ねつ野菜

農作業従事者・伊那谷アンビエントワークス

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最近の記事

輪島功一の試合と縄文土器

関根勤が輪島に扮する、定番のモノマネを見ていた。 今に至るまで何度もあちこちで繰り返され、もはや伝統芸能になりつつある氏のモノマネを見ているうちに、いまさらだけど気がついた。 「そういえば輪島の試合、ちゃんと見たことがないな」 だからためしに見た。 凄い。一瞬で引き込まれた。 ベルトをもぎ取った大一番から最後の試合まで、一気に全部見た。 僕は輪島をよく知らなかったから、全試合、勝つか負けるか、ヒヤヒヤしながら見ることができた。これはちょっとだけラッキーだったかもしれない。

    • 土器を見に行く 駒ヶ根市立博物館

      行ってからずいぶん経ってしまった。 もう、収蔵庫の土器があまりにも多すぎて、何を見たらいいのかよくわからなくなってしまった。 その時はとにかく興奮してやたら写真を撮りまくったことだけは憶えている。説明をしてくれた館長さんも、ウズウズしている僕を察したように説明を切り上げ「どうぞ撮って下さい」と促してくださった。めちゃくちゃ気を遣わせている。申し訳ない。 しかしお墨付きを頂いた瞬間から、引くくらいシャッターを押しまくる僕。撮ってる挙動がヤバイのが自分でもわかる。なぜか職員の方

      • 縄文土器のヌメヌメ感触妄想が再び粉砕される

        次のレポートが停滞したままなのに、頭の中では縄文土器まわりの妄想があちこち好き勝手に飛び回っております。 だいたい寝れば忘れるのですが、日をまたいだ妄想は頭に宿泊してしまいます。そうなるとそいつをこねくりまわす日々になるので、いささか面倒です。 そうなる前に迷惑顧みず、ここで吐き出してしまいます。インターネットってすばらしい! 以下の妄想は、以前書いた記事の補足的な話になると思います。 今回の主役もまたこいつです上記リンクの記事で、このイモムシ的なやつ、イモムシじゃなくて

        • 映画 ルックバック

          アマプラで見た。とても素敵な令和まんが道。 短い時間なのに美味しいところがぎっしり詰まっていた。とても真摯な作りで、要所要所の泣くべきところできっちり泣かせてくる。才能をめぐる煩悶からバディもの、アクションにフィクションラインをねじるようなファンタジー、心情の伏線回収。作る人の掌がまるで「これは特別な作品になる」と言ってるような、よい作品が送り出される時の産声が満ちている。主人公の貧乏ゆすりが、その胎動に現実味を加えている。 何度もグッときたし、ふたりの登場人物の顔がなんかず

          靴マグリット

          靴マグリット

          土偶(の実物)を読む 駒ヶ根市立博物館 

          駒ヶ根市立博物館の収蔵庫を、館長さん直々の案内で見せて頂きました。 ものすごい量の土器があったのですが、それらは全部後回しにして、この記事では一体の土偶と、館長さんとの話から派生した手前勝手な妄想を書こうと思います。 頭の中にあるうちに書いておかないと忘れそうなので。 問題の土偶がこれです。注目したのは、土偶下部中央にある、縦長の棒。 これ見て思わず言っちゃったんですよね。 「これ、男じゃないですか?」と。 館長さんは立場上、アカデミズムに基づいた視点で話してくれます。

          土偶(の実物)を読む 駒ヶ根市立博物館 

          映画 ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

          すばらしいドキュメンタリー。アマプラで観た。 アメリカの公務員夫婦が30年かけて、趣味で現代アートのコレクションを続ける話。夫婦はそれらを一点も売らなかった。 夫婦の審美眼は確かで、公務員の給料で安く買ったコレクションの価値は時間と共に暴騰している。一点でも売れば、1DKのアパートから出られるのに、二人はそうしない。 金よりコレクションだと、さも当たり前に言う。 観終わって、素敵な映画だったなあと寝た翌朝、妻に「いい映画を観たんだ」と報告していたら、やたらと泣けてきた。

          映画 ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

          AIキース・ヘリングに縄文してもらう

          キース・ヘリングの描線は、どうも中期縄文土器の描線と似ている。どちらも太くてファニーなのだ。それも、ちょっと必要以上に。 「そこまでする必要ある?」ってところまで具現化してしまう。はみ出してしまう。どこか窮屈さに中指を立てているところも似ている。 キース・ヘリングの縁取られた無個性からは、無個性であることの鬱屈は感じない。むしろ個から開放された楽しさが満ちている。 対して縄文土器は開放されているようでありながら、『ゆるい割にはタブーが厳密』だ。 ここは真逆か。 でもなん

          AIキース・ヘリングに縄文してもらう

          土器を見に行く 駒ヶ根市ふるさとあゆみ館

          農作業によるおあずけが続いたけれど、ようやく土器にありつけた。 ここの縄文土器は少ないけれど、展示室は一人でいつまでも見ていてOK。落ち着いて土器を見続けられる環境って、実はあまり無い。ちゃんと監視する人がいたり、カメラがついてたりとか。もちろんセキュリティ上当然のことだけど、本っと当にちょっと、ほんのわずかだけ、背筋に緊張が残る。 そうやって見るのもアカデミックな有り難みが出てくるから味わい深いけれど、ここのようなラフさは刻々失われてゆく気がする。気楽に見に行けるうちに行っ

