「シン・ニホン」を読んで思うこと

今回はシン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成という本を読んで思うことをまとめてみようと思います。

「データ」、「AI」というキーワードが日常生活(少なくともビジネス界)で飛び交うようになった今、日本という国は今後どのようになるのか、グローバル化が完全に進む今、生き残ることができるのか深く考えさせられる本だった気がする。

データ×AIという新たな産業革命は、大きく分けて3つのフェーズに分けられるがすでに世界では、第1のフェーズが終わろうとしている。

まず第1のフェーズとは、新しい技術がバラバラと出てくる時代である。点と線で表現するならば、とにかく点の数が増えるイメージである。

第2のフェーズでは、新しい技術が実用化されるフェーズである。点のサイズが広がっていくイメージである。

そして第3のフェーズが、実用化された技術や産業が繋がっていき、複雑化していくフェーズである。大きくなった点と点がそれぞれ線で結ばれていくイメージである。

すでにグローバルで見るとデータ×AIという産業におけるフェーズ1は終わりを迎えており、次のフェーズに入っているとのことである。たしかに新しい技術は少しずつ私たちの日常生活に浸透してきており、日々利用するサービスの中でも触れる機会が増えてきている。しかし日本が終わったわけではないとのこと。正直いうと僕はこの言葉が出てきたとき、少し嬉しかった。まだ日本には未来を明るくできる可能性があるから。

日本は歴史的にみてフェーズ1では世界的に遅れをとっているが、それを実用化するフェーズ2やフェーズ3の段階で、大きく国を成長させるのだ。明治時代、文明開化を進めた際には、海外から様々な技術を輸入した。その後、自動車をはじめ電化製品などモノ作りにおける革新を大きく進め、完成したモノを海外へと輸出した。明治時代よりも更に昔、仏教の文化も最初は中国から輸入したものだが、そこから思想を深め、今では世界的にみても発展しており、今多く機能している寺院が多く残っている。フェーズ1は、どの時代でも日本は活躍できていなかったのだ。

しかしデータ×AIの時代はフェーズ2に入り、日本が歴史的に得意としている点を大きくし、線で繋げていくことに価値が見出させる時代に突入しようとしているのだ。

そしてこれからの時代に日本レベルとして求められるのが、新しいテクノロジーをベースにしたモノのデザイン力と、テクノロジーを活用するために必要不可欠なIT人材である。

デザイン力に関しては、日本独自の文化を形成してきた歴史があることから、データ×AIという新しい時代でも同様にデザイン力が活かせるかが問題であるが、それよりもそもそも膨大なデータとテクノロジーを活用し、実用化されたサービスや商品に綺麗落とし込むことができる人材が圧倒的に不足していることである。すでに世界レベルで人材の争奪戦になっているが、日本では世界に比べて教育体制が劣っているため、自らの国から人材を生み出すことができないのである。

だからこそ今日本として求められているのは、海外から優秀な人材を招き入れることができる環境を整え、短期的に人材を揃えながら、教育体制を抜本的に変え、長期的に求められる人材が輩出できる教育環境を整えるべきなのだ。これは国を上げてやるべきことであり、海外に目を向けていても、教育に投資をしている国はちゃくちゃくと国力を蓄えている。そして「優秀」の定義を20年前とは大きく変えて行かなくてはいけない。

自分の学生時代を思い返すと確かに学業と現時点の仕事がどれほど活かされているか少しひっかかるところもある。

私は小中高と国公立の学校に行き、大学から私立に行った。どちらにも共通するのは、正解のあるアプトプットをとても求められ、それに対しての評価が大きな学業としての評価になる。受験勉強というシステム自体が、上記のような弊害を生み出しているのかもしれないが、実際に小中高にいるときにはそれに対してなんら違和感がなかった。それを求められている環境にいたからだ。そしてそこに子供を送り込んでいる親やその環境を作っている教師もそれに対して違和感を持っていない。

しかしどうだろう社会に出てから生産年齢層になると、なかなか正解がわかっている仕事は少ない。むしろ正解がわかっている仕事に取り組んでいる人はどんどん給料の単価は下がり、今後は社会人として生活できる所得を得ることはできないと思う。課題を捉え、何が正解なのかを探り、仮説を立て、手を動かして物事を進めることが求められる。そんなことは学生時代求められることはわずかであり、社会に出てから直面する人がほとんどだと思う。

また現在は多くのものがテクノロジーに支えられているため、そこに対しての理解が薄いのも教育システムの弊害かもしれない。高校に入り、少し立つと化学や物理に触れることはなくなる。また数学に関しても選択科目によっては一切触れることなく、学生を卒業してしまう。

今後テクノロジーは言語と同じくらい身近なものになるので、日本語を学問として触れずに学生を終わるようなものである。そんな教育体制である日本がフェーズ2を上手く乗り切れるはずがない。教育は国が一番重要視する投資だと思う。

日本の50年後

今回私が一番驚いたことは今後の日本を救ううえでどこに課題を置くか。私は小さい頃から日本が上手く回らない全ての原因は、少子化問題だと思っていた。日本国財政の赤字状況や、日本市場が拡大しないなど明るい情報があまり出てこない原因は、少子化問題を解決すればクリアにあると思っていた。しかしこの本を読んで大きく考えを変えるきっかけとなった。

そもそも日本の国土に対して、現状の1億2千万人が多すぎるとのことだった。過疎化が進んでるエリアも増えているが、単純に国土面積に対する人口が多いということだ。そしてあと2点ある。

・生産年齢が上がっているので、国全体の生産性はそこまで下がらない

・テクノロジーの発展に伴い、国民一人あたりの生産性が高まっていく。

上記2点により、少子化だから国のGDPが下がるというわけではない。むしろ少子高齢化により、高齢者の方ばかりに目を向け、未来の人材に投資することを避けていくことである。人口が減ること自体は問題ではないが、少子化により、子供や未来の世代から目を背けることは問題なのである。

私にとってとてもクリアになった気がする。日本の未来は決して暗くなく、まだチャンスが残されている。そんなこの国に大きな可能性を感じるきっかけになる本でした。

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