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あなたに知ってもらいたい人がいる!・・・イギリスの大作曲家、ヴォーン・ウィリアムズ

〜編集より〜
今回は8/3ズーラシアンブラスvs新日本フィルで演奏する予定のV.ウィリアムズ「テューバ協奏曲」にちなんでV.ウィリアムズ特集ですが、なんとオトの楽園岡田氏はV.ウィリアムズ協会員ということで、V.ウィリアムズ協会および協会員より貴重な資料画像などを観ることができる貴重な機会ですのでお楽しみください!

日本のクラシック音楽ファンにとって「イギリスの作曲家」と聞いてイメージするのはどのような顔ぶれだろうか。まず思い浮かぶのは、行進曲《威風堂々》などで知られるサー・エドワード・エルガーだろう。次に思い浮かぶのは組曲《惑星》の作曲者であるグスターヴ・ホルストや数多くのオペラ作品で知られるサー・ベンジャミン・ブリテンなどが続くだろうか。サー・ウイリアム・ウォルトンもなかなか人気のある作曲家だろう。吹奏楽を親しんでいる人にはサー・マルコム・アーノルドの名前も挙がるかもしれない。そのほかにもそれぞれの音楽的環境によりその作家の名前は複数人浮かぶと思う。

エルガー以降の英国の作曲家は群雄割拠、枚挙にいとまがない。しかし、エルガー以前、特に古典派、ロマン派時代のイギリスは「作曲家不毛の地」と位置付けられ、大陸の国々の有名作曲家が稼ぎに来る「出稼ぎ地」であった。そのような状況にあったからこそ、エルガーの登場は「パーセル以来の国際的作曲家」と言われるのだ。ヘンリー・パーセルはバロック時代の作曲家でバッハよりやや先輩の世代であるので、英国の暗黒時代がかなりの長期間に及んでいることがわかるだろう。パーセル以前にもウィリアム・バードなどの作曲家がいる。そう考えると最初からイギリスが「音楽不毛の地」であったわけではないのだ。

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1900年代初頭のエドワード・エルガー

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作者、制作年不明「ヘンリー・パーセル」

とはいえ、英国を構成している地域であるイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドには多くの民謡があり現在も広く親しまれている。「埴生の宿」や「アニーローリー」「ロンドンデリーの歌」そして日本では「蛍の光」として知られる「オールド・ラング・サイン」もスコットランド民謡である。その多くの民謡の中に、もう1曲「グリーンンスリーヴス」という曲がある。おそらく読者の方々もよくご存知の曲と思う。この民謡は本来イングランド民謡であるのだが、印象深い旋律は多くの作曲家の想像力を刺激し、それに派生した作品を残している。前述のホルストの《軍楽隊のための組曲第2番》にもこの旋律が引用されている。その中でもレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの《グリーンスリーヴスの主題による幻想曲》は原曲の雰囲気を生かしながら、作曲家の技術や音楽的発想により一層の輝きを放つ作品となっている。

我が国においてレイフ・ヴォーン・ウィリアムズは、この《グリーンスリーヴス幻想曲》が一般的にはよく知られているだけであろう。吹奏楽や金管楽器を親しんでいる人には《イギリス民謡組曲》や《トッカータ・マルツィアーレ》といった吹奏楽作品や《バス・チューバ協奏曲》がコンサートピースとして演奏されているし、弦楽器に親しんでいる人には《あげひばり》という作品がよく知られているだろうか。その他にも多くの合唱作品や声楽作品もあり、作曲家としては多作な人物といえる。

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「ヴォーン・ウィリアムズ(1917年)」©️Vaughan Williams Charitable Trust.

日本ではいまいち知名度が低いように感じるヴォーン・ウィリアムズであるが、本国ではホルストやエルガー、ウォルトンやブリテンに勝る知名度と尊敬を持つ大作曲家なのだ。日本と比べイギリスでは自国の作曲家の作品を日常から多く耳にすることができる。各地のオーケストラの演奏会でも自国の作曲家の作品は日常的に、そして頻繁にプログラムに載るし、英国公共放送B B Cのクラシック・ジャズ専門ラジオチャンネル「RADIO3」でも毎日のように英国の作曲家の作品を聴くことができる。その中でもヴォーン・ウィリアムズの作品は他の作曲家に比べて多く取り上げられているのだ。英国では「グラン・オールドマン(偉大な老人)」と尊敬を持って称されている人、それがヴォーン・ウィリアムズなのである。そのような偉大な業績を残したのは、もちろん彼の音楽的才能であるのだが「自分が書きたい曲だけを書いたこと」と「長生きしたこと」というのも重要な要素であったのかもしれない。そして多くの人を愛し、多くの人に愛されたその人柄によるところも大きい。今回は英国に本部を置くレイフ・ヴォーン=ウィリアムズソサエティの会員である私が、日本ではまだまだ知られていない「グラン・オールドマン」ヴォーン・ウィリアムズについて、その偉業の一端を読者に伝えたいと筆を執った次第である。