          土器を見に行く 駒ヶ根市ふるさとあゆみ館

          郷土館に行けないストレスを解消するため、縄文土製品をAIで生成する

          土器見たい!でも見れない!キー! タマネギの定植に追われまくっていて、土器を見に行く時間がない。郷土館も博物館も、行きたいところはたくさんあるし、すぐ近くにだって見逃した収蔵物がたくさんあるのに。 夜は農作業ができないので、いっくらでも時間がある。だけど、終夜営業の郷土館なんて聞いたことがない。 だからもう、悔しいので、AIで縄文っぽい土製品をたくさん作ることにした。僕がよくやる方法で、同じ画像内にものをたくさん並べると、相互が干渉しあって、不思議な統一感というか、偏見

          郷土館に行けないストレスを解消するため、縄文土製品をAIで生成する

          爆睡AI国会

          仕事をしながらラジオを聞いていると、国会中継が流れてくることもある。 国会では強い言葉が飛び交っている。しかも最近はなんだか、見聞きする人の感情を逆なでするような言葉をたくさん使って相手を攻撃している。 攻撃されている方だって、効いている様子を見せてはいけないのでフニャフニャとかわしている。 それは結構なんだけど、そこでかわされた流れ弾はこっちまで届いてしまう。そしてもれなく被弾する。被弾して、すごくいやな気分になる。国会中継なんて視聴しちゃう方が悪いのかもしれないけれど、

          縄文人風の人々をAI生成し、存在しないところから見返されてみる。

          急に思いついて、当時っぽい縄文人風の記念写真をAIで生成してみた。 当たり前だけど彼らは存在していなくて、令和六年にどこかの高速PCを思い切り発熱させて紡ぎ上げた幻覚だ。 AIは言われるがままに、何の価値も持たない、誤解だけで紡いだデタラメを何枚も吐き出し、こちらはどこまでも誤解を深めながら、どうにかそれっぽい空気を、誤解の雲の中から探そうとする。 この、誤解の海を捜索し続ける感じがとても好きだ。 だいたい生成は、軽い気持ちで始まる。 縄文時代ってこんなだったか?違う

          縄文人風の人々をAI生成し、存在しないところから見返されてみる。

          「農作業をする身体」を情報源に、縄文時代の蛇と蛙を想像する

          僕は毎日農作業をしている。 そうすると、縄文時代にアクセスできそうな経路が畑の中からちょくちょく見えてくることがある。 最近になって縄文土器を見たり、いろんな本を読んだりするうち、ひょっとしたら「毎日自然に触れている身体」というのは、縄文時代を知る上で、最大の情報源になるんじゃないか、と思い始めた。 もちろん、いくら自然と密接だからって、縄文時代について新たな事実はわからない。放射性炭素年代測定にまさる分析力は、いくら農作業をしても身につかない。 つまり裏付けになるよう

          「農作業をする身体」を情報源に、縄文時代の蛇と蛙を想像する

          AI美女を生成するはずが、ダルマと本気でメンチを切り合うことに

          僕だってAI美女を作りたい!理想の彼女をどんどん生成してウハウハしたい! そう思っていざ生成を始めたはずなのに、どうやらやってるうちにだんだん「本来の欲望」が鎌首をもたげてきた。 せっかく直線的でわかりやすい欲(性欲とか)を原動力にウハウハしようと思ったのに、厄介な「本来の欲望」は常に腹の底で発露の機会を待っていて、ここぞというタイミングでこちらの脳を乗っ取る。 「なあお前、本当は紋切り型の美女が見たいんじゃないだろう?」 「素直になれよ。お前が見たいのは美女じゃなくて

          AI美女を生成するはずが、ダルマと本気でメンチを切り合うことに

          土器を見に行く 松本市立考古博物館

          頭でっかちを打ち砕くのは常に現物。 というわけでわざわざ殴られに、ホームタウンの伊那から縄文銀座の諏訪、岡谷をすっ飛ばして、大都会松本市へ。 ここは遺跡の数も半端なく、発掘物もなんだか堂々としている。 今回は残念ながら主役級のブツが数点、山梨に出張中だけど、展示されてる量がかなりあるので、むしろ他に集中できて助かった。また来る楽しみもできたし。 しかしは何度見ても、どこへ行っても縄文生成物の現物には興奮作用がある。 見ていると頭がカーっとしてくるというか、「なんかどうにかし

          土器を見に行く 松本市立考古博物館

          中期縄文土器における「つい、うっかり」をAI画像生成でシミュレートする

          初期の画像生成AI、ディープドリームが作った生成画像をはじめて見た時、似てるなと思ったのが縄文土器だった。 渦巻っていうのは「とにかく何か生成しようとしてる」んだな、という感覚は、人間も機械も一緒なんだと、妙な親近感が湧いた。 人は「ついうっかり」描線を曲げる。 本当はまっすぐ描きたいし、作りたい。しかるべき箇所、しかるべきタイミングで曲げたい。ちゃんとしたい。いいものを作りたい。だから狙いを定めるけれど、だいたいうまくいかない。 ついうっかり、曲がってしまうのだ。何か

          中期縄文土器における「つい、うっかり」をAI画像生成でシミュレートする