インターネットに君がひろがる(3)(終)
「「ありがとうございましたーまたご利用くださいませー」」
彼女との深夜シフトは穏やかに始まった。
「誰も来ない。暇ですね」
「雨だしね。この暇こそが深夜コンビニバイトの醍醐味だよ」
「5時までかー長いなあ〜」
「どうせ今日もあっという間だよ、はい、お菓子の前出し行ってきて」
当たり障りのない会話をしながら、いつあの話題を切り出そうかと頭の中はそれでいっぱいだった。
俺が今日一つ心に決めていたことは、あの画像が本当に彼女なのかを本人に必ず確かめる、ということだった。勇気が要る。はぐらかされてもいい、嘘をつかれても、思い込みだと言われても、笑われても、軽蔑されても、どんな答えが返ってきてもいい。
そして、尋ねるのはその1点だけにしておく。誰があれをインターネットの海に投げたのか、そして有象無象のエロ系アカウントに拡がっていることは知っているのか。そこまでは聞かないでおく。
「はぁ〜、ねむ」
売れた商品の空白を埋める作業から戻ってきた彼女は、とても眠そうにあくびをした。深夜シフトなのに、今日一日中起きていたんだろうか。
彼女はしゃがみこんで、気合いを入れ直すように靴紐を結び直した。顔にかかった髪を左右に分けて、自然な手癖のように、髪を耳にかけた。
(あっ)
ない。
そこにあったはずの、ニシキヘビのピアスが消えていた。
まさか。
「あれ、耳につけてたヘビ、取っちゃったの?」平静を装って尋ねるが、心臓が速い。
「え、よく気付きましたね!ってかあのピアス存在感あったから消えたらそりゃ気付くか(笑)」
何もついていない耳を触りながら、彼女は少し寂しそうな表情をした。気がする。
「あれ、気に入ってたんですけど、同じピアスずっと付けてるのって衛生的にあんまり良くないんです。だから一旦外して、洗浄中なんですよ」
「へぇ、そういうもんなんだ」
「そういうもんなんです。あとまあ、気分転換ですね。うふふ」
俺は確信した。
まず、彼女はあの画像がインターネットに放たれたことを、知っている。もっといえば、止められないレベルで拡散されていることにも。だからこそリアルでの特定を避けるため、慌ててあの特徴的なピアスを外した。
やはりあの画像の人物は、今隣にいるこの女の子で間違いないのか?
「休憩いただきまーす」
「行ってらっしゃーい」
彼女が休憩に入って、30分間のワンオペが始まった。外は雨足が強くなり、客足はぱったりと止まったままだ。
俺はレジで堂々とスマホを取り出した。何度も何度も、穴があくほど見た例の画像を、改めて見てみる。別人のように加工された顔のパーツも、今思えば元の素材は彼女の顔だと思わされる。唯一ヒントを与えてくれたヘビのピアスはまだその耳についている。そのたった一つの手がかりは、今日、彼女の手によって、なかったものにされていた。まぁ、それこそが俺の確信を深めさせたんだけど。
顔とピアスばかり見ているが、この画像の主旨は胸なんだ。確かに大きい。巨乳と言って差し支えないだろう。店の制服を着ているとき、そんなに大きいと感じたり特別その胸が気になったことはなかった。着痩せするタイプなのだろうか。だからこそこの画像を見た時に激しく動揺し、興奮したんだ。
俺は彼女が好きだ。友達じゃなく、恋愛の対象として好きだ。たぶん。
少しハスキーな声。白めの肌。女の子っぽい笑い方。小っちゃい手。接客の時に滲み出る、思いやりと優しさ。無断欠勤をしない真面目さ。くりくりとした瞳。俺の名前を呼ぶ声。
俺は彼女が好きだった。いや、あの画像を見ても、今も彼女が好きだ。ただ、悲しいくらいに俺は、このコンビニで働く彼女の姿しか知らない。
彼氏になりたいわけじゃない。ただ、コンビニの外で生きる彼女に触れてみたい。何を食べたとか、何時に寝たとか、どんな音楽を聴いているかとか、その程度でいい。裸で触れ合いたいとか、今は思わない。
今はただ、
この二人きりのバイトの時間が永遠に続けばいいと、
いつの間にか豪雨状態になった雨が俺たち二人を隔離して、このコンビニごと何処かへ行けてしまえばいいと、
上がりの5時がいつまでも来なければいいと、
この深夜が永遠に朝になりませんようにと。
それが今の願望だ。叶わない願い。
休憩時間の30分を過ぎても、彼女は事務所から戻って来なかった。もしや寝ているのではないか?
