道がなくても、走るしかない。(教育編③)
今回の内容を理解する上でも、前回の記事を一読していただけると、理解がスムーズだと思いますのでご参考にどうぞ。
そして、半年が経った。
バングラデシュに来て、半年が経った。依然として、村にある学校を巡回する日々が続いていた。学校や先生、子供の様子が分かってきたが、このまま巡回を続けていくことに疑問を感じていた。
この先も巡回しながら先生や子供たちに指導を続けて、根本的な解決に繋がるのか疑問に思った。教えていた先生が辞めたら、巡回する私(外国人)がいなくなったら、そこで終わってしまう。青年海外協力隊がいなくても、現地の人だけで良い学校を運営していくのがベストだと思う。
最終手に自分たちの国を自分たちで良くしていって欲しい。特に教育は、この国をどうしていきたいのか、その国の人たちが考えなくてはいけないと思う。
それでも現状を打開するような妙案は思いつかず、悶々としながら巡回を続けた。9ヶ月を過ぎた頃、ある大手飲食チェーンの理事がバングラデシュに学校を作り、運営していくという話を耳にした。
現地人による現地人の為のモデル校作り
私と同じNGOで活動している他地域の隊員と首都にあるヘッドオフィスで定例会をしている時に、ヘッドオフィサーが珍しく要望を言った。
■ある地域は伸びて、ある地域は伸びない、現状をどうにかしてほしい。
■バラバラの地域で活動する3人の協力隊員が協力してほしい。
首都にある学校は、ヘッドオフィスが近いので管理が行き届いているので、研修制度もあり先生がしっかりしているが、地方にある学校は教育水準が低いという訳だ。
すべての学校の活性化と発展には何が必要なのかを3人で試行錯誤する中で、日本企業のお偉いさんが日本式の学校を作るという話題になった。
私たち青年海外協力隊は2年間しかいないので、日本の教育をこちらにもってきても定着しないと思い、現地の先生やオフィサーたちと共に作り上げていく形でいくことになった。
そこで、私たちが思う問題点の一つに全ての地域の先生が同じNGOの学校として目指すべき指針がなかったことが挙がった。目指すべきモデルになる学校を1つ作れば、青年海外協力隊がいなくなっても、そこを手本にして授業や学校運営をしていけば、地域ごとの教育の質も均一化に近づいていくと考えた。
当面は、私たちがサポートしながらも現地の人達だけでできるモデル校の仕組みを考えていくことなった。
スタッフに協力を仰ぐ
ヘッドオフィサーは、モデル校作りに賛成したものの、地方オフィサーや先生たちにも説明しなければいけない。これが骨の折れる仕事だった。
ガチガチのトップダウンの組織なので、全員がヘッドオフィサーの顔色を伺っていて、なかなか本音が出ない。モデル校を作っていくために、現場の問題点を明らかにしていきたい旨をヘッドオフィサーに述べて、地方オフィサーや先生を責めないように説明した。
地方オフィサー
そんな中、地方オフィサーが集まる定例会で小学校の問題点を挙げてからモデル校の説明をした。普段ヘッドオフィサーに当たり障りのない報告しかしない地方オフィサーは、自分の担当地域の現状を包み隠さず言われてバツの悪そうな顔をしていた。
地方オフィサーとも関係が良かっただけに心苦しかったが、みんなで問題を認識しなくてはモデル校の必要性を感じてもらえないと思った。
先生たち
モデル校にしていく2校の学校(首都の学校と地方の学校)の校長や先生にモデル校の説明をすることになった。先生たちにモデル校のことを説明すると、戸惑った顔を見せた。
ただでさえ低い給料なのに、新しい事を始めるとなると仕事が増えて面倒だと思ったのだ。
特に首都から離れた学校は、難色を示した。地方ということもあり、変化を嫌う先生が特に多かった。私も月収1000円〜3000円の給料で働く先生たちに出来るだけ負担はかけたくなかった。
モデル校をすることでのメリットを理解してもらえるように説明した。子供が落ち着いて授業を受ける子や勉強が分かるようになる子が増えれば、最終的に先生たちが楽できるようになると伝えた。
貧困が貧困を生むスパイラルの話などを交えながら、この仕事の目的や重要性について説明した。段々と良くなっていけば先生たちも頑張れるのだが、停滞した時に目的や重要性がないと頓挫してしまう。
先生たちもとりあえずやってみようということで、重い腰を上げてくれたので、あとは仕組みを整えながら走り続けるしかない。
そして、私たちはこれから訪れる荒波がまだあることを知らずに船を漕ぎ出した。