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リリカ、私はずっと作品を書き続けるから

リリカとインターネットで知り合ったのは、私が15歳くらいだった頃。とあるバンドのファンサイトでの交流からだった。私たちはそのバンドに心酔していた。もともとそのサイトのBBSで会話をしていたけど、私は自分のブログを開設して、リリカは個人サイトを持ってた。だから、そのファンサイトで交流することは減る代わりに、お互いの自宅でもあるブログとサイトをお互いに日参して、ブログにコメントしたりといった交流を重ねるうちに仲を深めた。話すうちわかったことだったが、リリカは私と同じ15歳だったのだ。

文通もした。私は富山県に、リリカは北海道に住んでいた。届いた手紙の差出人の名前は「リリカ」じゃなくて、普通の可愛い女の子の名前だった。ちなみに少し私の名前と似ていた。リリカの字はちょっと男っぽくて、好きだなあと思った。その後は、お手紙だけでなく、オススメのバンドの曲を詰め合わせたMDを送りあった。リリカに教えてもらったバンドがたくさんあるし、今も聴く。スムルース、ANATAKIKOU、タバコジュース、コックローチ、ミールアート、マキシマムザホルモン、ブリーフ&トランクス。

リリカは精神疾患を抱えていた。気分が落ち込んだ日は寝込んだり、外に出たらパニックになったり。あまり心身が安定していないようだった。希死念慮もあるようだった。当時の私も強迫性障害に悩み始めた頃で、そういった面でも意気投合して、心の病気ってしんどいよね、と慰めあった。
その頃、前述のバンドをきっかけに流れ着いたトモカという女の子とも意気投合していて、3人でネット上で会話することが多くなった。

当時ガラケーを持たせてもらっていた私たちは、たまに電話をした。初めて通話するとき、それはそれは緊張した。
「リリカってちゃんと実在してたんだねー!すごい!」
「私だって、さゆりはインターネットの妖精さんなんじゃないかって」
「なんそれ(笑)」
インターネットで饒舌に会話をしていた私たちは電話でも楽しくおしゃべりができた。
「ねえ、いつか、オフで会いたいね」
遠い田舎同士に住む私たちには夢物語だった。私は富山、リリカは北海道、トモカは関東に住んでいて、3人の距離は遠かった。
一緒に夏フェス行きたいよね。ライジングサン(北海道で開催されるロックフェス)は最高だよとリリカは言う。確かに憧れがあった。しかし高校生の私が北海道まで夏フェスに行くのは経済的に厳しいものがあった。
「うーん、もうちょっと大人になってバイト代がっつり稼いだら、北海道もいいなあ。でも東京あたりで合うのもアリじゃない?ロックインジャパンも楽しいぞ〜」

『まあ、いつか二十歳になったら。ライブ会場で一緒にお酒飲もうよ。』

野外フェス会場で、だと最高だけど、ライブハウスでもいい。大好きな友達と、最高の思い出になる。

「そうだね!乾杯したいね。なんかハタチ楽しみになってきた。バイトしてお金貯めなきゃなー」
「約束ね。ハタチになったら乾杯する。約束だからね!」






結局その約束が果たされることはなかった。



リリカは19歳で自ら命を絶った。



リリカの訃報は、mixiの、自死を匂わせていた日記にぶら下がっていたコメント欄で知ることとなった。

「リリカの兄です。心苦しいお知らせなのですが、実妹リリカは一昨日●●●●で逝去しました。これまでインターネットを通じてリリカを愛してくれた皆さまに、心より御礼申し上げます。」

よく覚えてないがそんなことが投稿されていた。


なんだそれ。


なんなんだそれ。


なんなんだよそれ

二十歳まで生きるんじゃなかったのか?夏フェスは?お酒一緒に飲むのは?

私は初め、リリカの死を信じていていなかった。リリカの虚言癖なんじゃないかって。あまりにも寂しくて構って欲しくて自死をにおわせたんじゃないかって。それとも、一回社会的に死んだという意味で肉体は生きているんじゃないかって。兄には口裏を合わせたんじゃないかって。

リリカの住所は知っていた。文通の差出人に丁寧に彼女の住所が書き記されていたからだ。仮に彼女の死が本当なのだとしたら、弔いたい。

でも、リリカがもう息をしない、おしゃべりもできない、電話でたわいない話もできない、悩みの相談もできない、好きな音楽の話もできない、それらすべてが奪われてしまったという現実に立ち向かう力は、当時の私にはなかった。
リリカがもういないという事実を受け入れるのが怖くて仕方なかった。

だからリリカの故郷には訪れていない。
ただ信じられなかった。本当はどこかで生きているんじゃないかって



トモカと少しメールでやり取りをしながらも、なんとか日常を取り戻していた約2か月後のこと。携帯に着信があった。実家の親かバイト先だろうと思い手に取ると、

それはリリカの携帯番号だった。

まさか。心臓がバクバクなる。

平静を装って電話に出る。
「…もしもし」
「突然お電話してすみません。さゆりさんの携帯電話で間違いないかしら」

電話口の相手はリリカではなかった。穏やかな女性の声。

「はい、そうです。さゆり…です」
「よかった。電話が繋がって。リリカの母です。急に電話してしまいごめんなさい」

この時点で、私は、やっぱりリリカは手の届かないところに行ってしまったことを理解した。もう一生、おしゃべりもお酒の乾杯も深夜の通話も悩み相談も文通も。オススメの音楽の交換だってできなくなったのだと悟った。

「あの子が亡くなる前から、たくさんお手紙とか、贈り物とか、さゆりさん、くれてたみたいで。いつも届くたびに目をキラキラさせて喜んでたの」
「そんなの、とんでもないです。娘さんからも私はたくさんのものを贈っていただいてました」
「そうなの…遠い距離なのに…仲良くしてくれて本当にありがとうね」

「リリカちゃんといっぱい話せて、たまに口論っぽくなるけど、仲直りして。同じ趣味の話して。遠い街で同じ歳の同じ趣味の女の子が、偶然私を見つけてくれて、仲良くしてくれたのが…毎日ネットで話せて…本当に…宝物みたいな時間でした…」
最後の方は嗚咽でうまく伝わっていたかわからない。

「さゆりさん、改めてになるけどね。リリカと友達になってくれて本当にありがとう」
「こちらこそ、感謝してもしきれません」

「最後にお願いがあるんだけどね」
「はい」


「さゆりちゃんは、生きていてね」


その瞬間涙が溢れた。

「はい、約束します」




リリカの個人サイトには、オリジナルの詩のコンテンツがあった。彼女は詩人だったのだ。かつてサイトには膨大な量の作品があった。
今サイトにアクセスしてみたけど、過去の作品を閲覧することはできなかった。
19歳で命を絶ったリリカ。32歳まで生きてしまった私。
なあ、もし32歳になってたリリカは一体どんな詩を書いたんだろう。
リリカ、あのね。あの頃は分かんなかったかもだけど、今、2010年代から、詩っていろんなイベント開催されてるんだよ。だから私、リリカの詩がその場で披露されるのを見てみたかった。
もしスラムとかパフォーマンスの場に出るとしたら、どんな面白いものを見せてくれたんだろうって。

まあ言ってもどうしようもないし、とりあえず私は書いてるよ。
何にもならないかもしれないけど、書くことでちょっとリリカに届くんじゃないかって気がしてるんだ。

会いたいよ。時空なんか全部無視して、ハタチのリリカとハタチの私とハタチのトモカで、乾杯したいよ。

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