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オンライン(23/12/16)

 親友がマレーシアへ飛んでしまってから暫く経つ。ほとんどご近所だった頃が懐かしい。何気なく町を歩いていると、ふと彼女を見つける。そんな日々が温かった。私が先に越してしまいすでに遠距離だったものの、国外となると、やはり話は変わる。


 はじめは、そんなに気にしていなかった。いつでもどこへでも飛んでいきそうな彼女から、他愛ない会話の合間で「明日から海外に行くんだ」と聞かされたときも、正直全然驚かなかった。そっか、そうだよね。それくらい。

 普段からよく通話していたけど、暫く会っていない声だけの彼女が、いまは本当はどこにいるのか? ふと我にかえって不思議になる。もちろん、それはマレーシアなのだろうけど、あえてググらず、見知らぬ土地を空想する。愛くるしい猫背の彼女がスタスタと歩くところを思い浮かべる。想像のなかで、いいね。かっこいいよ。とか、そんな声をかけたくなる。でもほんとうに、彼女はいまどこにいるのだろうか? これは本当に漠然とした疑問で、実際に彼女がそこにいるところを直接、この目でみないかぎりは解決しない。そんなような種類の疑問らしい。

 彼女からハガキが届いた。バリスタのような男が珈琲を淹れている絵柄だ。彼女の書く気楽な文字たち。Air Mail to Japan.

 いろいろな宿を転々としている彼女へ、返事は出せない。もどかしくもあり、ふと目がとまった消印の日付で、これは私への誕生日プレゼントだったのかもしれないと、そんな気がしてくる。

 この頃、ふたりでピラティスをはじめた。ビデオ通話をし、YouTubeを見ながら、オンライン上で私たちは見慣れないポーズをとる。数年前なら、二日酔いのままラーメン屋まで海沿いを歩いていたであろう時間に。今の私たちは体形がすこし気になるのだ。

 ググればことたりる時代に、不満を抱くことがある。贅沢な不満だ。
 ちょっとした謎が、日々を豊かにしてくれそうなのに。謎への試行錯誤が、面白いところだったりするだろうに。人から教わり、教える。そういったことでしか得られないものがあるような気がするのに。ググれよ。それだけで終わってしまうのはなんだか悲しい。

 それでも、この時代だからこそ、見えない波のようなもので繋がって、遠くの彼女とリアルタイムで笑いあえる。悪くないな、と今日もご都合主義を繰り広げる。親友と話してからはじまる一日は、文字通り、悪くない。


タンブラーに淹れた珈琲からのぼる湯気の影。撮ろうとしたが失敗。


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