#1 無職放浪記 猫の案内でカレーを探求する
【放浪0日目】
無職だ。休みだ。どこに行こう。
あ、明日の北海道行きのフェリーまだチケット取れるぞ、取ってしまえ!
【放浪1日目】
7月1日19時、フェリーが出航した。
名古屋発、仙台経由の苫小牧行きである。
船が動き出すころ、私はレストランにいた。
はじめての寝台フェリーに心弾み、離れていく港を眺めながら、バイキングでこれでもかというほど食べ続けていた。
周囲の客を見渡すと、食事をそこそこに談笑していたり、パッと食べて去ったり、手を止めて窓から見える海を眺めて酒を飲んだりしている。
それぞれの時間が止まったり、ゆっくり進んだりしているのを感じられ、そんな非日常的瞬間が趣深く、心の中でたくさんシャッターを切った。
どうやらここで一時間以上ひたすらに食べ続けているのは、自分だけらしい。なんでこんなに美味しいのに、みんなもっと食べないのだろう。
(船酔いの恐ろしさをまったく知らない無邪気な私は、あとでひどく後悔することになる。)
私は6月末の最終出社日をもって、仕事をやめた。
理由はいくつもあるが、一番の理由は「心からやりたいと思えることをしたい」と思ったからだ。とはいっても、何がしたいのだろう……
食事を終えると、20時から船内ラウンジショーを観た。
揚琴(ようきん)とよばれる中国の琴と、ピアノの演奏。これもまた非日常的で旅行感があってよかった。
食事とショーの観覧を終え、寝台に戻る。
ほどよく広く、ほどよく狭い。
いつでもどこでも寝れる私は快眠、かと思いきや、あのバイキングパーティから数時間経ってから、船の揺れが強くなってきた。
胃発、食道経由の口腔行きフェリーの存在をわずかに感じる。明らかに出航手配がすすんでいる。否、それは夢だ。その書類に決してサインをしてはならない。これは、名古屋発、仙台経由の苫小牧行きフェリー。騙されるものか。
日付が変わる前、どこでも快眠勢の私は悪戦苦闘の末、口腔行きフェリーの出航前に眠りにつくことができた。
【放浪2日目】
無職旅の朝は早い。
早朝4時半ごろに目覚める。酔いはあまり気にならなくなった。
会社に勤めていたころは、睡眠時間は9〜10時間。出社ギリギリまで寝ていた。でも、休日になると、睡眠時間が6時間程度で早朝5時とか6時に起きられる。この習慣は、小学校高学年ぐらいから続いている。
多分本能が「学校や仕事は副業。休日の遊びが本業」と認識しているので、休日しっかり遊ぶために学校や仕事で無理をして体調を崩してしまっては本末転倒だからである。
そんなことはさておき、朝5時から浴場に行った。
洗い場は15人分といったところだろうか。
誰もいなかったので、こっそりと泳いだりもした。曇った窓越しに、波しぶきが少しだけ見えた。
風呂あがり、外に出て海を見た。スマホの電波も入らず、まれに入ったと思ったらiPhoneの天気の位置情報が"太平洋"なのが新鮮だった。
これからの予定はというと、朝食バイキング、昼食バイキング、夕方に仙台港着で2時間程度の自由時間、夕食バイキングを経て、明日の朝に苫小牧に着くという。
仙台に着くまでの空き時間は、昼寝をしたり、ロビーの席で本を読んだり、ノートに日記や思いついたことを書いたりした。
今ノートを振り返ると、YouTubeやブログネタのメモが書いてある。実行に移されることを願ってやまない。
今回の放浪中に読んでいたのは、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』。
この本は毎回どこかに旅に出かけるときにだけ読み進めているので、なかなか読み終わらない。
素直な文章で、彼の人間味がうかがえる短編エッセイ集だ。
半世紀以上も前にヨーロッパを股にかけて仕事をしていた彼の文章を読んでいると、こちらもなんだか旅行の気分が高まるのである。
