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ドラマが苦手

noteに今クールのドラマに関する記事がたくさん上がっている。
ドラマどころかテレビからも離れてしまった自分は、いまもこんなにドラマを楽しみに見る人がいるのか、と不思議な気持ちで眺めている。

最後に見た(民放の)連続ドラマは何だったのか、wikiで調べてみたら「ショムニ」だった(古)

しかも、最後のシリーズは見ていないから、2000年くらいでテレビでドラマ視聴はしなくなった。
この時期のドラマはこれしか見ていないし、この前に全話見たのは「愛していると言ってくれ」

その前は「高校教師」(知ってる人いるのか)

いやぁ、歳がバレるね(もうバレてる)
wiki見てわかったけど、そもそもドラマに興味がなかった、昔も今も。
上記のドラマにしたって、同年代のそれ以外のドラマはタイトルさえ知らない。むしろドラマを見ることのほうがイレギュラーだった。

NHKの大河ドラマは見ることもある(「光る君へ」は見ている)けれど、NHK+で追っかけているので、テレビでは見ないし、リアルタイム視聴じゃない。
家康は早々に脱落したので、連続ドラマは鎌倉殿以来だ。

私の父は何に対しても異様に厳しい人で、テレビも自由に見ることはできなかった。家のテレビといえば、相撲か野球かニュースしか映ってなかったので、子どものころから「毎週決まった時間にテレビの前にいる」という習慣がなかった。

テレビを自由に見られないこと自体は嫌ではなかったけど、次の日学校で友達の話題に乗れない、というのは切実に困った。話に入れないのでけっきょく読書に逃げて、ますます本の世界に没頭することになった。
大人になれば「私テレビ見ないんですよー」で済むけど、子どもの狭い世界で共通の話題がないというのは簡単に詰んでしまう。いまの子どもたちは忙しいから、テレビは共通の話題ではなくなったのかな。でも、きっと別の何かが語られていることだろう、仲間を区別するなわばりとして。

子どものころは言うに及ばず、大人になってもテレビを見ないのは、単に習慣づかなかったこともあるけど、その時間にテレビの前にいなければならないという拘束感が苦手、というのもある。
毎週同じ時間にテレビの前にいる、それが一定時間続く、その時間を確保するためにほかの時間の使い方を調整する、それら全部が苦手だ。

じゃぁ仕事はどうなの、という話になるけど。
私の仕事はリモートできず、毎日決まった時間現地にいなければいけないので、テレビ視聴より拘束感があるかもしれない。でも、拘束されているのは出勤するということだけで、仕事自体は裁量も大きいし、報酬もある。
そもそも食べていけないしね、仕事しなければ。

報酬ということでいえば、決まった時間拘束されるという意味で映画館も若干苦手だけど、時間を多少選べるし、そこでしか得られない「報酬」が大きいから我慢できる(我慢してまでは見てないけども)
逆に、映画は長い拘束時間に見合うものが得られるか、というのを考える。
だいたいは「配信を待ってもいいか」となる。

テレビドラマにも毎週連続して時間を使うだけの報酬がある。
それは最終回まで走り切った人しか得られないのですごいことだな、と思うと同時に、少しうらやましい。
いまや、民放ドラマも見逃し配信があるし、録画してもいいのだから拘束されてはいないし、視聴するハードルは低そうだけど、もうひとつドラマが苦手なわけがある。
長くなったので、それはまたあらためて。

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