まず、多くの方々に伝えたいことがある。彼の名を記述する際に「ヴォーン・ウィリアムズ」と記述する方が我が国には多い。一般的な愛好家のみならず音楽の専門家でもそのように記述することがある。「ヴォーン」が名で「ウィリアムズ」が姓のように見えるが、厳密にいえば彼の名前は「レイフ」であり「ヴォーン・ウィリアムズ」はハイフンなしの二重姓なのだ。私は自称「ヴォーン・ウィリアムズの正しい呼称を日本で広める会」の会長として声を大にしてそのことをまず伝えたい。ドイツの建築家ミース・ファン=デル=ローエや吹奏楽作品を多く作曲しているヤン・ヴァン=デル=ローストなどと似たようなものである。パソコンの入力が面倒かもしれないが、このコラムを読んだ皆さんは是非覚えておいていただきたい。

「レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ」と書くのは長いし面倒であることは私も同じである。そこで便利な記述方法を紹介したい。読者の皆さんもぜひ使用していただきたい。彼の本名を英文表記すると”Ralph・Vaughan・Williams“である。ちなみに名前は一般的には「ラルフ」と発音するのだが、彼は「レイフ」という古風な発音にこだわったので、私も「レイフ」と発音している。この英文名の頭文字を取ると「RVW」となる。これだとたった3文字であるし、何よりも「専門家」っぽい。これからは是非ともこの「RVW」を多用していただきたい。これから文中で私も「RVW」を使用していきたい。文字数を稼ぐには「ヴォーン・ウィリアムズ」を用いるのが都合が良いのだが、そのような浅ましいことはしない。それが英国紳士のたしなみだ。


RVWは1872年にイングランドに生まれた。父親は牧師であったが彼が3歳の時に亡くなった。そのため彼は母親の実家で育つことになる。そのことが彼の生涯にとって大きな出来事であったといえる。母方の実家は英国王室御用達の陶器メーカでもある「ウエッジウッド」であり、RVWはウエッジウッドの創業者の玄孫である。加えて「進化論」で知られるチャールズ・ダーウインは彼の大叔父にあたる。

貴族ではないにしても、相当な上流階級で育ったRVWは上流階級の子息同様「パブリックスクール」と言われる全寮制の寄宿舎学校を経てケンブリッジ大学に進み歴史と音楽を専攻し、王立音楽院でも学んだ。その頃作曲を学んだのはチャールズ・スタンフォードとヒューバード・パリーである。この二人はエルガーより少し先輩に当たる作曲家であるが、エルガーが「パーセル以来」と称される中、この二人は充実した作曲活動をした「中興の祖」的な位置付けの作曲家で、お互いが「ライバル」でもあった。またRVWの王立音楽院時代の同級には「オーケストラの魔術師」と呼ばれ、ディズニーのアニメ「ファンタジア」にも関わったレオポルド・ストコフスキーがいる。その後はドイツで《ヴァイオリン協奏曲第1番》などで知られるマックス・ブルッフに師事し、フランスではモーリス・ラヴェルに学んだ。RVWについて「ラヴェルに師事して唯一成功した大作曲家」と呼ぶ人もいる。

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チャールズ・スタンフォード(撮影年不明)

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ヒューバード・パリー(1892年)

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マックス・ブルッフ

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モーリス・ラヴェル(1925年頃)

音楽の講義や指揮をする活動はしていたものの、彼の作曲家としてのデビューは30歳の時であった。作曲家としては「遅咲き」といえよう。実は私も色々あって指揮者としてのキャリアのスタートは30歳であった。彼は10月12日生まれなのだが、私は1日違いの10月11日生まれであるというのも彼にどこかシンパシーを感じる一つのエピソードなのかもれない。最初の交響曲も30代後半であったが、ベートーヴェンと同じ9曲の交響曲を生涯に作曲した。どの作品も非常に上質な作品であり、各曲とも彼の音楽語法の中にさまざまなスタイルを見せる。彼の交響曲の中でも高い評価を受けている《交響曲第5番》はその時代にはまだ存命であり、RVWが尊敬してやまなかった作曲家シベリウスに献呈されている。表題のついている交響曲もいくつかあり、年代順に《海の交響曲》《ロンドン交響曲》《田園交響曲》《南極交響曲》がある。《南極交響曲》は彼の映画音楽「南極のスコット」からのリメイク作品であるが、単なる「使い回し」ではない堂々たる作品だ。

