端午の節句に比べ合うもの
旧暦五月五日。
この日とリンクする古文の一つが『堤中納言物語』の第五話〈逢坂越えぬ権中納言〉です。
主人公の中納言は、人恋しい夏の夕方、三日月に誘われて女性のもとへ行きたいと思うものの、なかなか踏み出せない。
そんな折、内裏で管弦の催しがあり、「帝がお待ちです」と使者が来たので、仕方なく応じる。その催しの後、五月五日に「菖蒲の根合せ」があることを聞かされる。
端午の節句。
邪気を払う力があるといわれる菖蒲(しょうぶ)を軒にさしたり薬玉(くすだま)にしたりしていました。
菖蒲といっても、紫の花が咲くアヤメ科のハナショウブではなく、サトイモ科のショウブ。スラリと細長い葉は、まるで緑色の刀です。
「菖蒲」を「あやめ」とも読むので、紛らわしいんですよね。
五月は、今の暦では爽やかな月というイメージですが、旧暦ではほぼ梅雨。体調を崩しやすい月です。
香りがよくて、先の尖っている葉の剣で、「厄除け」しようということでしょう。
「菖蒲の根合せ」は、平安時代の遊びの一つ。
左方と右方に別れて、菖蒲の根っこを出し合い、「長い方が勝ち!」となるんですね。
今でも端午の節句に菖蒲湯に入る風習がありますが、菖蒲の根元の茎って、赤みを帯びていますよね。
平安時代の襲(かさね)、かさなった衣の色合いのことですが、襲の本を見ると、「菖蒲の襲」に緑と薄紅の組み合わせがあります。(見出しの画像のような)
緑は葉の色であろうが、薄紅は何?と思っていたのですが、根元の茎の色という見方をしてもいいかもしれません。
根っこのくらべっこをしていたくらいですから。
方人(かたうど)の殿上人、心々(こころごころ)に取り出づる根の有様、いづれもいづれも劣らず見ゆる中にも、左のは、猶(なほ)なまめかしきけさへ添(そ)ひてぞ、中納言のし出(い)で給へる。合(あわ)せもて行くほどに、持(じ)にやならむと見ゆるを、左の、はてに取り出でられたる根ども、更に心及ぶべうもあらず。三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)、いはむかたなく守り居給(いたま)へり。「左(ひだり)勝ちぬるなめり」と、方人のけしき、したり顔に心地よげなり。
意訳:
それぞれの味方の殿上人が思い思いに取り出す根の様子は、どれも立派に見えるが、その中でも、左方のは、長い上につやっぽい雰囲気が加わるようにと、中納言は工夫した出し方をしていらっしゃる。双方の根を合わせてゆくうちに、「引き分けになるだろうか」と思えたが、左方が最後に出された根は、相手方が想像もできなかったにちがいないほどの見事さである。三位中将は何も言えないように見つめていらっしゃる。「左が勝ったようだ」と、左の人たちはドヤ顔で気分良さそうである。
ここのところ、「菖蒲の根合せ」の知識なしに読んだら、かなり戸惑うでしょうね。読解にはやはり古文常識が不可欠です。
蓬も香りの強さから端午の飾りに使われたとのこと。私も軒先ならぬnote先にかけることにします。
何かと鬱陶しい今の世の邪気が払われますように。
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