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ナンシー関、日本の英語教育を斬る


p.145 日本の英語教育が「魂」の問題をなおざりにしている理由

わたしも(おそらくあなたも)兼ねてから疑問に感じてきた、日本人が英語喋れない問題について、これほどスカッとする一文で見事に咀嚼した人物をほかに知らない。
そのひとの名は、ナンシー関。

「英語を喋れるのは魂の問題なのだ」ー。

以下、抜粋。

「中・高校とあんなに英語習って、喋れないとは何事だろうか。
 かく言う私も、もちろん英語は喋れない。~中略~「喋れない。喋れたらいいなあ」の思いのあとに、私にはもうひとつ「でも喋れるようになるのが怖い」というのがあるのである。

「ワォ!」とか「オーマイガーッ」とか「アンビリバボゥ」といった英語を喋れるか喋れないかは技術や知識の問題ではなく、魂の問題なのだ。日本の学校教育における英語はこの「魂」についての問題を全く顧みていないのである。~中略~
よく耳にする「少人数制」とか「先生はみな外国人」とか「一日10分聞くだけであなたはもうドリッピーのとりこ」などといううたい文句も、全てとりあえず「ワォ!」と言える人格に持っていくためのコントロールのような気さえする。
私が怖いのはこれである。目を丸くして肩をすくめて「ワォ!」なんて言える人間に、自分が改造されてしまうことが何よりも怖い。「ワォ!」と言えたら、人の話に「ハハァン」と相槌打つことも、言い淀んだ時には「アーン」なんちゅう独特なつなぎ方をするのもお茶の子さいさいだ。私のアイデンティティは崩壊するだろう。
 日本の学校が本気で英語を教えない理由はここにある。本当にみんなが中・高校で英語(会話)をマスターし、みんな心底「ワォ!」が言えるようになってしまったら、日本人の国民性は変わってしまうだろう。」


高笑いが止まらない。


Emeru

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