見出し画像

外出自粛で他人とご飯を食べるのが更に怖くなったけど、なんやかんや大丈夫になってきた

外出自粛ムードもほぼなくなり、だんだんと人とご飯を食べに行くことも増えてきました。

大学4年生(文系)ということもありまして、
大学の同級生も時間に余裕が出てきて気軽に外食できるようになりました。そして来年社会人生活を迎えるということで内定先の同期との飲み会もちらほら開催されています。

元通りの日常かつ,私が高校生の時に思い描いていた通りの大学生らしい生活が戻ってきたような感じがして、嬉しく思う日々です。
しかし一方で、私は他人とご飯を食べるのがどうしても怖くなってしまうという、厄介な性質を持っておりまして。。

人とご飯を食べるのが怖い!

いわゆる「会食恐怖」とは違って、大人数での食事はまだマシで(でもソワソワはしちゃう笑)、少人数での食事ー特にサシ飯ですごく緊張してしまうんですよね。

もともとコロナ前から人前でご飯を食べるのが怖くて、家族と一緒にご飯を食べるときでさえ緊張してしまいます。

これは自分なりの考察になのですが、
小学校時代太っていることを同級生にディスられ(あだ名はぽっちゃりしてるから「ポニョ」笑)、「痩せないと」という気持ちからご飯を食べなくなり、食べることに対して罪悪感を抱くようになったのが始まりだと思います。
いつもより少し多めにご飯を食べた時に、家族から「今日はたくさん食べるんだね。珍しいね。」と言われたのがなぜかショックで、家族の前でもご飯を食べるのが怖くなっていきました。

人とご飯を食べることって楽しいことだと思うだろうし、大事なコミュニケーションツールだと思います。
頭の中ではそのイメージを把握しているつもりなのですが、実際ご飯に行ってみると「ふああ無理かもしれん泣」ってなるんですよね…そんな情けない自分に何度嫌気がさしたことか…

とまあ厄介な性質をもっていたわけなのですが、
コロナ禍で人と外食に行く機会が減ったことで、その性質に拍車がかかったわけです。

前々から多少の恐怖心は抱いていたものの、高校生の時とかは友達とご飯へ行くのが結局楽しみだったし、なんか、普通にできていた気がします。
しかし大学生になってコロナ禍が明けてからご飯へ行く際、特に「仲良くなりたい」「嫌われたくない」と思った方と一緒のときは、緊張MAXになって、終わった後毎回セルフ反省会をしてきました。

「この性質はもう直せないのか…?それか何度も試して克服していけるものなのか…?」

いろいろ考えました。

けど、なんやかんやあって

って感じで数カ月前まで悩んでいたのですが、
3月に入って就活が怒涛の展開で進み、授業やらフィールドワークやら、趣味やらに追われているうちにその悩みについて考える時間がないまま時が過ぎていきました。

この数カ月の中で、私のこういった厄介な性質を理解してくれている優しい友人とご飯に行ったり、正直あんまり気が進まない会食はやんわり断ったり、時には苦手な会食にもチャレンジしてみたり、一人の時間を満喫したりしてきました。

その中で気づいたのは、
「人ってあんまり自分のことなんか気にしてない」
ってことです。

なんか別の記事でも同じようなこと書いた気がするので笑、
多分私は過剰に「自分が他者からどう見られているか」を気にしやすい人なんだと思います。まあ、自意識過剰ってことですね笑

そう思った理由は、
私が親しい友人とご飯に行った時も、初対面の方やあんまり深くは知らない方とご飯に行った時も、相手が何を食べているかやどう食べているかは気にしてなかったなあと、終わった後に思い返したからです。

ご飯へ行っているときはついつい「自分」に意識が向いてしまい、
「今私は鶏の唐揚げをほおばっているが、目の前の男の子は『こいつこんな食うんや…』と引いていないだろうか…」とか、「今私はトークの番が回ってきていてしゃべっているけれども、歯に青のりが挟まっていないだろうか…」とか、
自分への見られ方みたいな、余計なことを考えてしまいます。

しかしある時、「一人でご飯を食べているのではなくて、せっかく人と来ているんだし、目の前の相手との時間を楽しんでみよう」と考えました。
具体的にやったこととしては、「相手の話をじっくり聞いて質問する(≒食べることより会話に集中する)」ことと、「相手が美味しそうに食べているのを見て自分も幸せをわけてもらおうとする」こと。そして、「他の人が別のしゃべっている人に意識を向けている間に、(話は軽く聞きつつ笑)目の前のご飯のおいしさに集中して味わう」ことです。

「いやいや、ご飯たべるだけなのにそんないろんなこと考える必要ある!?」
読んでくださってる方はそう感じているでしょう…
そしてその感覚が世間一般のものだと思います笑

でもでも、この3つをやったことで、一緒にご飯を食べてくれている相手がすごく愛おしく思えるんですよね!(え)
相手の歯に何かが挟まっていても、気になりはするし指摘はするかもしれないけれど、その人はその人というか。なんというか、その人のいいところは変わらないじゃんって。
で、しっかり話を聞いて、質問で深いところを引き出してみることで、普通にしゃべってる時よりもなぜかご飯を一緒に食べている時の方が相手の知らない一面を知れるという不思議。ご飯をご飯としてではなく、一つの相手のことを知れる機会ートーク会として捉えるみたいな。そうすると、「ご飯を食べなきゃ」という謎のプレッシャーから解放されました。

と、いうわけでですよ。
じゃあそれを、自分と相手の立場を交換してみたらどうなるか?ということです。

自分がそう思ったなら、多分相手もそう思っていると思います。
ジャイアンみたいな理論ですけど笑 多分相手も、よっぽど私の食事マナーが悪いわけでは無ければ不快に思うことはない…と信じてる…というかそういう暗示をかけていかなければやっていけない()笑

時には、自分に意識を向けるだけではなくて、
相手の立場に立ってみることで解決に近づくこともあるんだなあと学びました。

目の前の相手と楽しめる自分になりたい

というわけで、すこしずつ苦手だった会食をポジティブにとらえられるようになってきた私ですが。
まだ若干の恐怖心もありますし、自信をもてるほどのトークスキルがあるわけではありません!
けどやっぱり、何回も何回も挑戦してみる。これが私に合ったスタイルだろうと思います。

常に自分の内側だけに注意を向けるのではなくて、
相手との時間を楽しむことに全力投球する。
初対面の人だろうが、友人だろうが、少し気になっている人であろうが、相手の素敵なところを見つけられる素敵な機会だと考える。
人とご飯を食べられる回数、時間、お金、全て限られています。
今、その目の前の相手にホスピタリティをもって、
お互いに「楽しかったなあ」と思えるような時間を生み出せる
そんな人になれたら幸せだなと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?