委嘱された作品も幾つかは存在するが、RVWの作品は彼と親交があった人物や団体のために作曲された作品が多い。「自分の好きな人のために」多くの作品を書いた。それは彼が上流階級、特権階級の人間であるにも関わらず「平等主義」「博愛主義」を生涯の哲学としていたからともいえる。一部に彼のことを「社会主義者」とか「共産主義者」と評する人もいるが厳密には異なると個人的には考えている。彼は「人間主義者」であったのだ。また、実家がウエッジウッド家であったことも少なからず「好きな曲を書くことができた」一要因とも言える。

彼は英国各地の民謡を収集、編纂するという活動にも熱心であり、多くの民謡に基づいた作品を残している。もちろん声楽の作品が主となるが管弦楽曲や吹奏楽曲にもイギリス民謡をテーマとしたものが多く、吹奏楽曲の古典と呼ばれている《イギリス民謡組曲》は、当時吹奏楽オリジナル曲がなかった時代に初めて作曲された本格的作品と言われている。音楽院時代からの友人でもあるホルストの2つの組曲とともに、吹奏楽の古典として位置付けられている作品だ。私がRVWの作品を最初に演奏し、指揮したのもこの《イギリス民謡組曲》であった。ホルストをはじめとして、知られざる名作曲家の一人であるアーノルド・バックスもRVWと親交の深かった人物で、占星術に詳しかった彼の弟の影響で生まれたのがホルストの管弦楽曲《惑星》なのである。彼の周りには生涯を通してたくさんの「友人」が彼を中心にして存在する。

彼の作品を多く初演し、作品を献呈された指揮者が二人いる。サー・エイドリアン・ボールトとサー・ジョン・バルビローリだ。日本ではバルビローリの方が知名度も人気も高い指揮者で、私もバルビローリの演奏は情熱と愛に満ちており愛聴している。もう一人のボールトは日本ではあまり知られていない指揮者ではあるが、現代を代表する指揮者サー・サイモン・ラトルが「ブラームスの解釈においてはボールトに学んだ」と言わしめるほどの大指揮者であった。そのブラームスの交響曲全集をはじめとして近年評価が高まっている。ボールトは多くのRVWの作品を初演し、録音も複数タイトル残している。RVWの音楽を知る上で非常に重要な指揮者である。BBC交響楽団の生みの親でもあり、BBCの音楽監督も歴任したボールトはホルストの《惑星》全曲の初演者でもある。RVWとともにもっと我が国で知られてほしい英国の音楽家だ。

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石橋和訓「エイドリアン・ボールト卿」(1923年)

ボールトとバルビローリは私が指揮者として尊敬し、また多大なる影響を受けている指揮者である。もう一人の巨匠バルビローリはイタリア系ということもあるし、自身はチェロ奏者ということもあり非常に「歌う」指揮者だ。「歌う」だけでなくそこには大きな「愛」と強い「情熱」がある。そのバルビローリのエピソードとして印象深いのは、第2次世界大戦中、幾多の空襲にイギリスが襲われた際、オーケストラとともに演奏やリハーサルをしていた彼は、オーケストラのメンバーの避難を先導し、全員が避難するのを見届けてから自分が最後に避難したそうである。自分の身の安全ばかりを考えて先に逃げるような人間ではない、まさに「オーケストラは家族」というモットーで愛し「オーケストラの父親的存在」としての役割を実践した彼の姿を知ることができるエピソードである。私もかくありたいと思う「規範」である。

