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患者、医療者 双方の立場で考える新しいカルテの在り方

初めまして。
2015年に医師国家試験に合格し、2023年で医師として9年目になります。
いわゆる僻地出身であり、地域の期待を感じながらここまで辿り着きました。

医師としても、社会人としてもまだまだ若輩者ですが、そんな私からみて、現代の日本の医療スタイルについてあまりにも無駄が多く、それを患者さんへ押し付けている。嫌悪感に近い疑問を持ちながら日々の診療を行っている毎日です。

現代社会ではGAFAに代表される、資本主義経済の中で時代の荒波に揉まれながら洗練された一流企業の一流サービスが誰でも手の届くとても良い時代になりました。

一方で医療業界は競合相手が出来づらいことから、いわゆる殿様商売的に医療者側の立場が強くなり、患者側が我慢を強いられる場面が多くある事を、一医療者として内側から見て、嫌気がさしています。

そんな現代の医療の在り方を変えたい。

私は、患者中心の医療を行うことを目的に活動していきます。
言葉では簡単です。現実は厳しい。1人の患者さんに多くの時間を費やせば、他の患者さんにかけられる時間が短くなる。自分の時間を削ればいずれ体調を崩して、1人も診療出来なくなってしまう。
ただ頑張るだけでは無理だと、8年間医師をやって気付きました。
この現状を変えるためには世界を変える必要がある。

ご興味のある方はお付き合い頂けますと幸いです。



今回は、医療者側からみた現状の課題と、その打開策について私の考えをお伝えさせて頂きます。

一般の方からみて、医療者側は信頼する面、信頼出来ない面の両方がある、非常に特殊な存在ではないかと思います。

調子が悪くなった時には、放っておくか、自分でドラッグストアで薬を選ぶか、それとも病院を受診するか、いずれかになると思います。
実際に、よっぽど耐えきれない状態になれば病院にかかる形が今の日本の常識となっているのではないでしょうか?

一方で、頼りにしようと思って受診した病院で、1時間以上待たされたのに、2〜3分の診察で、大して説明も受けられず、よく分からないが処方された薬を飲む事になる事が多々あるのではないかと思います。
あるいは、説明を時間をかけてしてもらったとしても結局は頭に全く残らず、よく分からないけど一生懸命にやってもらってるみたいだし、大丈夫だろうから任せよう、となっているのではないでしょうか?

待ち時間に対して診察時間が短い事も問題ですし、説明してもらってもよく分からない事も問題です。

まず始めに、待ち時間が長い事について私なりに考えてみます。


立地にもよりますが、大半の方は病院に受診するまでに徒歩や自転車ですぐ、ではなく公共交通機関や自家用車で移動する負担があります。

次に受付で体温計とともに問診票を書かされます。それを受付に返し終えたら、置いてある雑誌や、病院に置いてあるテレビ、あるいは自身のスマートフォンなどで時間を潰します。

どれくらい待ったのか、お尻が痛くなっても更に待たされ、やっと診察室に呼ばれます。この時に大半の人は強く緊張する為、お尻が痛い事も忘れて大人しく診察室の丸椅子に座ります。

診察室では難しい顔をした医者が独り言を呟きながら看護師に指示を出し、その看護師の指示を受けて患者は服を捲ったりして診察を受けます。

また医者の独り言が始まり、終わったかと思えば、薬を出しときますねー、次はいつ来てください、と言われ、分かりました。と言って診察室を出ます。

会計を待っている間、色々と聞きたい事が出てきて悶々としますが、会計に呼ばれて、その事も伝えられず大人しく薬局へ向かいます。

薬局では、薬剤師から早口で薬全ての説明を聞かされ、たまに医師に対しての愚痴も聞かされながら薬を受け取り、ようやく帰路に着きます。


以上が私の想像する一般的な病院受診の流れです。
恥ずかしながら、私自身の診療も恐らくそのようになってしまっていると思います。

すみませんが、言い訳をさせてください。

まず、移動についてです。
コンビニとは異なり、病院の数には限りがあります。それは医師の数が限られているためです。
医師、看護師になるためには医学部に合格する必要があります。医学科の枠は1年間で1万人弱です。24歳から64歳まで働くとして40年間とすると40万人。日本人の人口が1億2000万人とすれば300人に1人。

