本音で思うこと 場面緘黙症

文章がぐちゃぐちゃかもしれません。本音で書いているので、ネガティヴが多いです。




自分の気持ちを押し殺して生きてきました。
場面緘黙症という症状を知らなかった私は自分が悪いんだ、自分が甘えているせいで周りを家族を恥ずかしい目に合わせているんだ。
と考えていました。
親には新学期に上がるたびに「話すようにしなさい」「友達を作りなさい」と言われ私はただうん、うんというだけで自分の気持ちを言うことはできませんでした。
私は小学校5年生の春にも転校を経験していて、そこでもうまくいきませんでした、(このことは後々綴ろうと思います)転校理由は、表ではお爺ちゃんの介護目的、ですが本当の理由は私の内気な性格を変えるためだったと思います。
そこでもうまくいかなくて母から責められました。「転校したのにまたそのままじゃないか」何分か何時間かは覚えていません。自分の意見は言えません。先生からいじめを受けていてなんて言えなかったです。今まで母に自分の気持ちを肯定してくれたことなんてなかったし。
この二人の話す(?)時間が私は昔から大嫌いでした。春になるとまた母から怒られるのか。と思いました。

流石に中学生になるので、母に責められることも増えました。
もうそこらへんは書く気力ないです。なので省略しますけど、私は変わろうと思いました。
小学校六年間、ずっと真顔で過ごしてきたので、笑顔でずっといるようにしようと思いました。これがかなりキツかったです。ですが私は周りから「あの子笑わない」と言われるのが嫌だったのでなかなか動いてくれない顔の筋肉を持ち上げて、話しかけられた時は笑顔…を心がけました。
本当は学校なんか嫌、行きたくなかったです
でも母から「あなたを産んだことを申し訳ないと思っている」と泣きながら言われるのはもう嫌だったんです。もう全てが嫌だったんです。


でもうまくいきませんでした。
いろいろあって過敏性腸症候群になりました。おなら恐怖症というものです。
今でも続いています。この病気のせいで嫌な思いをたくさんしてきました。

結局何が言いたいかというと、場面緘黙症を周りに受け入れられて 母にも責められずに 二次障害にいかなかった人が羨ましいと言うことです。
自分の気持ちを大切にできた人が羨ましいということです。

文章がめちゃくちゃ

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