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根付師のキモノ語り始めます

「サザ◯さん家」のような家でしたので


キモノは日常着

物心ついた時からごく普通に父も母も家でよくキモノを着ていました。
と言うと、何か伝統芸能に携わる家?由緒ある家?みたいに思われがちですが、ごくごくフツーの昭和のサラリーマン家庭です。
昭和8生まれの父(道産子)と昭和12年生まれの母(サシスセソが言えない江戸ッ子)ともに、冬の間はウールの着物を家着として着ていました。

父はごくフツーのサラリーマンなのでごくフツーの背広姿で会社に通い(さすがに波平さんやマスオさんのような帽子は被ってませんでした…)帰宅すると背広からウールの長着に兵庫帯(角帯でなくシゴキみたいな柔らかい絞りの帯)に着替え、夕食を食べたりテレビを観たりフツーに寛いでました。

母は子供の頃から病弱だったので、私が物心ついた時も疲れるとすぐに横になり身体を休めるといった生活で冬場はキモノの方が温かくゴロンと横になり安いからとウールのキモノに作り帯をして過ごす日が多かったです。
台所仕事も割烹着と前掛けをしてごくフツーにこなしていたので、まさにサザ◯さん家のフネさんのようでした。
ただ違うのは外出する時は洋服を着ていたこと。ごくごく近所の買い物はキモノのままでしたが、バスや電車に乗っての外出はワンピースやスカート、ジーンズ姿といった昭和のごくフツーの洋服スカートです。

そして私も幼稚園か小学一年生の時にはすでに自分用の浴衣とウールのアンサンブル(長着と羽織のセット)があり、めったにひかない風邪など引いた時には身体をウールのキモノを着させられていた記憶があります。(“体調を崩した時はキモノを着るほうが身体に良いから”と教えられて育った話はまた改めて)

そのようなわけで、私にとっては「キモノは楽な普段着」という感覚が植え付けられてしまっています。

空白の11年間

幼稚園、小学、中学、高校、大学、社会人と全ての生活の中でわりとフツーにキモノを着ることが多い人生を過ごしてきた私ですが、四十路半ばに突然スタートした親の介護で生活スタイルが一変します。
よくキモノを着ていた両親も身体の自由が効かなくなるとキモノでの生活はかえって動きにくく着ることができなくなり、そして介護をする側の私もキモノを着ることが不可能になり、よほど仕事上で着物姿が必要でない限りは着ることがない生活になったのです。
そんなこんなで11年間の月日が流れ、介護生活も今年終わりを迎えました。

部屋の片付けをしながら、ふと「ああ、暑さもおさまってきてそろそろ単衣が着れる季節だなぁ…」と無意識に呟いたのをきっかけに、そうだキモノを着よう!いう気持ちが自然に湧いて出てきましたので久々にキモノのある暮らし復活です。

着るのも、縫うのも、手入れも好き

子供の頃から普段着キモノに囲まれてきたせいか、着るだけでなく、半衿つけなどの着るキモノの準備、また着た後のヨゴレチェックやお手入れなども大好きです。
箪笥の和装小物は母や叔母の手作りが多いので、私も大人になってからは湯文字や裾よけなどの和装小物も色々工夫して作ったりするようになり、会社勤めの合間に少しだけ和裁教室に通っていた時もありました。
残念ながら2年もせずに仕事の都合で辞めざるを得ず、袷の長着を習わることができませんでしたが、当日習って縫った単衣の長襦袢や半幅帯、そして長着は今でもしっかり着られています。

20数年前、和裁教室に通って初めて縫った自分用の「単衣の長襦袢」と「単衣の半幅帯」

昭和な日常キモノ生活の断片を

家にあるキモノ箪笥には、そんな母や叔母から伝え教えられた、ごく極フツーの「昭和的日常キモノ」がいっぱい詰まっていますので、私の記憶が確かなうちに我が家の日常キモノのアレコレを少しずつ書き残しておこうと思います。

江戸から明治、大正、昭和と薄れ去られていく「日常着としてのキモノ」の名残りを色んなカタチで楽しんでいただければ我が家のキモノたちも喜ぶかと。

「ある秋の日のキモノ」…このお品書きは改めて

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