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はたらけばシアワセが待っている

「はたらけばシアワセが待っている」
「諦めなければ 努力は君に応えるよ」
「動き続ければ 女神は君に微笑むよ」

確かに、働きがいを見出せばシアワセはあるのかもしれない。「労働」を否定するものではない。

しかし、この曲にはどこか狂気じみた何かを感じるのだ。ずっと働き続ければ何かがみえるのではないかというメッセージを皮肉っているようにも見えるのだ。

さて、最近はスポーツ観戦に応援にハマっている私だが、応援組織やスポーツ組織というのは厳しい鍛錬に耐えて実績をつくっていくものだ。

そして、応援組織は基本的にはスポーツ選手や地域社会を後押しする存在にすぎない。パフォーマンスをして多少の報酬をもらったり、応援コンテストというのが社会人野球にはあったりはするが、基本は競ったり、多額の報酬を貰ってお金儲けする手段でもない。プロ野球の応援団はボランティア同然だ。

こういう組織であるゆえ、「動き続ければ、諦めなければ」、何かが見えるかもしれないという見えない答えを追っているのが応援組織というものだ。

見方によってはキツイ練習の割にあわないと捉えられるのだ。

それゆえに、応援団の練習は「労働」だと言ってた者もいた。そう言っていた彼は応援団を辞めていった。

さて、応援という名の「労働」は幸せをもたらすのだろうか。これは人によるとしか言いようがない。合わない人には合わない。ただやり通した時の景色、喜び、人間関係というのはそれを続けた人にしか見えない貴重なものとも言えるだろう。

そして、やはりこれだけのパフォーマンスが出来るのもそれなりの練習あってのことだろなと言うのも、伝わる。

だが、これは一種の洗脳ではないか、悪質な宗教ではないかと思う時もあるのだ。実際、応援団に限らず体育会系組織では行き過ぎたイジメやハラスメント、暴力がたびたび問題となる。ひとたび入ってしまうと辞めることも容易ではないこともある。

さて、ここまで体を酷使して、応援する必要はあるのかという疑問がうまれる。もちろん労働に対してもそうだ。何のために応援するのか、働くのかそういうジレンマに陥ってしまう。

現代は娯楽も仕事も多様化しています。それゆえ、応援団のような組織や体育会系な企業も時代の要請には合わなくなりつつあるのではないかとも感じる。現代の要請は緩やかな衰退をしつつ、無理をしない社会にしていくというものだと思います。また、応援団のような上位下達、お上に従順な組織ではなく、規制には抵抗すべきな気がします。

ただ、こう言う考えになるのもヤル気のない人の意見のようにも思えるのも事実。実際ここまで日本を牽引してきた人も、これから日本を牽引しそうな人も人並み以上の意欲に溢れているのだから。そして、このような体育会系組織がなくなるのも面白みに欠けてしまうとも思える。

ただ、ひとまずの自身の結論として、体育会系組織や応援団は存在意義はあるが、絶対に無理は禁物だし、辞めたければ一度休んで別な視点を養う期間というのは必要だと考えている。

恐らく、時代は「前者」になっていくものだし、この皮肉が広く受け入れられるのもそう遠くないように思えます。この曲には考えさせるもの、刺さるものがあります。

一方で、応援(労働にも通じる所もある)をどう考えるかは東京大学運動会応援部の新歓向けの記事で結構面白いこと書いている。応援や組織の意義について前向きな結論を見出しているので、オワタPの皮肉を吹き飛ばしそうです。

さて、「はたらけばシアワセが待っている」は呪詛なのか!?それとも活力を引き出す言葉なのか!?

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