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小学校の先生になるまで。 東南アジア編②

前回、優しさに溢れていたチェンマイという町から、私はツアー中にあったAndyのオススメのカンボジアに行くためにバンコクに戻ってきた。

そういえばと思い、空港で会ったミキに連絡をした。カンボジアに行く旨を伝えると、彼女もカンボジアに行く予定でバンコクに戻ってきているそうなので一緒に行くことにした。

陸路でカンボジアまで行く為に、旅行会社を探して電車とバスで国境を越えることにした。私が旅する時は、その土地の空気感を感じたいので時間に余裕がある時は陸路を選んでいる。

陸路での移動は、時間がかかるために朝のうちに出発したほうが事故や事件位遭うリスクが下がる。とは後年、海外に住むようになってから知ることだが、この時は知らずに移動が夜中までかかってしまった。


真夜中の理不尽とスリ集団

バスでカンボジアの国境まで行き、下車して国境審査を受けた。
そこで賄賂を要求され、支払う義務はないと主張しても通してくれないので手持ちの小額紙幣を渡した。理不尽なのは途上国の常

審査を終え、バスに戻ろうとすると運転手に「このバスは、カンボジアの市街地までは行かないから、あとはトゥクトゥクかバスで行ってくれ」と言われ、理不尽が度重なった。どうすることも出来ないので、ミキと同乗していたスウェーデンの学生たちとカンボジア側へ歩いた。

カンボジアに入るとすぐに物陰から突然、10人くらいの子供が走ってきて金をくれと言ってきた。1人の子供が私の眼前にザルを突き出し、ザルの下からもう片方の手でズボンの前ポケットに入っているお金を盗ろうとしてきた。

小学校低学年くらいの子供たちが道で窃盗をしている光景に衝撃を受けた。私にとっては非日常の出来事だが、彼らにとっては日常の一部である。
この埋められない差は、生まれた国の差でしかない。7〜8歳の子でも物乞いや盗みをしている事実は、日本の生活ではイメージすることも難しい。

改めて、生まれてくる場所で人生がある程度決まってしまうのかと感じた。日本人は生まれた時点で後進国よりも幸せな環境にいる、と言われたことを思い出した。

このことは、日本から出たことがない人に言ってもイメージが湧かないと思う。よくテレビや新聞で「学校に行けない子供がいます」、「あなたの支援で救える命があります」とか聞くけども、やっぱり実際にその人たちを見てみないと心の奥に響かないと思う。


理不尽の連続

何とか子供たちを追い払うと、次は大人の集団がきた。トゥクトゥクの運転手たちだった。すごい勢いで勧誘されたがどれも胡散臭かったので、スウェーデンの学生たちが隅にいた中型バスの運転手と交渉して、そのバスで行くことにした。

そこから街灯のほぼない道を40〜50分走り、人気のない場所で車が停まった。市街地にしては、暗いし人もいないのでトイレ休憩かと思っていると、バスはここまでで、あとはトゥクトゥクで行けとのことだった。

皆、本日3度目度の理不尽に怒りを顕にしたが、時刻は既に夜中1時を回っていて回っていて言い合う気力も無く、早速トゥクトゥクの値段交渉を始めた。ミキが宿の目星をつけていてホテルを運転手に伝えると、そこは潰れているから運転手オススメの宿にしろとの一点張りだった。

しかし、ミキが持っていた地球の歩き方(最新版)には、しっかりと載っている。それを見せても情報が古いとか取り合ってもらえなかったので、とりあえず市街地まで行くように伝えた。

なぜか運転手とは別にもう1人タイ人が同乗していた。彼は、愉快そうに話をしていたが同じ話を繰り返したり、突然怒ったり、様子がおかしかった。突然怒り出すジャンキーにうまく周波数を合わせながら、乗り切った。

トゥクトゥクが停り、ここだと言われたが希望の宿ではなく知らない宿だった。客を連れてくる代わりに宿からマージンをもらうという仕組みなのだろうが、強引すぎる。私たちは希望してた宿じゃないと言い合いになり、運転手は怒って代金も受け取らずに、私たちを放置して去っていった。

甘酸っぱい夜。

周りは街灯もなく道も分からないので、そこのゲストハウスに泊まることにした。相部屋しか空いてないと言われ、仕方なく相部屋に泊まることにした。旅の最中に出会い、苦労を共にした女性と異国の地で2人きり。こんなアバンチュールな場面はない。

向こうが風呂や洗濯をしている間、私はビールを飲みながらこの状況に胸を膨らませていた

しかし、半日以上の移動やトラブルのため私の体は睡眠による回復を求めていた。何度も睡魔という悪魔と格闘したが、私は負けてしまったのだ。敗因は、私の精神力が肉体を凌駕できなかったことだ。無念。


気付くと辺りは明るくなっていて、すでにミキは出発の荷造りをしていた。

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