【自己紹介⑩】夢の「プロデュース業」に携わった日々
▼ 前回までの自己紹介 ▼
「君歌うまいね。ウチの子たちに歌教えてあげて」
という音楽事務所&制作会社の社長の一言から「アーティストの卵」たちのボイストレーニング を行うことになりました。
「アーティストの卵」...具体的には事務所が開催したオーディションに合格し、メジャーデビューを目指す人達でした。
ボイストレーニングといっても単なるボイストレーニングではなく
「アーティストの卵」を「アーティスト」に成長させることが目的でした。
「ひとりひとりのビジュアル、性格、声質などの個性をボイストレーニングで伸ばし、その魅力を凝縮した楽曲を作って欲しい…要はプロデュースをお願いしたい」と社長。
えっ「プロデュース!」
高校2年から「なりたい!」と思い目指していたプロデュースの仕事が、私の起こしたミスのおかげで目の前に現れるなんて!
もう舞い上がりました!
まさに「ピンチのあとにチャンスあり!」
▼ピンチのど真ん中はこちら▼
プロデュースをするという、私の高校2年からの夢が叶いつつありました。
それも、「アーティストの卵」とのゼロからのスタート。
真っ白なキャンパスにデッサンから書き上げていくように、そこに何を描くか、何色にしていくかを決めていく
...本当にやりがいがある仕事、しかし一方で人の人生を左右しかねない責任がある仕事。
私にとっての「頭に浮かんだこと」が実現することへの喜びと共に、生半可な気持ちでは臨めない仕事、と身が引き締まる思いがしました。
今もそうなのですが、私の最終アウトプットはボイストレーニング ではありません。
私は「頭に浮かんだ事は実現できる」と言い続けていますが、レッスンを受ける人の「頭に浮かんだこと」の実現をサポートすることが目的なのです。
「アーティストの卵」の人たちにとってデビューという「頭に浮かんだ事」の実現が目の前にまでやってきている状態。
単に「歌をうまくする」ことを目的にするのではなく、その人がアーティストとして、また人として活躍できる能力を身につけてもらうこと、が目的でした。
人は自分のことは客観的には見えないもの、ましてまだ10代の若者ならなおさら。
「自分の力が通用するのか?」という疑問や悩み
「目的や目標が漠然としている」ことに対して
ボイストレーニングを通して、導いてあげるが私の仕事だと思いました。
なので、音楽以外の悩みの相談にも乗りました。
デビュー後も担当マネージャーにではなく、私のところに相談に来る人も多く、そういう意味では本当の意味での「プロデュース」が少なからずできていたのかともしれません。
ボイストレーニングが必要な理由
ところで私は「歌は習うものではなく、教えるものではない」と言い続けてボイストレーニングを行なっています。
その人が「楽しい」と思えばそれでいいと思います。
カラオケで楽しく歌って発散させたり、その場を盛り上げたり、人を勇気づけたり….
….歌は人として、また動物として必要不可欠な本能的なものだからです。
しかしながら
1. プロの実力を身につける
2. 喉を痛めない
…この2点において自力では解決できないと思ったら「プロ」の力が必要かもしれません。
私は現在も生徒さんには上記2点をして目的としてレッスンを行なっています。
中には「私はプロは目指していない」という方もいらっしゃいますが
プロのやり方が「一番簡単」すなわち「理にかなっている」のです。
どんな道でもそうですが、プロは毎日同じ質のものを提供しなければなりません。
声を職業にする人も同じ。
毎日同じ質の声や歌を提供するには「正しい発声や呼吸法」をマスターしなければなりません。
「ハイエンド」であるプロを実力を目指すことによって「喉を痛めない」も手に入るのです。
プロを目指す「アーティストの卵」の人たちにとって「プロの実力」は必要不可欠。
歌だけでなく、インタビューやテレビやラジオ出演の際の「話す声」の質も問われます。
喉を痛めて「歌えない」事態や、声が出なくて取材を受けれない事態を避けるためにも
「正しい発声や呼吸法」をモノにして欲しかったのです。
デビューまでの道のり
「アーティストの卵」のプロデュース。
具体的なプロジェクトとして行なったのは「レコード会社との契約を取る為のデモテープ制作」でした。
オーディションに合格しただけではデビューは出来ません。
通常、アーティストとしてデビューするためには
「所属事務所」と「レコード会社」、二つの契約を持たないとできません。
私が指導した「アーティストの卵」たちは、音楽制作会社系列の事務所所属、すでに「所属事務所」は存在していたので、デビューするために、あとは「レコード会社」との契約を勝ち取らなければいけないのです。
私のプロデューサーとしての仕事「デモテープ制作」は、わかりやすく言えば「売り込み」の材料、
私が作った楽曲デモテープを持って事務所がレコード会社に「プレゼン」するのです。
そこでめでたく「契約成立」すれば、「アーティストの卵」は「アーティスト」になれるのです。
デビュー前は「アーティストの卵」のプロデュース
デビュー後は「アーティスト」のプロデュース
と肩書きと仕事の規模は変わりましたが、やることは同じ
いかにその人を魅力的に見せるか、多くの人の共感を呼べるか….デモテープ作りでやっていた「二人三脚」での仕事です。
相手によって変わるプロデューサーとしての仕事
今でも、私はレッスンで生徒さんを「パートナー」だと思い、生徒さんを「プロデュース」しているつもりですが
パートナーが成長して、その人の「頭に浮かんだこと」の実現に近づていくをみるのは、本当に嬉しいものです。
まさに「プロデューサー冥利につきる」のです。
音楽制作会社では、数多くの「アーティストの卵」を指導、一緒にデモテープを制作、そしてデビュー、その後もプロデュースを行っていきました。
作家事務所時代では、自分の作った曲がテレビやラジオから流れ、またCD化されることに感激していましたが
音楽制作会社時代では、プロデューサーとして育成してきた「アーティストの卵」が「アーティスト」に成長していくことに
高校2年から憧れ続けていた「プロデュース」という仕事の醍醐味を少しづつ味わえるようになりました。
プロデュースするのは「音楽」ではなく「人」
ますます、「プロデュース」という仕事が楽しくなってたのを覚えています。
音楽制作会社時代、数多くの人の「アーティストの卵」に携わってきましたが、
やはり思い出深いのは、一番最初に手がけた「田嶋里香」さん。
レッスンやデモテープ制作のため、新潟から制服のままスタジオに来られていたのを思い出します。
東芝EMIからのデビュー曲「この雨通り過ぎるまで」は、彼女が「アーティストの卵」の時から、デモテープとして録音してきた曲です。
「CASIO ポストランド」CMソングとしてテレビCMで流れ、彼女自身もCMに出演していたのが嬉しかったのを覚えています。
現在につながる大きな出会いや出来事満載の音楽制作会社時代、次回は、ビッグネームとのサンフランシスコでのレコーディングなどのお話もしたいと思います。
小泉 誠司
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