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1.とりあえず、書いてみる

 から思いつきをノートに書くのが好きだ。とにかく頭に浮かんだことをつらつらと書いて、書きながらどんどん展開させるのだけど、いまではそれが物語の出発点になることが多い。これこそ、良いリハビリになるのでは?

 原点は、星新一さんの「あれこれ好奇心」。たしか小学三年生くらいのとき、母から借りた本。名前の通り、好奇心の赴くままにあれこれと書かれた本、だった気がするけど、大人になってからもうずいぶん長いこと読んでいないので、詳細は忘れた。(久しぶりに読みたいな)


 そんな文章のまねっこで、とにかくつらつらと書く、という遊びをよくしていた。名付けて「つれづれ日和」。あのころ、なんでそんな名前を付けたのかも忘れてしまった。まだ二十代なのに、すでに記憶の忘れ物ばかり。

「日和」は、そのころハマっていたもうひとつの本で、今でも人生で一番好きな本である村上春樹さんの「カンガルー日和」からきていることはなんとなく分かるんだけど……。「つれづれ」はなんだろう? ぼんやり考えていたら、ちょっと恥ずかしいけど、そのころ「あれこれ」と「つれづれ」という言葉と意味が、私のなかでごちゃごちゃになっていたのかもしれないな、という気がしてきた。まぁ小学生だったし、これはどこまでもお遊びで、お遊びだからこそ、最高に楽しい。

 ノートを買うのも危ういくらい火がついた家計だった(らしい)ので、お絵描き用に母が学校でもらうプリントの裏紙と、ホッチキスでノートを作ってくれた。プリントを裏返しの二つ折りにして、折っていないほうをホッチキスでとめたもの。私はいつもその手作りノートに、絵を書いたり、短い物語を書いたり、「つれづれ日和」を書いたりしていた。なぜかそのときのことを、最近はよく思い出す。

 小説を読んでいるとき、まるで時間旅行のようだと思うことがよくあるけど、最近の私は、幼かったころから時間旅行でふっとんでここまで来てしまったような感じ。まだ新しい生活や日々がしっくりこなくて、いつも馴染みのない空気や視線に晒されている。ようは寂しくて、なににおいても、こうして文章を書いているとき以外は、寂しさから派生する物事ばかり考えてしまう。

 だからとりあえず、書いてみる。どこまでも遊び、そしてどこまでも楽しみながら書き続けていく。

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