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ライブをしなくなったビートルズ


最近ずっとビートルズを聴いている。


デモ、ライブ音源が入っているアンソロジー。それらが入っていたiPodは金欠だったとうの昔に売りに出してしまった。残っているのは自分で買ったCDとサブスクに残っている無数の音源である。少し前にアンソロジーがサブスクにあることに気付いて小躍りしたものだ。



実家にはビートルズのレコード、CD、ビデオ、DVDが揃っている。

帰省するたびにそれらを愛でている。現在住んでいる住居にもビートルズ関連の書籍が多数ある。
思えばビートルズに始まり、ビートルズに終わるかもしれない人生だ。


久しぶりに"And Your Bird Can Sing”のアンソロジー版を聴いて久々に笑った。オケに重ねる形で歌っているのだが、ジョンとポールが冒頭から笑っている。ハイになっているのだろうか、中期のバンド内が揺れていたであろう状況において楽しそう雰囲気が伝わるのはファンとして嬉しい。



何冊ものビートルズに関しての書籍を読んできたが、この記事で改めてビートルズが与えた影響の大きさを思い出した。


初期〜中期のビートルズはまさにアイドルであった。


世の中に「もし」はない。
ただビートルズがライブ活動を辞めていなかったら?という世界はとても興味深い。

1966年8月29日のサンフランシスコでのスタジアム公演が、彼らの「公式な」公の前でのラストライヴになった。ルーフトップ・コンサートがライブかどうかは意見が分かれるだろう。

ビートルマニアによる桁外れの歓声、演奏システムの不足、プライベートが危険に晒されていた。様々な外的要因が彼らをライヴから遠ざけ、ライブバンドからスタジオワーク主体のバンドへと変化させていったのだろう。

ライヴ活動終了後、初めてのアルバムである『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』世界初のコンセプト・アルバムとして、現在でも多大なる評価を受けている。実験音楽要素、サイケデリックもさらに取り入れ、当時のライヴ環境では再現不可能な作品となっている。

ただ、現代なら。同期などを用いてできるのではないか。

ライブをしないという選択肢を取ったからこそ、音源にすべてをかけてアルバムを制作していったのだろうが。

彼らの実験音楽などを取り入れたうえでのライブがあったとしたら今の音楽シーンはまた違うものになっていたであろう。


しかしその事実が「なかった」からこそ、今に繋がっているのだ。
なかったからこそ、こうしてあーだこーだと話すことができる。
詳しく書いていこうと思ったが結局妄想以外の何物でもなく、それは酒の席でいつか、みんなで笑いながら話そうと思う。


これほど世界に影響を与えたバンドが今後、出てくることは考えにくい。
社会現象を巻き起こし、日本でさえも武道館を使用させるまでにいたった。グループサウンズ、フォークソングに影響を与えた。教育家にビートルズは聴くなと発言させた。だけど若者は熱狂した。


音楽の良し悪しに基準はない。

もし音楽の良し悪しが数値で表されるなら楽なのになと私自身が作曲で行き詰まった時に思ったことがある。音楽が数値化された世界、ビートルズの数値を100としたら、500を超えるバンドはもう既にこの世に、存在しているのかもしれない。ただ、当たり前の話なのだが、音楽に数値はない。

音楽は聞き手の裁量に委ねられるのだ。クラシックが好きな人、ヒップホップが好きな人、メタルが好きな人。みんな違ってしかるべき。

だからこそ色々な視点を持った人がそれぞれの音楽をつくり、それを聴き、音源を買ったり、ライブに足を運んだり、批評をしたりする。

音楽の多様性、音楽を聴く姿勢、音楽との関わり方を世界中の人にいち早く伝えたのがビートルズだろう。


ずっと一人でいると変な妄想をしてしまう。時間が全く確保できないのだが溜まっている本を読む深夜に憧れながら今日はここまでとしよう。
明日はもう少し、しっかりとした記事を書きます。


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