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善し悪し

Audibleで本を順調に消化している。

最近は耳が慣れてきたので、だいたい2~2.2倍速で聴いている。
慣れとは恐ろしいものだ。最初、2倍速では特に小説の会話部分で不自然に感じられたものだが、いまや不自然さを感じることもなく、2.2倍速でも遅く感じられる。聴き応えよりも、いかに自分の読む速さに近い速さで読んでくれるかのほうが大事だ。

面白いことに、耳で聞いた情報を頭の中でわざわざ文章に変換していることがたまにある。
耳で聞いて、頭の中で文章に起こしてそれを読んでいるような感覚。
なぜそんな七面倒くさいことをやるのか、自分でもわからない。
気がついたら頭の中の文章を読んでいる。
どこまでいっても言語優位な脳だ。

ウォーキングをするときのお供にAudibleは最高だ。
歩調に合うアップテンポな曲を聴くことが多かったけど、朗読も案外いける。
曲を聴きながら歩くより、たぶん速度は遅くなっている。
でも遠くまで行ける。続きが気になるとそのまま歩いてしまうから。

Audibleで一点気になるのは、会話があまりにも迫真すぎることだ。
いや、それがAudibleの良さではある。
それは承知のうえで、淡々と朗読するAudibleが聴きたいのだけど、そういう需要はないのだろうか。
文章以外の余計な情報は必要ないな、私には。
それがどのような声音で発せられたのか、高いのが低いのか、大きいのか小さいのか、そういう自分の好きにしたい情報も強制的に与えられてしまうのがAudibleの不自由なところ。

先日聴いていた小説は、中年女性が絶えず金切り声で不満を言い、中年男性が怒声で場を支配しようとする、そんな場面の連続でとても疲れてしまった。
金切り声も怒声もとても耳障りだ。
それがふたりの役回りであり、小説の展開に必要なのだろうけど、読むだけだったら「ヒステリックに叫んだ」「大声で怒鳴った」と書いてあるだけで、声は自分で補完する。
それを臨場感たっぷりにずっと聞かされるのは、わりとしんどかった。

全然関係ないけど、(中年)女性が不測の事態にパニックになり、自分の感情を制御せずにまき散らして場を不快にする、事態をより悪い方向へ導く、というステレオタイプなジェンダー表現(その意味では、男性が恫喝と威嚇によって全員を従わせるというのも同じ)は、いつになったら駆逐されるのかなぁ。
私が生きているうちは無理なんだろうか。
その小説が刊行されたのがたった3年前、ということにげんなりしている。




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