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恥の閾値

ストリートピアノでワルトシュタインを弾いている人がいた。
でも、それがワルトシュタインだとわかるまでに、ものすごく時間がかかった。
たどたどしいというほどではないけれど、流れが切れていて、しばらくは現代曲かと思うほどだった。

でも、演奏は堂々としていた。
堂々と大きな音を出し、堂々と間違えていた。
その場の微妙な空気に負けていなかった。
何より楽しそうだった。
楽しそうに全身で弾いていた。

共感性羞恥でこちらがやられそうになって、最後までは聴けなかった。

単純に、すごいな、と思った。
その人は別にそんなに勇気を振り絞らなくたって、ストピの一つや二つは難なく挑めるのかもしれない。
聴衆を前にグランドピアノを弾ける機会なんてそんなにないし、その場を楽しめればそれが一番だし。

でも、すごいと思う。
聴衆が辛抱強く聴かなければ何の曲かわからない。
それを披露できることが。
挑戦する気持ちが、恥をかきたくない気持ちを上回るのがとにかくすごい。

私は、レッスンの場でもできるだけ失敗したくないと思っている。
失敗しなければレッスンにならないし、実際に失敗だらけなんだけど、でも、できる限り失敗したくないと思っている。
失敗したくないと思いすぎて体がカチコチになり、逆に思い切り失敗を繰り返す、みたいなギャグになっているけれど、そのくらい失敗したくない。
失敗を恥と感じるからだ。

というようなことを書くと、イノベーションの起きないダメな職場の上司の典型のようだ。
職場でミスを一番たくさん報告するのは私なのだが、ウチの業界はミスを共有して蓄積していく文化があるので、恥の感情に結びつきにくい。
たぶん、部下のほうは、私に報告するときには、多少恥ずかしいと思っていると思うが、私にとってはミスの情報共有のほうが大事なので、報告してくれたらむしろ感謝してミス自体はまったく問題にしない。

そんな思考でレッスンも受ければいいはずなのに。
レッスンでミスをすると恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。
しばらく立ち直れない。
先生がなんとも思っていないのは知ってる。
それとこれとは別。

たまに、あのワルトシュタインを思い出す。
たどたどしいというのとは違う、変に堂々としているのだけど、何の曲かなぁとこっちが不安になるような。
でも、とても楽しそうな。

恥に限らず、私はいろんなことの閾値が狭い。
少しふらつくと平均台から落ちるように、OKとNGの幅がものすごく狭い。
レッスンでのミスはこの世の終わりかと思うほどダメージが大きい。

ワルトシュタインの人みたいに限界突破したいわけではないけど、いい塩梅に「まぁいいか」と思えるようになりたい。


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