈できないか。

∫|ψ(x)|2x=1

これは量子力学の波動関数そのものだ。波を足し合わせればこたえは出てくる」
 「確かに。でも波動関数を重ねるまでもないわよ。最初にメッシとマラドーナの得点率について言ったでしょ。メッシのチームの方が1点をとる時間がはるかに短いから、両チームの積分式の解は1になることによってメッシのチームの関数の方がY軸方向にはるかに高く位置してるのは自明よ。それにたとえ波を重ね合わせても、両者が試合をしたときのシナリオ、というかボールの軌跡のひとつの確率予想が現れるだけ。つまり試合展開の予想だから、勝敗の確率はあくまで確率よ」一息入れてアイが続けていった。
 「それよりもなによりも、それぞれのチームの波を足し合わせる操作は、さっき議論した時代性をすべて無視することになるわ。戦術の進化やプレー・スピードの違いはよく言われるけれど、決定的なのは、ルールの違いよ。マラドーナの頃はGKへのバックパスが認められていたの。このルールが禁止されたのは、もっとサッカーの得点シーンを増やし、実際に得点を増やすことにあったのよ。80,90年代のマラドーナの得点率が現代のメッシの得点率に及ばない決定的要因よ」
 
 そのとき教室の戸口から小さな女の子が顔を出した。
 「ねえ、アイちゃん、帰ろう。もう雨もあがってるし、すっかり暗くなっちゃった。ジェイくんも早く帰ろうよ。お母さんたちも心配するよ」
 同じクラスのピーちゃんだった。
 「そうだね、もう遅くなったし、今日はここまでにしよう」エヌ先生が言った。
 「なにを話していたの?」とピーちゃんが聞いた。
 「サッカーの話。たしかピーちゃんのお兄さんは大好きだったよね、メッシ選手のこと」
 アイちゃんのパソコンの画面上の数式をみてピーちゃんが目を丸くした。
 「サッカーってこんなに難しいものなんだ。サッカー選手って大変なんだね。でもこれって中学生のお兄ちゃんでも難しい気がする」
 ジェイくんは黙りこくったままだったが、アイちゃんはあっと小さな声を上げた。
 「ちょっと思いついたことがあるんだけど。この波動関数はすでにメッシのチーム、マラドーナのチームのそれぞれのインテンシティの変化を表すんだから、重ね合わせれば、自ずと回答がでるわ。でも干渉効果による干渉項が必要でしょ」
 アイちゃんが-|α|を式に加えて、メッシチームとマラドーナチームのゴール確率を50%:50%と導いた。
 「これは!?」ジェイくんが唸って言った。
 「ルールの変更による調整を加えたのかい?」とエヌ先生。
 「それもありますけど、わたしたちがいままで見落としていた要因、『戦術がどこまでプレーヤーに浸透しているか』、その浸透度を加えてみたんです」とアイちゃん。
 「でもこれはマイナス値だよ」とジェイくん。
 「そうよ、干渉項として、いかに戦術や統計データがプレーヤーのプレーの幅を狭めているか、という式を足し込んだのよ」
 「どうやってそんなもの計算するんだ?だいたい戦術が進化することがどうしてメッシチームにマイナスに働くんだ?」ジェイくんが文句を言った。
 「戦術の浸透度が必ずしも戦力アップにつながらない場合もあるんじゃないかなって。そう考えるとマラドーナの時代のサッカーがメッシのサッカーに十分対抗できるかもしれない」
 「どういうこと?」エヌくんは納得していない。
 「さっきのピーちゃんの言葉がヒントになったのよ。現代サッカーは、プレーヤーの戦術理解=共通ビジョンは十分だけどチームとしての縛りが多くて自分の力を発揮できないケースもあるのではないかしら。つまり現代サッカーの戦術は難しすぎるかもしれない、というマイナス要因を加えたの」
 「どうしてそんなことが言えるのさ」
 「現代サッカーの戦術革命をおこした名監督でグアルディオラというがいるんだけど、その名監督が率いていたチーム、バイエルン・ミュンヘンに所属していたワールドクラスのプレーヤー、フランク・リベリーがその監督のことをこう評しているのよ。
 『あの監督はときとして喋りすぎる。サッカーってのはもっとシンプルなもんだぜ』
 これって選手が堅苦しさを覚えているからの発言じゃないかしら。現代は、統計にしろ可視化にしろ、なんでも測りすぎているし。その結果、かえってマイナスになっている部分にはまだスポットがあたっていないだけ」
 ジェイくんが猛烈いに反論しようと立ち上がった瞬間、自分のスマートフォンを覗いていたエヌ先生が唐突に声をあげた。
「みんな、いま世界数理モデル協議会から発表があった。この課題は、撤回されたらしい。世界中のメッシやマラドーナのファンが騒いでSNSが炎上したようだ」
 ジェイくんはびっくりした表情をみせたあと、今度はがっかりした様子で言った。
 「せっかくサッカーを一次関数で表す、なんて先行研究がないことを思いついたのに。先行研究がないということはあまりに荒唐無稽、突飛すぎるともいえるけど。これでは不完全燃焼、面白くない」ジェイくんは不満気であった。
 「そう? わたしは方法論が確立できれば十分だわ。結果は二の次。この件に関してはSNSの炎上派に賛成だわ。メッシかマラドーナか、は永遠の問いであるのが一番いいのよ。さあ、ピーちゃん、帰ろう。遅くなったらお母さんに叱られるよ。」

【了】



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