「あなたは間違っていないよ」と言われたような
両眼視できるようになりたいというのがわたしの本当の希望です。
もちろん、「どこを見ているの?」と言われたくないとか、まっすぐに相手を見たいという気持ちもあります。
でも、物事の本当の姿を自分のこの目で見たいというのが、やっぱり一番の願い。
視能訓練士さんとの面接でわたしは言いました。
「普通の人が見ているように両眼視できるようになりますか?」
わたしより少し年上と思われるその女性は、とても痩せていて声が小さく、暗い検査室の中で白衣がぼおっと光るさまは、海を漂うくらげみたいに見えました。
その訓練士さんが一言、キッパリと強く言いました。
「あのね、見え方に普通ってないの」
「斜視ではなくて両眼視ができている人たちも、見え方って一人ひとり違うんです。3Dで飛び出て見える本や映像だって、少しだけ飛び出て見える人もいれば、ものすごくたくさん飛び出て見える人もいる。
ものを見る見方って、その人が生まれてから、だんだんと自分で作り上げていくものなの。
人によって目の形もちがうし、体の左右だって違う。目の使い方も違う。首のかしげ方も違う。
だから、普通にこだわらなくていい。
あなたの今までの見え方があって、手術することによって、それが変わるかどうかなの」
世界が少し変わった瞬間でした。
普通に見える人、見えていない人、その二択ではなかったのです。
正しい以外が間違いなのではなかった。
見え方とは、一人ひとりの顔が違うように、一人ひとり違うものだった。そして、わたしの見え方は、わたしが生きてきた中で作ってきたもの。
斜頸だったこと、視野が狭いこと、発想の転換が鈍いことなど、体の状況や性格の傾向が、私のものの見方(物理的、精神的、両方の意味で)を作っていたのです。
訓練士さんは続けました。
「確かに今は両眼視はできていない。でも、あなたの斜視が小学校に入ったあたりから始まったのであれば、手術することによって両眼視できるようになる可能性はあります。両眼視の機能は、だいたい3歳くらいまでに作られると言われているから。
ただ、あくまでも可能性の問題なの。斜視の手術は、戻りの問題の含めて、やってみなければわからない部分が大きいんです」
わたしは、訓練士さんの言葉を聞きながら、ぼろぼろと涙を流していました。
それは、きっと、真実に触れたからなのではないかと思います。
今までの見え方が、間違っていたのではなかった。
その見え方が、「わたし」だっただけのこと。
(続く)