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一周忌(知り合いからのお声がけに感謝)

おはようございます、MAPです。

今日6月22日は、妻が亡くなった日(1年前)になります。
その当日だからか、珍しく眠りが浅く、なんだか目が覚めてしまったのでnoteを更新します。


1年前の今この瞬間は

1年前の今は、義理の両親と病院にいました。
妻の心臓を動かすための血圧を上げる薬の限界値を超えて、もうこれ以上は何も手段がなく、最後の瞬間を待つしかない状況でした。

主治医の説明では、そもそも心拍を上げる薬も短期的な延命措置でしかなく、投薬したところで回復するものでもないのです・・・。

私の解釈では、親族が最後の時を一緒に迎えられるように(親族が病院に駆けつけるまでの延命措置)するために使うものなのかなと。

私たちは、夜通し交代で妻を見守っていて、その間ずっと呼吸や心拍を測る機械からアラートオンがなり続けて(その嫌な音が今でも耳に残っています)、いつその瞬間が来るのかと意識は朦朧としながらも緊張感がありました。

そして、その瞬間が訪れました。
2023年6月22日 6:21
心臓が止まると、人の身体は血の気が一気に引いて、元々美白だった妻の肌色が数秒で青白くなっていきました。
これが人の最後なのだなと・・・

妻は手術後の約3週間はずっと意識がなかったので、この瞬間も意識レベルでは何かある訳ではないのかもしれませんが、少なくとも肉体はこの世での役割を終えて、機能を停止したのだなと。

永遠に尽きない話ですが、この世はあって、あの世はあるのか?それともないのか?
少なくとも、この世でもう会えないことは確実です。
でもそれは肉体レベルの話で、人の記憶に残り続けるということは意識レベルでは会えるのか?

ある知り合いの人は、妻はどこか外国に一人で旅行に行ったのだよって言ってくれました。
ある意味、そのように考えることもできなくありません。

人それぞれ、自分が捉えたいように捉えれば良いのかもしれません。
ちなみに、今の私の解釈は、目で見たり、触れたりはできないけれども近くにいるのではないかという考え方をしています。

今日は何をするの?

本来なら一周忌の法事をする日ですが、義理両親の都合もあり、法事は6月上旬に親族だけで済ませました。

各方面の友人や知り合いからもいくつかお声があったので、本当は妻を偲ぶ会などを開催すべきだったのかもと思いつつ、自分からは何も企画せず、お声がけがあるままに今日を迎えました。

今日のスケジュールは、午前中は近所の仲の良いママがお線香をあげに来てくれる予定です。

午後は、もはやビッグファミリーと言ってもよいくらい親密な学校の(妻を知る)ファミリーたちとお墓参りをする予定です。

今日は、恥ずかしげもなく多くの涙を流そうと思います。そして1年間頑張った子供たちと自分を褒めてあげたいです。

ちなみに、明日は妻と共通のフットサルグループの方々と食事をする予定です。

このように、各方面からお声がけいただき、それに甘えさせていただいて1年をそれぞれの方々と迎えています。

1年間を振り返って

今まで意識はしていませんでしたが、昨日が夏至であることを知りました。

ネットでサクッと調べた感じだと、二十四節気の言葉であり、昼間の長さが一年で最も長い日みたいですね。

何か新しいことへ挑戦するよりは、過去を振り返る自己対話が適している日のようで、ちょうど良いかもしれません笑

時が経つのは早いです。1年間はあっという間でした。
もしかしたら立ち直れないかもしれない、本当にちゃんと生活できるのか、仕事は大丈夫かなど様々な不安がありました。

でも振り返ってみたら、今は平常運転です。
もうこの生活にも慣れました。
人間は良くも悪くも環境適応能力があるのだと思います。
もちろん、人によって適応するまでの期間の差はあるのでしょう。

幸い、自分は適応能力がとても高いと、この1年間を経て思いました。
というのは、同じような境遇の方などの話を時々聞くことがありますが、何年も立ち直れない人もいるようです。

適応能力とはなんなのか?
※この場での適応能力とは、辛い経験をした後のことを指しています。

自分は「過去も未来もなく、今この瞬間を生きる」という意識を持つことなのかなと考えています。

過去、未来、今は実は同時進行している(パラレルワールド?)みたいな話もありますよね。

あとは、昔の人は未来を考えることがなかったようで、そのことから現代人のようなストレスがなかったと聞いたことがあります。

自分もそうですが、結局未来を気にして、今をないがしろにしてしまう傾向はありますよね。
例えば、好きでもない仕事をずっと続けるとか。(ちなみに、自分は仕事が好きです笑)

確かに、未来が確実にこうなるというのはないのに、それに頭を悩ませてもストレスになるだけで考えても仕方がないようにも思います。
老後2,000万円問題とか言われると気になりますが・・・。

とは言いつつ、個人的にはポジティブ思考なので、未来は明るいといつも思っています。
逆に言えば、自分次第でいくらでも明るい未来はつくれると考えています。
だからこそ、自分も子どもたちも幸せになるでしょう笑

そういえば、友達からX JAPANのYOSHIKIがこんなことを言っていたと話してくれました。

「過去は未来によって変えられる」

今日はこの辺りにしておこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

MAP

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