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友好的関係

レッスンの一曲目はいつも途轍もなく緊張するけれど、苦手な曲だったこともあって、その日は出だしから全然弾けなかった。
指が動かないというか、鍵盤を捉まえられないというか。
何回弾きなおしても一小節も進めなくて、なんか無理かも、と思った。
そして、唐突に椅子から立ち上がった。
先生、ビックリしたと思う。
何も言わず急に立って、なにこのヒトって。
私もビックリした。
なぜ立ち上がったのか、自分でもよくわからない。
あまりに弾けなくて、どうにか事態を打開しないと、とパニックになった。
立った瞬間ふと、このまま帰ろうかな、と思った。
今日はもう弾ける気がしない。

でも、けっきょくすぐ座った。
そんなことで帰るのは子供じみているし、せっかくレッスンに来たのだし、先生にも失礼だし(いきなり立った時点で十分失礼だった)等々、そういうまともな理由はどれも頭に浮かんでいなかった。
どうであっても、先生には私が本当に弾けているのかわかるはず。
だから、やっぱり弾こう、と思い直しただけだ。
めちゃくちゃな演奏だったけど、どうにか最後まで弾き終えた。

ところが、3曲目でまた弾けなくなってしまった。
もう全然指が動かない。
なので、ずっと前から感じていたことを先生に正直に話してみた。

レッスンの一曲目がなんであんなに緊張するかというと、ピアノに拒まれている感じがするんです。なんか『ごめんなさい』という気持ちになります。

素人の私に簡単に扱える楽器だとは思っていない。
でも、扱える扱えない、弾ける弾けない、の前に、ピアノに拒絶されている感じがしたのだ。
上手に弾けないからそんなふうに感じるのでは?と思ったこともあるけど、そうではなく。
簡単に弾かせてやらないぞ、というような、試されている感覚でもなく。
拒まれている感じ。
ピアノの顔色を窺って弾く前からビクビクしてしまう。
最初の一音を鳴らすと、鍵盤が鉄の塊のように重く感じられて、やっぱり「今日も無理だな」と思う。
その日もピアノが怖くて、最後まで何一つうまくいかなかった。

家に帰って、レッスンの簡単な感想を書き留めてあるノートを見返してみた。最近は、
「緊張で音が聴こえない」
「ピアノからすごい威圧感」
「今日も駄目だった」
みたいなネガティブなことしか書かれていなかったのだけど、ある日のレッスンの記録に小さく書かれているのに気づいた。

「ピアノを力で抑え込もうとしない、と言われた」

どんな状況でそう言われたのか全然覚えていなかった。
というより、言われたことも覚えていなかった。
とてもショックだった。

ピアノを抑え込むってどういうこと?

力で抑え込もうだなんて。
でも、たぶん先生から見ても、ピアノと私が決していい関係ではなく、むしろ私が支配的に振舞っていると感じられたんだろう。
普段厳しいことを仰らない先生があえて口にしたのなら、そういうことだ。

次のレッスンの日。
ともかくたっぷりと練習して臨んだ。
練習は裏切らないだろうという気持ちで。
でも、ピアノの前に座ったとたん、私がどのくらい練習したか、きっとピアノもわかっている、と唐突に思った。だったら、ピアノを信じて弾くだけだ、と。
そして、落ち着いてゆっくりめに弾いた。
最後まで止まらずに弾けた。
自分でも、今のは悪くなかったなぁと感じた。
先生も前回との違いにすぐ気づいてくださって、「いますごくいい音が鳴っていましたね」と仰ったので、ノートに書かれていたことを話した。

自分ではピアノを力で抑え込もうなんて思っていなかったんですけど、でも友好的な関係でもなかったって反省したんです。
だから、ピアノに敵対的な気持ちになるのは止めようと思いました。

先生は、そういう変化を「音で分かりました」と伝えてくださった。
明確に音が変わった、ということが何よりも嬉しいことだった。

けっきょく、ピアノに拒まれているように感じるのも、友好的に感じるのも、自分の心持ち一つだ。
人間関係にも似ている。
この人とは仲良くなれない、という拒否的な気持ちは自然に相手に伝わってぎくしゃくしてしまう。
逆に、ある程度素直に自己開示して胸襟を開けば、相手もそれなりの距離感でいてくれるということだ。

その後の私は、友好的からもう一歩下がって、ピアノにいい音で鳴っていただく、というようなスタンスでいる。
練習だけは日々怠っておりませんので、どうかひとつ、という気持ち。
今回のことはいつまでも忘れないように、ノートに新たに書き加えた。



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