(※実際には令和2年12月31日時点で339,623人)
医師・歯科医師・薬剤師統計の概況 - 厚生労働省より
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/20/dl/R02_1gaikyo.pdf

医療者側の中心の医師、看護師の人数に上限がある以上、必然的に病院の数にも限りがあります。

オンライン診療が認可され、少しずつ始まっている所ですが、まだ浸透しているとは言い切れず、また直接触ったりして診察などが行えない条件である事から診療できる内容が限定されているのが現状です。

(脱線しますが、例えばスマートフォンなどに身体診察できる機能が加わればパラダイムシフトが起こり、今の医療スタイルは大きく変わる可能性があります。一方で、医療機器として認可を得る為には厚生労働省の審査が必要になり、そのバックには前述の診療スタイルを貫き通してきた医者が集まっています。医者の中で、少なくない割合で、既得権益を守り、医師として安定した生活を続けたい層がいると思いますので、短く見積もって10年、私のイメージでは恐らく20年以上はそこの変化は起きないのではないかと予想しています。)

次に、受付についてからです。受付で渡される問診票の半分以上は実際の診療には使われません。恐らく大半の病院において問診票を作るのは病院を創立した時で、それ以降は基本的に変化が加わりません。理由は、後述しますが、端的に言えば、手直しする時間が無いからです。
問診票は電子カルテであればスキャンして取り込まれますが、それは取り込んで終わり、99%は保存だけされて使われないまま終わります。

診察室に呼ばれてからの話を始めます。
診察室は医師と看護師がいて、密閉された空間で独特の緊張感があります。
そこでは、自分の言いたいことを言えないまま退出される方が大半です。それに対して、逆に言いたい事を全部言って、なんなら診察に関係の無い昔話を何度も繰り返し話される方も一部いらっしゃいます。
私の個人的な意見ですが、診察時間が押す、予約通りの時間にならない大半の理由は、この自分の事を話したい方達に時間を費やす事になるからだと考えます。
医療者側として、病気を見る上で本人から伺いたい話は比較的限定的で、それをイエス、ノーのクローズドクエスチョンで詰めていく作業が大半なのですが、患者側はクローズドクエスチョンである事を理解されず、自由に話し始める事が珍しくありません。ただ、それを遮ると、基本的に話を遮られれば気を悪くするのは当然の事ですし、また話の中に何か診断のための鍵が隠れているかもしれない、と思うと話を遮るのも難しくなるのが医療者側の心情です。

医師がブツブツと喋り始めるのは、理由が2通りあると思います。1つは、医学部という狭き門をくぐる中には受験勉強ばかりを続けて、他者との交流が少ない方が一定数います。医師免許取得までにコミュニケーション能力が問われることはありませんので、コミュニケーションが苦手な医者が存在しているのは事実です。また、医者という、これまで強い立場であったため、立場の力を利用してコミュニケーションが取れないでもある程度生活できてしまう、独特な世界の問題もあります。
もうひとつの理由は単純に疲れて喋れなくなってくる、という事が予想されます。一日中外来をすると、患者への問診や説明のみならず、看護師へも色々と情報伝達、指示を出す事が必要です。
外来をしている時の「喋り」についての疲労感は、イメージしやすく話すと、スーパーのレジ打ちを休みなく、一品目ごとに商品名と値段を声出ししている状態が半日でも3時間通し、1日であれば6〜7時間続いている状態、とイメージして頂ければと思います。息継ぎする、お金を財布から出してもらっている以外の時間は喋っている、という感じです。