そっと覗き込むと、案の定、彼女は事務所のテーブルに体を預けて眠っていた。すうすうと寝息を立てている。
その瞬間だった。
よくわからないが、今しかないと思った。いけない、とわかっていながら。
消音カメラのアプリを立ち上げる。頼む、目覚めないでくれ、と心臓をバクバクさせながら、彼女の寝顔を撮影した。心臓はまだバクバクしている。幸いなことに彼女はまだ寝息を立てていた。
「休憩時間終わりだよー」と声をかけようとしたとき、彼女のそばに置いてあったiPhoneがパッと明るくなった。誰かからのメッセージだろうか。見てはいけない、見てはいけないと思いつつ、視線が吸い寄せられていく。
《●●●:先日の編集終わったぶん、Twitterにアップしました!前に一応確認してもらったけど、NGあったら削除するから言ってね。また遊ぼうね〜」》
《https://twitter.com/●●●●/~~~~~~~~》
編集? Twitterにアップ? このアカウントに、彼女が関係しているのか? もしかしてモデルや被写体でもやっているのだろうか。
俺はメッセージに届いていたTwitterのURLのID部分を一瞬で暗記した。
それから彼女のiPhoneをそっと裏返しに伏せて、彼女を起こした。
「えっもう30分過ぎてた!?すみません!!起こしてくれてありがとうございます!」
「アラームとかかけていいんだからね。俺別に気にしないから」
「本当すみません…。では、5分押しで、休憩行ってらっしゃいませ!」
「はーい、休憩いただきまーす。トラブルとかわかんないことあったら呼んでね」
え、てか雨やばくないですか?こんなの誰も客こないですよ。
楽しそうにつぶやく彼女を見送りながら、俺は椅子に腰掛けてすぐにスマホを取り出した。
そしてさっき一瞬で暗記したTwitterのIDを検索すると、ヒットしたのは、信じられないアカウントだった。
流浪のオフパコ師 @xxxxxxxx
東京|20代|174cm|62kg|塩顔|ソフト言葉責め|甘イチャ系が得意|明るくて思いやりがあるって言われます|生き物オタク|まずは💌待ってます!
俗にいうヤリモク男のプロフィールだ。何かの間違いじゃないかと思った。まさか彼女が?
さっき盗み見たメッセージを思い出す。
《●●●:先日の編集終わったぶん、Twitterにアップしました!前に一応確認してもらったけど、NGあったら削除するから言ってね。また遊ぼうね〜」
これは。いけない。ダメだ。今の俺は、このアカウントを見てはいけない。絶対に見てはいけない。見るな。見てはいけない。見るな。忘れろ。見るな。頭の中で警告音が鳴る。
だけど指が言うことを聞かない。ゆっくりと、ゆっくりと、その男のツイートをスクロールし始める。
《流浪のオフパコ師@xxxxxx
【1/3】アポしたらまさかの爬虫類趣味被り(笑)極上FカップのLJKちゃん。ちょっとハスキーに可愛く喘いでくれました。》
悲鳴にならない声が出る。爬虫類趣味被り?ハスキーな声?それなのに、
LJK?彼女は大学生のはずだ。これは彼女で確定なのか?悲しくも、下半身が少し反応してしまっている。とにかく、動画でその姿を確認したい。頭の中で鳴り響く警告音を振り切って、ツイート文の下の動画を再生しようとした瞬間、
「休憩中すいません!あの、タバコのカートンってどこにあるか教えてもらっていいですか?」
ワンオペ中の彼女が事務所に飛び込んできた。体がビクッと跳ねる。すぐにスマホの灯りを消す。
「客きたんだね(笑)上がりまで客ゼロかと思ってたわ」
「えっと、195番のカートンが欲しいらしくて…在庫ってどこに置いてましたっけ」
「えーっと、はいはい、カートンはね……えーっと」
すぐに店員モードに切り替える。
「大変お待たせいたしました、こちらの商品でお間違えないかご確認お願い致します」
「「ありがとうございましたーまたご利用くださいませー」」
「今日もお疲れ様でしたー」
5時になり、無事に早朝シフトの人員に引き継ぎを済ませた俺たちは事務所で雑談をしていた。この時間が労働後の楽しみなのだった。
「雨止んでよかったね」
「私、雨上がりの匂い好きです」
「わかる。俺も好き」
「帰ったらとりあえず仮眠ですねー。あー今日眠かったなー」
そう言ってまた髪を耳にかけた。
「あのさ、あのヘビのピアス今ついてないけどさ」
「はい?」
「何もつけてない耳も、きれいだと思う、よ」
彼女は目を丸くしたあと、少し笑った。
「次は何のピアス付けようかなって迷ってたけど、しばらくすっぴんもいいかも」
ありがとうございます、と彼女は俺と視線を合わせた。
帰宅した俺は、リュックを放り出して、すぐに例のオフパコ師のアカウントを見た。ハメ撮りの動画が3つ投稿されていて、背中に大きな龍の彫り物を携えた男の下で喘いでいるのは確かに彼女だった。バックの体勢で彼女の耳が見えたとき、やはりあのヘビのピアスがいた。俺は少しだけ泣いたあと、その動画でオナニーをした。今日盗撮した彼女の寝顔を見て、また泣いた。
彼氏になりたいわけじゃないなんて嘘だ。何を食べたとか、何時に寝たとか、どんな音楽を聴いているかとか、その程度で満足できるわけがない。裸で触れ合いたい。エロいことをしたい。俺と彼女だけの、1対1の関係になりたい。俺の、俺だけの、恋人になってほしかった。
そのことに気づいた。気付かされた。このヤリモク男に。また涙がぽろぽろと出た。
次のシフトが一緒の日、君が好きだと伝えようと思った。返事はいらないと思っている。
これが、さんざん、コンビニの外の君を盗み見た俺への罰であり、ありったけの誠意だ。
きっと、いや、確実に失恋するだろう。
だけど聞いて欲しいんだ。億劫だったはずのバイトは、君が新入りで来た日から出勤が楽しみで仕方なくなったこと。初めて異性にドキドキしたこと。カレンダーアプリの出勤日がキラキラして見えたこと。君の声が、笑顔が、大好きだったこと。
ありがとう。つまんねーバイトを、楽しい時間にしてくれて。本当にありがとう。
(おしまい)
2022/10/2〜4 9143字
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