本格ミステリのオタクが『五等分の花嫁』最終話に向けてそれなりに真面目に考察する

『五等分の花嫁』の最終話が公開されるまで残すところ数十分。
 きたる最終話に向けて二人のファンが、それぞれ「本格ミステリ的観点」から考察を行った。ミステリをたしなむ二人には『五等分の花嫁』はどのように映っているのか。

※以下では最終話直前までのネタバレを含みます

1.被検体:甲(匿名) 推し:中野三玖
 考察:五つ子ゲーム考察、あるいは『四匹の赤い鰊』

 まず最初に言っておきたいのは私の推しは3だという点だ。五等分ファンの4/5の皆さまがたと同様私の推しは恋愛レースに負けた。だけど推しはそれに納得しているし、今ではしっかり夢を叶えて喫茶店も開いている。春場ねぎ先生のことなので超絶どんでん返しもあり得ないことではないが、少なくとも三玖の性格を考えれば彼女が風太郎を奪うとは考えにくい。なのでとりあえずのところは、三玖ちゃん大勝利ルートは考える必要がないだろう。しかしオタクとしては推しが幸せだったらそれで良いので、割りかし平穏な気持ちで最終回を迎えることができている。
(ちなみに三玖ちゃん大勝利ルートの可能性として学園祭編で実は五つの世界に分岐しており......というのは考えられなくもないが、それはオタクの誇大妄想な気もしないこともないのでおいておく)

 それはそれとして目下、最終話が上がる前約三十分前の今、思索したいのは突然春場ねぎ先生が仕掛けてきた最後の五つ子ゲームについてである。正直、本心を言えば、適当に一人を指差してお前が四葉だ!といってラッキーパンチで当たるとかな気もしないことはない。愛があれば見分けられるのだから根拠なんて必要ないのだ。しかしそれじゃ面白くないので、四葉を特定する方法を考えてみた。
まず多くのファンが言及してるようにピアスの問題についてである。そうすると右二人は除外されるのは確かなのだが、ちょっと待ってほしい。そう、風太郎は四葉がピアスを開けたという事実を知らないのだ。それに、ピアスを開けたからといって、ピアスをしていなければ耳に穴があるかなんて見えやしない。とするとピアス穴を軸に考えるのは怪しいと思われる。(しかも左三人に絞ったところでそれ以上分からない)
 次に目。よく目を見れば見分けられると言うが正直な話三十分以上例のページを見ていても何が違うのかさっぱり分からなかった。真ん中の子が二乃っぽい気もしなくもないけど、断定は出来ない。
 口元。同上。手がかりにするには厳しい。
 ということでお手上げです......、と思っていた矢先に天啓が降りた。
実はこの物語中ずっと五人の姿を特徴付けてきた、つまり明確に他の四人とは違うものが一つだけある。そう、髪の毛だ。
髪の毛だけが、特に髪の毛の量だけは最初から最後までずっと変わっていないのだ。
 その視点を持った上で例のページとにらめっこすると確かにお団子の大きさが違う。少なくとも上で挙げた他の手がかりよりは明確に違う。では四葉の髪の量は五人の中でどの位置かというとこれまたはっきりしている。ロングの三人(二乃、三玖、五月)>四葉>一花なのは明らかであろう。
 つまりお団子の大きさが下から二つ目の人を選べばいい。明らかに大きいのは左から数えて2つ目と5つ目。次に明らかに小さいのは一番左。となって真ん中と4つ目の子が残るのだが遠近法を考慮すれば4つ目の子の方が小さいと分かる。以上より四葉は左から四番目の花嫁である。
同様に一番左が一花だというのもわかったので意外と素直に並んでいるのかもしれない。
 なんて、戯言だけどね。


2.被検体:乙(匿名) 推し:中野二乃
 考察:本格ミステリ脱構築の花嫁

『五等分の花嫁』は本格ミステリだ。ずっとそう思ってきた。学園祭編のラストまでは。
 あの瞬間。「花嫁」指名の瞬間から、私は何も分からなくなってしまった。作者の意図も、上杉風太郎の意図も何も分からなくなってしまった。上杉がどのような意図で四葉を指名したのか、さっぱり見当もつかなかったのだ。
 これについてひたすら思考を続けた結果、現在私はひとつの結論に到達した。最終話直前までのすべてを踏まえたうえで、改めてこう思ったのだ。「『五等分の花嫁』こそ本格ミステリである」と。
 上杉の指名の意図が分からなかったのも無理はない。あれは本格ミステリにおいて探偵役が犯人を指名する瞬間と同じであり、そして探偵役はまだ「自分の推理」を語っていないのである。言い換えれば、最終話直前において『五等分の花嫁』は「犯人は指名された。しかし推理はまだ語られていない。」という状態にある。こういう形式は探偵小説においては決して珍しいものではない。
 そもそも多くの本格ミステリにおいて探偵役は「超人」であり、読者がその意図を逐一推察できる存在とは限らない。これは上杉風太郎というキャラクターも同じである。彼が誰をどのように好きになったのか、それは必ずしも分からない。少なくともその推理が説明されるまでは。そして探偵はおうおうにして「最後の最後」に推理を語るものだ。