処方や次回受診については、患者側からすれば、医者に対して意見してはいけない、という方が大半で、提案してもらって、その提案を飲む他ない、というのが現実だと思います。

会計に回されてからは、そこで事務に意見したところでスルーされそうで、忙しそうにしているから余計に言いづらいのだろうと思います。

薬局でのやり取りについて、こちらも医者と同様に強い立場を持ってそこまで来ている方が薬剤師をしている事から、医者と同様の理由でコミュニケーションが苦手な方が一定数いる、という事になると思います。


ここまで、現在の病院受診についての問題点を掘り下げましたが、問題の根底は一言で言えば仕事量に対して人員が足りていないのが大きな理由だと思います。

一要素として、医学部の定員数が人員不足の要因のひとつですが、ここに対して、私が対抗出来るほどの力を持ち合わせておりませんので、その事についてはそれ以上触れません。

他に人員不足を補う方法として、医療事務を雇うのが近年よく行われている対応策です。実際にそれで医師以外にも行える仕事の分配が進む部分はありましたので、解決策の一つになります。一方で、人員をなかなか雇えないのも実情です。少子高齢化が進み、病院受診を必要とする人口は増えていますが、一方で社会を支える生産人口は年々減少しています。人口の変化を考えれば、単純に仕事量が増えていくのに対して、人を雇って仕事量の調整、分配していくのでは限界がある、という事を理解するのは容易な事です。

そこでようやくタイトルに踏み込む形になりますが、カルテのあり方について改革していく事を訴えます。

医療での仕事のうち、カルテに関わる業務が大半です。カルテに記録、あるいはカルテを参照するのが医療者の仕事の大半といっても過言ではありません。
私は消化器内科医ですので、カルテと直接向き合わない時間としては内視鏡やエコーの検査時のみです。逆にそれ以外の時間はカルテとのやりとりがあります。具体的には、内視鏡検査を行う場合、長く見積もって1日3〜4時間です。大雑把な計算ですが、勤務時間は1日8時間以上ですので、半分以上はカルテに時間を費やす計算になります。
純粋にカルテ記載には時間が取られますので、それによって残業が生まれ、業務改善をしていく余裕はありません。それどころか、大きな声では言えませんが、本来行うべき業務を多忙を理由にやむを得ず行わないままになってしまうこともあります。大病院で診療科以外の相談をした時に、「それはかかりつけ医に相談してくださいね」と言われた経験のある方は少なく無いと思います。医師なら目の前の患者さん全ての病気を診たいのは当然なのですが、その余裕も無く、始めは熱い情熱を持っていた人も、専門医という言葉を良いことに、自分の専門科しか見られなくなっていきます。実際に他の科の診察が全く行えないようになっていくのが今の日本の医療の実情です。

医者の仕事量を決定づける大部分がカルテからの情報収集およびカルテ記載です。一方でカルテシステムが更新されることは滅多にありません。大学病院でカルテを替える場合には、白い巨塔の大学教授、全員を頷かせる必要があります。どうですか?普通できません。

また、患者側の立場からカルテを考えても、患者はカルテには触ってはいけない、見てはいけない神聖なもの、と思っている方が多いのでは無いかと感じます。

今の時代、カルテはいつでも患者側が見られるようにすべきではないかと考えます。本人のみならず、受診についていけない家族も見られるべきですし、その家族からの意見も医療者へ届くべきです。そのため、カルテを記載する事についても患者が行えるべきであると考えます。
家庭血圧は自分でつけて記録するものですし、事実として変わりようがありません。それをノートにまとめて医者に見せて、医者がカルテに書き写す、と言うのは無駄な行程だと思いませんか?
また、待合室で待っている間にもカルテに最近の具合を入れてもらえれば、医療者側のカルテ記載の時間短縮や問診時間の短縮につながり、最終的には待ち時間の短縮になります。

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より良い医療が拡がることを願います。

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