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【自己紹介⑨】「終わった、終わってしまった」と覚悟した瞬間

前回までの自己紹介


作家事務所に所属しての作曲家としての活動をしている中で、

機動戦士ガンダム主題歌に楽曲が選ばれるなど、徐々に曲が採用されるようになり「作曲家としてなんとかやっていけるかな」と思い始めていました。


そんな時、大事件が起きてしまいました。

終わった瞬間


ある音楽制作会社から楽曲募集の話があったので、楽曲を提出したら「採用」。それも「すぐにレコーディングに入る」との嬉しい知らせが入りました。

それまで、採用される楽曲はアニメの主題歌などで使用されることが多かったので、別の分野...いわゆるアーティストに楽曲を提供できる「アーティストもの」ということが余計に嬉しかったのです。

そんな時、私が作家事務所に提出していた楽曲の中に、レコード会社で「ペンディング」の状態になっていた「楽曲A」という曲がありました。

楽曲コンペの流れ・ペンディングの様子

「ペンディング」というのは、いわゆる「保留」ということなのですが、

作曲家からしたら「ペンディング」は「採用」の前の段階、その状態から実際に採用されることも多く、私にとっても「ペンディング」の状態は、プラスかマイナスかといえばプラスの状態でした。

でもその「楽曲A」は1年以上も「ペンディング」の状態だったので、これは採用される見込みはないと判断し、作家事務所のマネージャーに「『楽曲A』を引っ込めておいてください」と、ペンディングから外して貰えるようにお願いしていました。

そして、私が「アーティストもの」の楽曲として音楽制作会社に提出した曲こそ「楽曲A」。

「ペンディングから外れ、他で使用できる」と思っていたので、前述の「アーティストもの」の楽曲として、別の音楽制作会社に提出したのです。

そして、めでたく「楽曲採用」。

その連絡を作家事務所に報告すると…
「『楽曲A』は採用され、レコーディングも終わっていました」とマネージャー。

「えー!『楽曲A』はペンディングから外してくれるようにお願いしたじゃないですか」と言うと「すみません、レコード会社に伝達するのを忘れていました」と。

もう言葉も無くなりました。
「曲がダブって」しまったのです。


マイナスからのスタートを切る覚悟


「終わった、終わってしまった」「信頼を失ってしまった、もう作曲家としては活動できないのはないか」...
やっと「作曲家としてやっていけそう」と思い始めていた矢先、奈落の底に落ちてしまったかのように落ち込みました。

高校二年生の時から、音楽の道を歩み始めバークリー音楽大学に留学、帰国後もコンペに落選しまくりながらやっと楽曲が採用され始めた作家活動...今までやってきたことが、音を立てて崩れていきそうな感覚、そして恐怖を感じました。

でも….思えば私の人生を振り返ってみると、「マイナスからのスタート」ばかりだったのではないか…

小学校に入学する際も、私は両親から「こいずみ」という文字しか教わらずに小学校に入ったり(「知ってる知ってる、分かってる分かってる」より「えっ知らない、ちゃんと聞かなければ」…先生や人の話をよく聞くように、という両親の考えからです。)

他にも、
「君がバークリーに行っても仕方ないんじゃない?」とギターの先生に言われた東京の音楽専門学校時代や、

ジャズギターのテスト合格のたに四苦八苦したバークリー音楽大学留学時代

など、「マイナスからのスタート」だらけだったのです。

そういえば、中学で陸上部に在籍していた時、試合中前を走っている選手を「後ろから抜く」ことが自分にとっての「いきがい」だったので「マイナスからのスタート」は慣れていたし、むしろ「得意」だったかもしれません。そうだ、今回も「マイナスからのスタート」。


「終わり」がもたらした「はじまり」


何よりも、せっかく楽曲を採用して頂いたのに、曲がダブってしまい「楽曲A」が使えなくなってしまい大きな損害を与えてしまった...「音楽制作会社にお詫びをしなければならない」「こっちの事ばかり考えている場合ではない」と、土下座覚悟で音楽制作会社にお詫びのため伺いました。

「お前なんて、この世界で生きていけないようにしてやる」… と、もうメチャクチャ怒られることを覚悟していた私に音楽制作会社の社長は「アルバムに入れる曲、1曲減ってしまったから、もう1曲書いてよ」と。

もう「九死に一生を得る」とはこの事。一度は死んだ身になっていた自分にとっては、ただたただ有難いお言葉

誠心誠意、魂を込めて新しい曲を書かせて頂きました。
そうしたら、「前の曲よりいいよ」と社長に言っていただけ、本当に嬉しかったとともにホッとしました。

この時の体験、私にとっては宝物になりました。もし楽曲がダブっていなければ….音楽制作会社の社長にはお会いしていなかったはずです。

いち作曲家が音楽制作会社の社長にお会いすることなんて通常では考えられないことです。それが、私がミスを犯してしまったことがきっかけで、社長にお会いすることができそして、今日に繋がる道が拓けたことができたからです。

それまでも、自分は「マイナスからのスタート」だと思っていましたが、更に、強く「マイナスからのスタート」、そして目の前にある失敗に潰されないように頑張ろうと思うようになりました。

「失敗は成功の元」…ミスが出たら成長へのチャンス全身全霊でそのミスに向き合い二度と同じミスをしないように具体策を講じる、そして「成長」する。その後自分が指導者として生徒さんを指導する場合もミスが出た生徒さんに、指導しつつ「自問自答」、自分に言い聞かせるようにしています。

そして...「九死に一生を得る」ことになった私は、その音楽制作会社から依頼を貰って楽曲を提供できるようになっていきました。

そんな時に言われた社長からの一言
「君、歌うまいね。ウチのアーティストやアーティストの卵に歌を教えてあげてよ」。

この一言が、私の次のステップである「ボイストレーナー」への本格的なきっかけとなったのです。
この音楽制作会社時代、私自身がメジャーデビューできたりメチャクチャ「濃い」時代、今に繋がる重要なものをいっぱい吸収させて頂きました。

次回は、そのあたりのことをお話しさせて頂きたいと思います。

小泉  誠司



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