そのバルビローリが初演に携わったのがRVWの《チューバ協奏曲》である。現在ではオーケストラのオーディションやコンクールなどで必ず課題となるこの協奏曲は、音楽史上初の「チューバのために書かれた」協奏曲である。現在我々が知っているチューバがオーケストラに通常使用された歴史は浅く1800年代中盤以降である。その頃からオーケストラ曲に使用され始めた。独奏曲としても19世紀、20世紀に多くの作品が書かれ、代表的なものにはドイツのパウル・ヒンデミットのソナタなどがあるが、協奏曲は1954年に作曲されたこの曲までなかったのである。この作品はロンドン交響楽団の創立50周年を記念して作曲され、同団のチューバ奏者カテリネットの独奏、バルビローリの指揮で初演され、同団に献呈された作品である。「5音音階」という民謡特有の音階を用い、親しみやすい旋律で人気のある作品であり、東洋風な旋律でもあるため日本人のDNAにもどこか訴えるものがある作品であろう。RVWの作品においては《交響曲第8番》がバルビローリに献呈されている。また《ジョン・バルビローリを讃えて》という管楽作品があることもRVWとバルビローリの特別な関係を窺い知ることのできる逸話である。

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「1952年《チューバ協奏曲》を作曲していた頃のヴォーン・ウィリアムズの全身写真」 ©️Allan Chappelow

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「1952年《チューバ協奏曲》を作曲していた頃のヴォーン・ウィリアムズ」 ©️Allan Chappelow

このようにイギリスの音楽界から多大な尊敬を集め、英国音楽に歴史的貢献をした「偉大な老人」であるRVWがイマイチ我が国で知名度が低いのは、他の英国の作曲家が持っている「ナイトの称号」がないからかもしれない。ナイトの爵位、つまり「サー」の称号は貴族として列せられた証として英国王(女王)から与えられるもので、社会的地位を確立する一定の「箔付け」効果が現代でも少なからすあるものだ。良い意味でも悪い意味でも「階級社会」の英国ではその意味は大きいだろうし、出自や家柄に対する意識の強い日本人にも爵位があるかどうかのイメージでその人の印象が左右されるということもあるのかもしれない。だが、RVWにその称号がないことは少し事情が異なるのだ。

彼の社会主義的政治信条もその理由の一つではあるのだが、サーの称号を授与するという話が来ても彼は「勲章なんていらない」とか「別にナイトになる必要もないし、なりたいと思わない」と言って断っていたのである。さすがはウエッジウッド家のお坊ちゃんと思われる態度ではあるが、実はRVWは一つも勲章をもらっていない「アウトロー」ではない。そして、その勲章を持つという事実を知ることで、彼が英国を代表する偉大な作曲家であり「グラン・オールドマン」と尊敬されている理由がわかる。しかもそれを叙勲したときの彼もまた彼らしい言葉を残している。

彼がもらった勲章は英国で最高位の勲章である「メリット勲章」。この勲章には「定員」があり24人しかいない。勲章を受けている人が亡くなると人が補充されるというシステムになっている。この勲章は地位や家柄ではなく功績によってのみ受章者が決まる勲章である。もちろんRVWの業績を持ってすればメリット勲章の受章は当然のものであるが、通常は別の勲章を受けてからメリット勲章を受けるものが多いなか、彼は一気に、そして唯一この最高位の勲章を受けたのである。しかも彼は「国王との個人的な友情の証」としてメリット勲章を受けた。どこまでも「カッコいい」男だと私は思う。ちなみにそのときの国王は、映画「英国王のスピーチ」の主人公ジョージ6世の父であるジョージ5世であった。エリザベスII世女王の祖父である。

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「1932年、ブリンマーでのヴォーン・ウィリアムズ」©️ウルスラ・ヴォーン・ウィリアムズのコレクションから

ほんのサワリではあるが、RVWの英国近代音楽界での存在の大きさや、音楽史的位置付けについておわかりいただけただろうか。《チューバ協奏曲》だけでなく、多くの彼の作品が日本でも多く演奏され、認知され、愛されるために微力を尽くしたいと思っている。来年2022年はRVW生誕150年のメモリアルイヤーである。英国をはじめとして多くのオーケストラが彼の作品に光を当てるに違いない。日本でどれだけの数のオーケストラが彼の作品を取り上げるかはわからないが、普段よりも多くのRVW作品を演奏会で楽しめることを願って止まない。また、ここだけの情報だが彼の新しい伝記が来年日本で翻訳出版されるという話を聞いた。またひとつ、来年の楽しみが増えた。

RVWの写真提供; Rosie Johnson MBE (The Vaughan Williams Charitable Trust)
協力;Hugh Cobbe OBE ( Chairman of The Vaughan Williams Charitable Trust), Mark Hammett (Ralph Vaughan Williams Society), Graham Muncy (Ralph Vaughan Williams Society)

「オトの楽園」
岡田友弘(おかだともひろ)
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻卒業。その後色々あって桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンもいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆も行っている。日本リヒャルト・シュトラウス協会会員。英国レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。

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