夕方、仙台港に一時上陸すると、図書館と無印良品に向かう。
船に戻って夕飯を食べてからは、昨夜と同じ音楽ショーを観覧。
その後は、ひとりでちいさな宴だ。
周りは酒を飲んでいるおじさんが多い。
そんな中わたしは、無印良品のメロンソーダ瓶をラッパ飲みする。
メロンソーダと言えば、以前の職場に入社してすぐ、コンビニでメロンクリームソーダを買ったことがあるのだが、それ以来毎回、上司がわたしに買ってくる飲み物がメロンクリームソーダになってしまった。他の人はコーヒーとかなのに。
最初は気分で買っただけなのだが、「メロンクリームソーダ好き」として頻繁に飲んでいたら、どんどん口になじむようになった。
メロンソーダと親しくなった会社を辞めて飲むメロンソーダは、思い出の分だけ、味が少し濃くなったような気がした。
宴を終えた私は、明日どこに行こうかと思案しながら床に就く。
【放浪3日目】
6~7時ぐらいまで眠っていた。
自分の寝台はカーテンと通路を隔てて、向かいに他の客がいる構造だった。
出入りするタイミングが重なり、よく向かいのおじさんと譲り合う場面になったのだが、毎回「どうぞ」と言ってくれる紳士であった。
今日も日課の"朝の海"を見た後、朝食を経てしばらくすると、11時ごろ苫小牧に到着した。
船から降りた客が少なくなったところで、ストリートピアノに向かう。
恥ずかしさもあったが、なんせ今回は仕事も貯金も車も失って旅に出ているのだ。
これからは何か新しいことにチャレンジせねば、という気持ちで、10分ほど弾いた。
その後、バスで札幌に向かった後、観光案内所でパンフレットを見て行先を”島”に決定。
「できるだけ高速を使わず、海沿いのコースを走るバスがいいんですが……」などの希望を伝えながら、交通機関の相談をした。
島の方には翌朝のバスで行くとして、今夜までの時間を持て余すので、地下鉄を使って近辺を散策。
まずは、以前Xで見かけたきれいなお守りを目当てに月寒神社に行く。
おみくじもやってみる
自分を信じて邁進せよ。
どこまでもいくぞ、月までも。
近くを散策しながら、また地下鉄で移動する。
歩きと地下鉄を駆使して、ちょっと早い夕飯に『回転寿し トリトン』を目指す。
ネタが大きくておいしかった。写真はないが"げその唐揚げ"も山盛りでびっくりした。
いい時間になってきたので、札幌駅近くのネットカフェに泊まる。
明日のバスや島への行き方などのプランを確認、予約する。
北海道に来たのは初めてだし、どこに行くのかが当日や前日に決まるので調べるのに時間がかかる。
そういう意味でもネットカフェに助けられる。ネットもあり、スマホの充電もできて寝床になる。
ひと通り調べ終わって熟睡しようと思ったら、
近くの席の人が、「コホッ!……コホッ……オホッ……オホホ……オホホホーン……」と声量もありながら、鳥の鳴き声にも似たリズムにのせ、やけに情緒的なフェードのかかった咳を深夜何度も繰り返していた。
うーーむ、と思いながら目をつぶっていると、誰かがオホホーンさんのブースをノックして「おい!大丈夫か?熱はないんか?」と声を掛けたようだった。のちほど、オホホーンさんは店員に連れていかれた。
オホホーン氏の無事を祈りつつ、これで安らかに眠れる、と思ったら、同じく安心して眠りについたと思われる隣のブースから、「ゴオオオオオオオ」という王道系のいびきが聞こえてきて、報われない恋もあれば、寝苦しい夜もあると思った。
【放浪4日目】
いろいろあったネットカフェを後にして、バス停に迷いながらもなんとかバスに乗り、港のある羽幌というところに向かう。
目指すは、焼尻島と天売島。
同じ島だと利尻島や礼文島という候補もあったのだが、ザ・観光よりも”暮らし”を感じたいという気持ちが強かったため、より小さい規模の焼尻と天売を選んだ。
