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小学校の先生になるまで。東南アジア④

前回、カンボジアの同じ宿に泊まっている人から、ラオスが自然豊かでのんびりしていると勧められたのでラオスに行くことにした。そのためには、バンコクからバスで行くので、一度バンコクに戻ることにした。


人間交差点 カオサンストリート

私は、バックパッカーの聖地と言われるバンコクのカオサン通りに来た。

旅人の聖地と言われるだけあって、世界各国からの旅行者が集まり賑わっていた。そこら中に飲食店や土産屋がひしめき合い、雑然としていた。

その中でも、高校生のバイト3人が働いている店があった。彼らが暇なときに、将来の夢や彼女の話を聞いたり、ギターを弾いて歌ったりと、居心地が良かったのでバンコクにいる間よくそこに行った。

それと、そこで出会う人の話を聞くのもまた面白かった。ヨハネスブルクで強盗に身ぐるみを全て持っていかれ、大使館で再発行したパスポート写真がボコボコに腫れてる顔の大学生出会ってから帰るまでずっと風俗の話をしているおじさんなど、興味深い話が聞けたので飽きることがなかった。


ある日、お店で飲んでいると後ろの席で韓国人のグループが飲んでいたので、話しかけて一緒に飲むことになった。その中にシンへがいた。

シンヘは日本に何度も来たことがあり、日本語も話すことができた。お互いの国について話をしていると、突然オセロを知っているかと聞かれたので、もちろんと答えた。

彼女は日本に行った際にオセロを教えてもらい、もらったオセロを持ってきたので、明日やろうと言わた。待ち合わせ時間と場所を決めて、その日は解散した。


奇跡の再会

次の日、待ち合わせ場所である銀行の前に行った。約束の時間を20〜30分過ぎても来なかったので、違う銀行の前にいるのかなと思い、周囲を歩いたが彼女の姿はなかった。

携帯電話が使えなかったので、どうなっているのか分からなかったが、初めてできた韓国人の友達に会えることに心が躍っていた。

最後にもう一度周囲を周っていなかったら、そのまま帰ろうと歩いていると正面から必死な表情で周りを見渡している女性がいた。そう、シンヘだ。
彼女は心から謝っていたが、そんなことより再会できたことが嬉しかった。

もしここで携帯電話が使えていたら、遅れるねの一言で終わって、劇的な再会はなかった。

「便利さ」は煩わしい過程を省いてくれるが、
時としてその煩わしい過程があるからこそ得れるものもある。

何でもかんでも合理化すればいいわけではない。余白のある社会の方がより物事を豊かに感じられるのではないか。

オセロをやりながら、シンへの事について話を聞いた。シンへは韓国で作家をしていて、旅行記やフェミニズムなどについて本を書いているらしく本をもらった。そして、今回のこの奇跡的な再会を次回の旅行記に書くねと言われた。


思いはカタチにしないと伝わらない。

その数年後に、私の手元に一冊の本が届いた。わざわざ日本語訳までつけてくれて、読んでみるとバンコクでの再会について書かれていた。数年振りだが、あの日の記憶が蘇った。私は、だらしない性格なのでお礼の手紙も書かずにそのままにしていた。

今、こうしてこの文章を書きながら、忘れないうちにシンへに手紙を書こうとその当時返信用に買ったハガキを引っ張り出してきた。


こうやって、10年以上前のことを思い出させてくれたのも自分の想いを文章という形に落としているからだ。

自分の想いを内に秘めるだけじゃなく、
表現方法は絵や写真でも何でもいいから形に落とした方が良い

という事に改めて気付かされた。

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