 さて。ここまでを踏まえたうえで、「なぜ四葉が指名されたのか」そして「最終話では何が明かされるのか」という点を考える。
 ここで重要になるのは『五等分の花嫁』が本格ミステリであるという事実だ。先述の「風太郎=名探偵」というポジションや、「未来の花嫁を当てる」という「読者への挑戦」的趣向、複雑な人物誤認トリック、頭脳戦要素などから鑑みて、このシリーズが本格ミステリであることはもはや疑う余地がない。三玖の印象的なセリフ「公平に行こうぜ」が本格ミステリの「フェアプレイ」精神を直截に示していることは明らかだ。
 いや、正確に云えば「『五等分の花嫁』は本格ミステリのパロディ」なのである。本格の構造を利用しながら、それをさながら脱構築していく試みなのである。
 どういうことか。
 ここで「いわゆる本格ミステリ的なるもの」を象徴する存在として知られる「ノックスの十戒」を見てみよう。御存知の通り、これは本格ミステリ作家ロナルド・A・ノックスが「探偵小説かくあるべし」という考えを皮肉交じりに綴ったものであり、後世の多くの作品は(十戒を遵守するにしても破るにしても)少なからずこのルールとは無縁でいられない。

 ノックスの十戒の九番目にこのような文言がある。「探偵助手は自分の判断をすべて読者に提示すべし」。探偵助手(おうおうにして事件の記述者を兼務する)は読者に事件に関する知識をすべて提示し、かつ読者に対して偽証してはならないというのだ。これは探偵小説の客観性を保障するとともに、「探偵助手が犯人」というトリックをひとつの禁じ手とする条項といえる。
 ここで『五等分の花嫁』において探偵助手は誰か。読者に対し正直で、探偵役を補佐し、客観的な視点から状況を見渡して著述できる立場にいるのは誰か。
 適任者がひとりだけいる。中野五月だ。
 第一話の冒頭から登場し、一連の出来事を客観的に観察し、比較的常識的な立場からものを見ているのは彼女をおいて他にいない。詐術の類を行うのは零奈に変装していた一時期のみだが、その時期についても零奈=五月であることは早い段階で読者に提示されていた。上杉に対する好意も終盤ぎりぎりまでニュートラルであり、かつ上杉の家庭教師業務に関しても重要な助手を務めている。
 従って中野五月は探偵助手である。そしてノックスの十戒を守るのであれば、彼女が犯人であるはずがない。探偵助手が犯人となることは禁じ手だからだ。

 十戒の十番目には、このシリーズの根幹に関わる超重要なルールが書かれている。「双子・一人二役などは事前に読者に明示されていなければならない」。
 作中では度々五つ子誤認のトリックが使われている。しかし中でもこのルールに反しているのは、一花と三玖だ。
 まず一花はかつての上杉との出会いにおいて四葉と入れ替わりを行っているが、これを上杉に実証できず「嘘」として終わらせてしまっている。これはつまり「双子トリック」を論理的に解決できなかった結果であり、トリックの「失敗例」に他ならない。
 また三玖はスクランブルエッグ編において五月に扮して五つ子ゲームを行っており、最終的には上杉に名前を当てられている。しかしこのときに上杉が用いた推理法は「直感」であり「論理」ではない。ノックスの十戒の六番目には「探偵が第六感で事件を解決してはならない」という項目があり、これも双子トリックの失敗例なのである。
 以上より一花と三玖も容疑者から除外される。

 残るは二乃と四葉だ。
 ノックスの十戒の四番目には「未知の毒薬を使用してはいけない」という項目がある。読者諸氏はもうお気づきのことだろうが、作中には「未知の毒物」がひとつ登場している。そう、上杉の中野家最初の訪問において二乃が盛った睡眠薬である。中野家に常備されているような薬、かつシラフの上杉がたった一杯の水溶液で卒倒するような睡眠薬など存在するのか? 以上により二乃も除外される。
 従って、ノックスの十戒から見て「もっとも本格ミステリの犯人にふさわしい人物」は中野四葉をおいて他ならないのだ。
 以上のようなメタ的推理によって四葉を犯人に絞り込むことができる。

 ………ほんとうにそうだろうか?
 本当に四葉が花嫁であることに疑いを差し挟む余地はないのか?
 ここでノックスの十戒と同じく本格ミステリを語る上でひとつの指標とされている「ヴァン・ダインの二十則」というものを参照してみたい。その三番目にはこう書かれている。

「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出すことであり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。」

 まさしく『五等分の花嫁』とは「恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くこと」ではないか! では『五等分の花嫁』は本格ミステリたり得ないのか?と考えてしまうのは早計だ。そもそもこの作品は本格ミステリ的なお約束を逆手に取った「本格ミステリのパロディ」であるというのが先述の議論だった。つまり、ここにも作者の深遠な批評精神が入り込んでいると考えるべきだ。
『五等分の花嫁』は本格ミステリである。しかし『五等分の花嫁』は「恋に悩む男女を結婚の祭壇に導く」物語でもある。この二つを両立させるにはどうしたら良いか。
 簡単だ。
「恋に悩む男女を結婚の祭壇に導く」ことが「犯人を正義の庭に引き出す」という本格ミステリの主眼に飛躍するための足がかりであれば良いのである。

 四葉との結婚。それで物語は完結するように、一見思われる。
 しかし、それは解決の一歩手前に他ならないのではないか?
 本当はその先に、すべてを仕組んだ真犯人の指摘があるのではないのか?
 いわば犯罪界のナポレオン、モリアーティ教授のように影ですべてを操っていたフィクサーが指摘されるのではないか。
 最前の推理で棄却された四人の姉妹の中にそうした「黒幕」がいる。その可能性を私は信じる。そしてその黒幕が「彼女」であることも。   以上

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