あとパンフレットの羊がかわいかったこと、カフェのカレーがおいしそうなのが決め手になった。
札幌から高速道路、海沿いの道を経て3時間、羽幌バスターミナルに着く。
乗車時はひどい雨だったが、途中から晴れてきた。
バスターミナルで港への輸送バスへ乗り継ぐ。
今から向かう島は焼尻島(やぎしりとう)なのだが、記憶力が絶望的に皆無な私は、何度見ても読み方が覚えられなかった。
フェリーのチケット売り場で「あの、やきじり島まで、大人1名」と言うと、「やぎしり島ですね。」と即訂正された。すみません。
ちなみに焼尻の語源は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)に由来するとのこと(引用:北海道の左上)。決して人間のお尻を丸焼きにするような風習は無いので、それを目的に行こうとする方は念のため注意されたい。
高速船で35分、昼過ぎに焼尻島に着く。
島に着いて5分。気づくと、すぐに猫のお尻を追いかけていた。
地図を手にし、まずは昼食を食べに島唯一というカフェに向かう。
坂をのぼると、そのカフェがあった。
Closedの看板を見て一度通り過ぎるも、口コミに背中を押されて引き返してノック。
僕1人です、と伝えると、「1人なら大丈夫」と入れてもらえた。
店に入ると、個性とセンスの溢れる風景に圧倒された。センスのないわたしがそう表現するのもおこがましいのだが。
古民家カフェというよりは、民家である。生活と芸術と個性が先にそこにあり、『カフェ』はそこに後からやってきた、といった感じだ。
奥には先客の若夫婦がいて、オーナーと話をしていた。
「Closedになってても、ノックすればいいんだって、何も言ってないんだけど噂とか口コミで勝手に広まってね……」と、オーナーのおくむらさんが話す。
おくむらさんは、以前は建築デザイナーであったが、いろんな経緯を経てここに越してきて一人でカフェをやりながら、絵を描いているそうだ。
おくむらさんと奥の客との話は尽きることがなかった。私はたまに話に入り、名古屋から来ていて、行くあては特にないこと等を話す。
「さっ、作らないと」と話を切り上げると、おくむらさんはキッチンに向かう。「よいしょ」「ちょっと休憩」とまた話しに戻ってくる、テキパキ動く彼女の小さくも逞しい姿に感銘を受けた。
メニューは、ミートソースパスタとカレーの2つ。
本当はカレーを狙っていたのだが、本日分は無くなってしまったとのことで、パスタをいただく。ハーブのきいた、おいしいミートソース。他のどこでも食べたことのない味だ。「明日、昼前に来ていいですか?」とカレーの予約をしておく。
店を後にし、オーナーに勧められた森から海にかけての景色を求めて散策する。
おくむらさんは、「この景色を描きたくてここに来たんだ」と言っていた。教えていただいたコースを通って、海に向かう。本当に美しい眺望であった。
途中、草原で遠くに羊たちを見かける。近くで見たくてぐるっと反対側に回り込んだのだが、そうすると彼らも逆サイドに移動していた。今日は諦めるとする。
そして今夜は、このキャンプ場で寝る。テントやマットは無くて、寝袋しか持っていないので原っぱに野宿だ。
キャンプ場に着く頃には歩き疲れて汗びっしょり。どうしても冷えたジュースが欲しくて、片道何十分も歩いて商店に向かう。地域限定らしいジュースとパンをGET。
寝るまでやることがなくて、海を見ていた。キャンプ場には、他にも数人いた。誰かの作るおいしそうなご飯の香りに襲われ、体が向いてしまうのを抑える。
海付近の階段でのんびりしていると、近くにパトカーが停まって声をかけられた。
おいおいおい私が不審者だとでもいうのか。私はただ、仕事も金も無くなって放浪しているだけのただの旅人だぞ。
不安に思いながら警察官の話しを聞くと、島の反対側の方でカヌーに乗った10人ほどのグループが「キャンプ場の方いくわ」と行ったきり見当たらないという。
