めり込む者へ

雨続きである。今年の梅雨はまだ続くらしい。
お金もなく、雨も降っていて出かける気にならない。
久々に実家に帰った。年始以来であった。

姉に第二子が生まれ、兄にも子供が生まれた。
従兄は結婚した。僕の唯一の親友も最近結婚した。
家族や友人らはみな大人になり、新たな家庭を築いている。

普段の僕なら、無言で玄関の扉を開け、
「おう」
とだけ言ってそのまま居座るのだが、玄関の扉を開ける前から
甥が僕の名前を呼ぶものだから、僕も言葉を発しないといけない。
「こんにちは」

みな、かわった。
ぼくは何がかわっただろう。
ソファーに腰かける。甥が歩き回り、玩具を散らかしている。
母や姉がそれを笑ったり、叱ったりしている。
僕は何をするでなく、ただ見ていた。

ソファーもかわった。
以前は木製のソファー使っていた。
あれは、ひじ掛けがボロボロになったので捨ててしまった。
噛んでボロボロにしたのは、以前飼っていた犬だった。

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僕が8歳になるちょっと前に、彼女はやってきた。
最初は、犬は人を噛むんだというイメージが強く恐れていたが、
徐々に彼女を理解していった。

父と僕と彼女で散歩に行くのが好きだった。
休日、夕方に3人でちょっと遠くのたこ焼き屋まで行って、
たこ焼きやフライドチキン、ジュースを買って帰る。
チキンをあげると、骨をいつまでも加えて、真剣な目で食べ続けていた。
僕も笑いながらも真剣にそれを見ていた。

彼女は室内で過ごしていた。
彼女が家の階段を上るときは、当たり前だが4足歩行で、
ぴょんぴょん素早く上がっていった。
4足なら速く上がれるのかと、僕もマネをした。
おかげで、今でもたまに実家の階段を急いで上るときは
4足歩行になってしまう。でも、こっちのが本当に速いかもしれない。

彼女が小屋でご飯を食べている時、
近寄ったり声を掛けたりするだけで怒った。
唸り、場合によっては小屋から飛び出して来て噛みついてくる。
ご飯と睡眠を邪魔されるのだけは許せなかったらしい。
これも当たり前である。

冬、朝起きると彼女はストーブの前に陣取って寝ていた。
僕が近くに行くと、僕のあぐらの中におさまって寝ていた。
彼女の毛はとても熱くなっていた。

僕は、あまり彼女の面倒を見ていなかった。
しつけるという考えもほとんどもっていなかった。
関係としては、同志とかライバルみたいだった。

彼女の一番好きな姿は、
2つ並んだソファーの合間に、めり込むようにして寝ている姿だった。
2つのソファーはただ並べてあるだけだから、彼女が寝ていてだんだん
合間にずり落ちて、めり込んでいくのが面白くて、かわいかった。

12年を共にした。
急激に弱っていく君を見るのが辛かった。
様子がおかしいと、深夜に病院に連れていったとき、
君は夢の中で走っていた。
普段明るく穏やかな両親は泣いていた。

彼女と別れた後、
僕は電車に乗って出かけた。
数駅で途中下車し、コンビニで500mlの缶チューハイを一気に飲む。
再び電車に乗る。目的地である本屋に着くと、
不思議な感覚で並んでいる漫画や小説を見る。

私の体はどうして動いているのか。
目当ての本を1冊買って、また電車で帰る。
車内、電車の揺れる音あるが人の声なく、
心がすっと落ち着いた瞬間、涙がこぼれる。

家に帰り、部屋に直行しピアノに触れる。そのとき、初めて
私の感情がピアノを弾くという感じがした。現実世界に在る私の体が
ただ物理的に奏でるのではなく、私も分からず言葉にできないような、
姿なく曖昧で脆い私の感情が、ただ感情が弾いて音が聴こえるのだと
思った。ピアノを弾きながら一人で泣くと、彼女の死をやっと、
12時間以上も経って理解した。

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「スライムが服にくっついちゃうよ」
姉が、甥を注意している。
甥はスライムを限界まで細く伸ばして振り回している。
ベランダの風鈴がよく鳴る。今日は久しぶりの天気だ。
ぬるい風が、僕を通り抜けていく。

リビングのテレビ棚の君の写真の横には、甥の写真が飾ってあるんだよ。
あれからいろんなことがあって、
なぜだか僕は、めり込まざる者と名乗って活動しているんだよ。
意味がわからないね。なんでそんな名前を思いついたんだろうね。
Twitterでは、僕と対をなす名前の人が居てね、
その方の描いた綺麗なイラスト本が手元にあるよ。

それでは、また。

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