【自己紹介⑪】嫌な予感からメジャーデビューへ
「英語でなんかカッコいいユニット名を考えて欲しい」
ある日社長から言われました。
聞けば、私の生徒さんでもある「アーティストの卵」をデビューさせるにあたり
個人名よりユニット名の方が共感を呼びやすいから、ということでした。
確かにその「アーティストの卵」の人のデビューに向けて一緒にデモテープを作っていたので、そろそろ本格的に始動ということか、と嬉しくもなりました。
でも、何かしら一抹の不安がよぎり...
「えっユニット?あとのメンバーはどうするんですか?」と社長に質問すると
「大丈夫だ。あとで見つけるから」と。
「????」...何か嫌な予感が。
でも頼まれたからには何かカッコいいユニット名を考えなければ…
在米中、「Will to Power」というユニットがヒットを飛ばしていたことを思い出し
「そうだ、ここから貰おう」と、我ながら短絡的なネーミングから「will to love」というユニット名が生まれました。
直訳すると「愛する意志」...なかなかいいかも。
社長にもOKをもらい、新しいユニット名は「will to love」に決定しました。
ユニット名が決まったので、ますますデモテープ作りにも熱が入っていきました。
そんなある日、社長に「おい、アー写(アーティスト写真)撮るぞ。用意しろ」と言われ「はっ?誰のですか?」と聞くと
「お前のだ、『will to love』のもう一人のメンバーはお前だ」と。
「えーーーーーーーー」
まさかのフロントマンに
「フロントマンにはなれない、ならない」という思いで、ある意味「裏方」のプロデューサーの仕事に落ち着いていたのに
表舞台に立たなければいけなくなるなんて….
これだったのか…社長から「ユニット名を考えて欲しい」と言われた時に感じた「嫌な予感」の正体とは。
雰囲気を察してか社長は「お前はプロデューサーとしてメンバーに入るだけだから、表には出なくてもいいよ」と。
よく考えると、それまでもプロデューサーとして一緒に音楽制作をして来ている訳だから、そこに「冠」がつくかどうかの話だし
やることは変わらないはずなので「わかりました。やります」と社長に言いました。
レコード会社は、「トーラスレコード」
あのテレサテンさんも在籍していたレコード会社だったので、とても光栄に思いました。
ただ、他にもレッスンしたり、テモテープを一緒に作ってデビューを目指していた「アーティストの卵」の人達はいたので、その人達より先に先生でありプロデューサーの私がメジャーデビューしてしまうというのは、何か憚れるものがあり、「君のデビューに向けても頑張るからね」とひとりひとりに話をしたのを覚えています。
アーティストとしての仕事
「will to love」のプロモーションビデオやCDのジャケット写真の撮影を行ったのはグアム。
今まではアーティストのプロモーションを行う同じ「裏方」として、撮影時一緒に仕事をしていたカメラマンやスタイリスト、メイクさん達が同行するのですが、今回は私も「撮られる側」ということでやはりいじられるわけです。
全然撮影しない木の上を指して「小泉さん、あの木の上に登ってください。あそこで撮りましょう」と木登りをさせられたり…笑
矢面に立たされる「アーティスト」の気持ちが少しはわかったような気がして、良い経験になったと思います。遊びではなく仕事で外国に行けるということが出来たのも、今となっては良い思い出です。
デビュー曲「SA・KU・SE・NN開始」は日テレ系の朝の情報番組「うるとら7:00」のエンディングテーマにも決まり、その後もシングル1枚、アルバム1枚をリリースしました。
ちなみにアルバムのタイトル「A PIECE OF CAKE」は在米時代、私が好きだった「朝飯前」「かんたんかんたん」という意味のスラングから取りました。
「Can you〜?」という質問に「Yes」ではなく「It’s a piece of cake」と答える人がかっこよく、
何事にも、そして難しいことに直面した時ほど「かんたんかんたん」と言えると思える人でありたい!と思いで私も好んで使っていた言葉でした。
今もそうですが、「a piece of cake」と思えること、言えることで、随分と助けられてきたので、記念すべきデビューアルバムには、この名前をつけたのです。
ホンモノを感じた「渡辺直由」
「A PIECE OF CAKE」の活動と並行して、「アーティストの卵」のデモテープ作り、他のアーティストのプロデュースと多忙な日々を送っていましたが、そんな中今も鮮烈に記憶に残っているアーティストがいました。
彼の名前は「渡辺直由」
あるアーティストのレコーディングを行っていた時、若い男性が事務所のマネージャーに連れられてやってきました。
スタジオの空き時間にデモテープの歌のレコーディングを行うためでした。
彼の声、そしてマイクをまるでお友達の様に愛おしそうに歌うその姿に、これは「ホンモノだ」と思いました。
その数ヶ月後に「渡辺直由」は東芝EMIからデビューしました。
洋楽が好きということ、声質や声域が近いということもあり意気投合することも多く、レコーディングではコーラスを担当することも多かったです。
私がネーミングした彼のデビューアルバム「Initialize」では、作編曲家、プロデューサーとして、そして初めてディレクターとして関わることになりました。
ところで、「プロデューサー」と「ディレクター」、どう違うのか?
音楽の現場では…
● プロデューサー:音楽そのものの制作…作詞家、作曲家、編曲家、ミュージシャン人選…etc.
● ディレクター:プロデューサー人選、レコーディングスタジオ選択、レコーディングスケジュール作成、マスタリングスタジオ選択及び日程…etc.
現場によって、多少の違いはあると思いますが、概して予算面から制作に関わるのがディレクター、予算面は関わらないのがプロデューサーということになります。
レコード会社の現場責任者がディレクター、制作会社等の現場責任者がプロデューサー、という形態が多いと思います。
ちなみに映像の現場では、プロデューサーとディレクターの役割は逆のようです。
「Initialize / 渡辺直由」では、東芝EMIの長井さんと共にディレクターとして携わらせて頂いたのですが、
今までは音楽のことだけを考えていれば良かったのが、予算面から考えなくてはいけなくなったので、最初は大変でしたが、このディレクターとしての経験が、その後独立して自身のレーベルを運営していく上で、とても役に立ちました。
ちなみに東芝EMIの長井さんは、椎名林檎さんのディレクターでもあるなど豊富な実績を持たれていた方なので、色々吸収させて頂けました。
誰もが惚れ込む才能の持ち主だった「渡辺直由」さん、実はその後アーティスト活動を引退してしまいます。
そして全く別の世界「ブラジリアン柔術」に飛びこみ、その後プロ格闘家として数々の大会で優勝するまでになったようです。
何をやっても「プロ」になれる人だったんだですね。
数年後に再会すると、「格闘技は勝敗がはっきりするので簡単。音楽の方が難しかった」と。
うーん、深いですね。
なにはともあれ、音楽制作時代は色んな才能に出会えた時代。
自分の成長には欠かせない経験をいっぱいさせて貰えました。
次回はそんな出会いの中で、最大とも言える今につながる運命を切り開いてくれた世界的ボーカリストとの出会いについて書きたいと思います。
小泉 誠司
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