「この辺で見てませんよね?」
「近くの海岸は歩きましたが居ませんでしたよ」
「ですよねー。旅行ですか?」と少し話す。
聞き込みを終えた警察官はまたパトカーに乗り込み、去っていった。
今回の旅で考えていたのが、「見知らぬ土地にポイっと放り投げ出されたとき、私はなにか仕事ができるだろうか?」ということ。
たとえば料理人ならば、食材と調理環境があれば美味しいご飯を作れる。音楽家なら歌ったり演奏したりして感動させられる。
私にはなにかスキルはあるのか?価値を提供できるのだろうか?資格もない、体力もない、たいした経験もない。
立派な人間にも、スペシャリストにもなれない私は、それならばせめて、生きるのに衝動性を大事にしたい。ちっぽけな人生、少しでもストーリーに意外性を仕込みたい。
それでもし面白いことがあったら、誰かに話したり、文章に書いたりする。それで、誰かが「へぇー」と言ってくれて、話の種になったらいい。私の人生も、一編の物語に過ぎない。
そんなことを思いながら、時間を持て余していた私は、海岸をさらに遠くまで歩くことにした。
海岸といっても、途中からゴツゴツの岩だらけでなかなか進むのが難しい。でも、やることないし、捜索の手伝いになるし。
20分ほど岩を歩いていると、崖の上のパトカーから声をかけられる。
「おらんでしょ!?」
「いない!ここにはいません!」
「そうでしょう!向こうもおらんかったわ!ありがとう!」
遠かったので大声を出して伝え合う。
ちょうど先へ進めなくなってきたので、警察官への報告の後、引き返す。
ここまで探して居ないなら、カヌーのグループは全然違うところに上陸して遊んでいるかもしれない。
それでいい。
警察官は最悪のことを考えて可能性を潰している。それが仕事だ。私はやることがないから、必死に岩を越えていた。それだけだ。
キャンプ場にもどり、眠くなるのを待つ。
夕飯はセブンイレブンのマーラーカオ。
まだ少し明るかったが、19時過ぎには寝袋に入って、20時に寝た。薄い寝袋だけでは少し冷えたので、頭を上着で覆った。
【放浪5日目】
朝4時に目覚める。
すぐ探索に出発。
朝4時台、誰もいない時間。世界には自分しかいないのではないかと思う。その矢先、
動物たちが活動していた。
世界には人間は私だけで、動物はたくさんいる。
羊たちを横目に道を進むと、猫が茂みから飛び出してきた。
猫は私の方をチラチラ見ながら、てくてく先を歩いていく。私はただ、その後を追う。もともと目的地はなかったし、君についていくことにさせていただく。
10分ほど歩いたところで、案内人、いや案内猫は、マタタビ、いや再び茂みに消えていった。しょうがないので独り先をゆく。
少し歩くとトイレがあった。用を足し、昨日商店で買った揚げパンを朝食とする。
ベンチでパンを食べていると、
奴だ。
用を済ましてやってきた。自由だな、君は。私も無職で自由に放浪している。金も仕事も無いが、また着いていってよいか。
またしばらく後をつけるようにして歩く。あいかわらず、10mおきに私をチラチラ見ている。
しばらく歩くと、猫が座り込んだ。
結構歩き続けたから疲れたのか、私がついてくるのがイヤだったのか。
いずれにせよ、これ以上つきまとうとストーカー規制法に抵触するので、先に行くことにする。ありがとう。
さらに歩き続け、港に戻る。
徒歩でまわり切れない島全体を見るために、レンタサイクルで一周することにする。
釣りをする人、庭の手入れをする人、緑に埋もれた階段、玄関が封鎖された民家、あちこちで寝ている猫。古今の暮らしと、変わらぬ雄大で身近な自然、変遷する時代、生命の流れを、ひとり想像し、体感する。
しばらく自転車をこぎ続けて一周し、キャンプ場、牧草地付近に戻ってきた。そうだ、羊たちは?
