土器を見に行く 駒ヶ根市立博物館
行ってからずいぶん経ってしまった。
もう、収蔵庫の土器があまりにも多すぎて、何を見たらいいのかよくわからなくなってしまった。
その時はとにかく興奮してやたら写真を撮りまくったことだけは憶えている。説明をしてくれた館長さんも、ウズウズしている僕を察したように説明を切り上げ「どうぞ撮って下さい」と促してくださった。めちゃくちゃ気を遣わせている。申し訳ない。
しかしお墨付きを頂いた瞬間から、引くくらいシャッターを押しまくる僕。撮ってる挙動がヤバイのが自分でもわかる。なぜか職員の方がもうひとり登場した。「もしもの時は、もしもだぞ」という、公務員としての治安維持の心意気を強く感じ、感動した。すばらしい。
感動してるお前がそもそも、そうさせている元凶なのだが。
駒ヶ根市博物館の土器たちは、大量なだけじゃなくて、どれもやたら個性的で主張が強く、さらにはバリエーションが豊かだ。陶器市でもやってるのか?ってくらい、あちこちのスタイルが混在していた。
こんなん見たことない。東海方面のスタイルだそうです。イキりまくってる。ほぼ武器。度を越したヤンキースタイルのバイクに施された竹槍のようだとも思ったけど、実際のところ、ここに収蔵されているほぼ全土器がこれ以上に逸脱しているので、思ったより正統派な印象。
ドヤンキーなのに「お前進学校行くの?!」的な。
井戸尻式!はじめて見た!なぜか駒ヶ根で!
このタイプ、めちゃくちゃSFっぽくて好きなんです。
縄文生成物を宇宙と関連付けるんなら、遮光器土偶とかよりこっちだと思っている。各把手のそれはロケットエンジンだ。
埋瓶スタイルで逆さにひっくり返せば、郷土館よりJAXA管轄のブツになるはず。
めちゃくちゃ主張してくる打突孔も多かった。
後期とか晩期、東北の土偶なんかでよく見る、ニキビみたいにガッシガシ打突孔を開けられている容赦ないスタイルを思い出した。やっぱり執拗にならざるを得ない何かがあるんだろうか。
耳にしか見えない。しかもやたらと具象めいている。縄文時代にも三木富雄はいたのだ。そして、縄文でも昭和でも、結局全てが謎のまま。でもちょっと美味そう。ミミガー?
同市あゆみ館にも所蔵されていた魔神器スタイルの鍔付土器。あっちの魔神器の取手はめちゃくちゃ骨っぽかったけれど、こっちのソレにはなんだかアイテム感がある。ちょっと「骨って言ってすいませんでした」的な気まずい気分もあるけれど、今後どこかで全てをひっくり返すような『話にならないくらいあからさまに骨』なブツが登場することも大いに考えられる。縄文土器ってこういうところが油断ならない。
ニワトリスタイルの把手。これがクラスチェンジを繰り返すと、新潟の宝、火焔土器になるはず。もしくは南下してきた火焔土器が、外様故におとなしく「弱火」になっているのかも。見えない胴体は勝坂式です。
火焔土器の「ファイヤー!」なスタイルは決して引用せず、把手のデザインを持ってくるところに勝坂のプライドを感じたりする。そこは譲らねえぜ、みたいな。
左の唐草と、右の焼町式っぽい勝坂式。なんか混ざってる感じがする。スタイルの衝突があちこちで起きている。ほんとに陶器市っぽくなってきた。
で、伊那から南下すると、やたらとこのメガネ的な区画が目につくようになってくる。
そこまで目立つような形ではないし、他の地域でも普通に見られる形だけど、なぜかここの土器群を見ていると、メガネ的な区画を強調してくるように思えてくる。
ここまでくるとちょっと違う気もするけれど、収蔵品たちの全体的な印象としてメガネっぽい雰囲気がある。
そんな「まんべんなくメガネ」な世界観の中にいると、見る側の目が、そうでないけど似た感じのブツにもメガネを見出そうとしてしまう。
クラスの9割がメガネなら、残りの1割も「大枠としてだいたいメガネ」の印象になってしまうような。
メガネオンリーの皿なのか、たまたま上部だけ掘り出されたのか。どっちもありうる神話感。
僕がアルフォートと勝手に呼んでる区画が、トポロジカルに立体感を増して把手に成長しようとしている。すげえびっくりしたけれど、過去の写真を見たら松本にもそういう傾向の土器はあった。
でもこれが駒ヶ根にあると、メガネ軍勢にフチ周辺の利権を取られそうになったアルフォートが、存在を消される前に把手として延命しようとしてるのでは?などとトンデモ妄想が捗る。
では、最後に今回一番シンパシーを感じたブツを。
もう唐突すぎて、どういうつもりなのかさっぱりわからない。
子どもが作ったようにも見えるし、ヤンチャな逸脱者がついつい「やらかした」ようにも見える。
ともあれ、あらゆる縄文土器のスタイルに当てはまらないことは確かで、追随するブツが出てこない以上、やっぱり「やらかし」の線が濃厚か。
だとしたらもう、これを世界最古のパンクファッションと呼んでも差し支えないはずだ。
全身を満たす鋲は、いつだってノーフューチャーの証。真のオリジナルが一見、失敗に見えてしまうのは時代の常だ。
最後のダメ押しに、メガネとアルフォートの中間を。
どっちつかずな上に、さっきの把手にクラスチェンジする気概もないままウダウダしてたら、いつのまにか区画自体が破線になって消えつつあるようにも見える。カムバックアルフォート。昨日も食べたけど美味しかったよ!
ちなみに令和のアルフォートも迫害の真っ最中だ。材料費高騰のあおりで一個一個が全盛期の半分にまで小さくなってしまった。令和と縄文、思わぬところに共通点が。
そのうちアルフォートもグラサン形のチョコに…それはそれで旨そうだけど、商品名は変えたほうがいいかもしれない。