めちゃくちゃ近くにいた。
彼らといっしょに、私もアスファルトに座り込んで水分補給。
しばらく見ていると、みんな移動し出したのに一匹だけ静止して私を見続けていた。暑いけど、互いに無理せず楽しくやっていこう。では、またいつか。
昼前になり、楽しみにしていたカレーを目指す。道中、昨日カフェで一緒になった若夫婦に会う。「昨日の方!」「おつかれさまです!」挨拶をし、別れる。
そしてフタタビ、カレーを目指す。暑さにやられお腹も空いて、脳内はカレーだけになっている。カレーを目指す。脳内はカレーだけになっている。暑さにやられ、お腹も空いて、カレーだけに。なって脳内カレー、カレーカレーカレーカレーカレーカレーカレーカレーカレーカレーカレーカレー
1日ぶりの来店カレー。客はまだ私だけだったが、本日は団体の予約が入っているとのことでテーブルはすでに準備されていた。席がギリギリだったようで、私はオーナーが普段使っている席を案内される。デッサン用品などが目に入る。カレー。もうすぐカレーが食べられることに心が落ち着き、少しずつ自我を取り戻す。
それにしても美しい。よく雑誌で、物がたくさんあるのに整っていて美しいインテリアがあるが、あれの最たるものを見ている気がする。
私の部屋は、物が勝手に増殖して、物が勝手に動き回って、部屋が自らの意思で汚くなっていく。そこに、私が介入する余地がないほどに。失敬、比較例に挙げた時点で失礼であった。
予約客が来るまで、しばらく歓談。
「1人でぜんぶ回されているの、本当にすごいですね」
「前の仕事で、ずっとスケジュール管理してたから、段取りがいいのよ」
「(団体客を目前に構えて)さあーやるぞ」
話しをしていて、一貫してオーナーのおくむらさんに対して抱いた心象として、“経験と信念とセンスに裏打ちされた自信”と、“熱意”がある。
仕事を辞め、これからどうやってのんびり生きようかと思っていた。経験も信念もセンスもない私が、たいした熱意もなく何をしようというのか。ひとり勝手に打ちのめされてしまった。でも嬉しくて、なんだか新しい血液が身体を巡り始めた気がした。ここに来てよかった。決めたことを、やり続けたい。
予約の団体客が来ると話す間もなくなって、おくむらさんは厨房に向かう。そしてついに、私のテーブルにもカレーがきた。カレーだカレーだカレーだカレーだカレーだカ
カレーがきた。カレーがきた。口コミで絶品と聞いたカレーがきた。島に来る前から夢みていたカレーがきた。カレーがきた。きてしまった。
先ほど、客が私しかいなかった頃とうってかわって賑やかな店内で、静かにゆっくりカレーを食べる。食べる前から、そのおいしさを知っていた気がする。美味しい。何がどう美味しいのか、うまく表現できない。
ただひとつ言えるのは、おくむらさんの話しを聞いて彼女の歴史を垣間見たことや、この建物の雰囲気が、ファンタジックでノスタルジックでダイナミックな心地や味に影響していると思う。なんだか新しいカレーが身体を巡り始めた気がした。ここに来てよかった。
団体客が嵐のように去っていった後、入れ替わりで中年夫婦の客がやってきた。私は、食後にこれからの旅程を考えながらチャイを注文した。
夫婦の客は、さっき自転車で通りすがった人たちだ。どこから来てどこに向かうのか(歌詞ではない)話をした。
しばらく、おくむらさん、夫婦、私の4人で話しに夢中になっていると、船の時間が近づいていた。いただいたチャイもとても美味しかったが、飲んですぐ港に行く。また来ます。次はカレーを2皿、もっともっと、のんびりと。
【続き】
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